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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

個性は他人が決めるもの。優柔不断で広く学び続ける。

文化

近年、個性が大切だという言葉をよく耳にするようになりました。

個性を磨きなさい、個性は一生の武器になる、個性がなければ良い仕事はできない、そんな言葉をテレビでよく聞きますし、インターネットのニュースサイトなんかでも目にする機会が増えたなと感じます。

個性は大切かもしれません。しかし、自分の個性はこれだと決め打ちするのはいかがなものでしょうか?

自分で個性を決めると他人が何を求めているのかわからなくなる

講談師会初の人間国宝になられた一龍斎貞水さんの著書「心を揺さぶる語り方」を読んでいると、個性は自分で決めるべきものではないのだと気付きました。

個性とは、言葉を替えると評価ということになるのではないでしょうか?

評価をするのは自分ではありません。自分の普段の行動を見ている他人です。したがって、自分の個性を決めるのは他人ではないかと思うのです。

つまり、自分はこういう話しかしない、こういう話し方しかしないと、最初から決めてかかるのではなく、その日その日のお客様に合わせて演題を選び、また話の切り口や話し方も変えていく。話し始めてからでも、場の「空気」を読んで、話の持っていき方を変えたり、通じない説明があれば表現を変えて言い直したりします。そのお客様が、日によって、時によって違うので、我々も優柔不断であった方がいいんです。
そのために我々講談師は、話題のスーパーマーケットを目指さなければいけないし、変幻自在の話し方ができるようにしておかなければいけないと考えています。
(162ページ)

講談師は話の中でお客さんの顔を見ながら、ちょっと聞くのに疲れてるかなと思った時、雑談を挟みます。その雑談の内容は、その日のお客さんを見て決めます。年配の方が多い場合に有名な小話をしても興味を持ってもらえないでしょう。例えば、結婚式のスピーチでよく聞く「3つの袋」の話とか。ちなみに3つの袋とは、「胃袋」「おふくろ」「堪忍袋」ですが、その他の袋もあります。

逆に若いお客さんが多い時には、こういった定番になっている小話をしても良いのかもしれません。


講談師の話を聴いて、楽しかった、おもしろかったと思ってもらうためには、どういったお客さんが聞きに来ているのかを確かめ、お客さんに合わせた話し方をしなければなりません。自分の個性はこれなんだと決め打ちして話をしたのでは、必ずしもお客さんは満足しないでしょう。

だから、講談師は話題のスーパーマーケットを目指さなければならず、どのような話し方もできるようにしておく必要があるのです。

キャッチフレーズは知らない間にできているもの

貞水さんには、「怪談の貞水」というキャッチフレーズがあります。貞水さんが自分は怪談を売りにするんだと決めて講談師をしていたから、そのようなキャッチフレーズがついたわけではありません。

滑稽の講談、お涙頂戴の話、侠客伝、どんな話でもできるように努力していると、お客さんが「貞水は怪談が良い」と評価するようになったのです。

そういう看板ができたことで、夏になれば、貞水の怪談が聞きたいというお客様が集まって下さいますし、逆に、「怪談の貞水と呼ばれているが、俺はあいつのやる白波物が良いと思う」という風に、別の話に注目して下さる方も増えました。大変有り難いことです。「あいつはこれだ」と思われるものを何か一つ持っているのは良いことだと思います。
しかし、私の場合、それはあくまでお客様が選んで下さった結果で、今も優柔不断であろうとしていることは変わりません。お客様に合わせて変えようとしています。
(162~163ページ)

貞水さんの言葉からわかるようにその人の個性を決めるのは、自分ではなく他人です。自分の個性はこれだと思っていても、他人がそう思わなければ、それは自分の個性ではないのです。そうなりたいという願望でしかありません。


お客さんに合わせて話し方を変えていく。

そうすることで、不思議と多くのお客さんが貞水さんの話の中では怪談が良いと評価するようになったのでしょう。このようにその人その人に合った対応をすることは、個性がわかりにくくなるのではないかと思ってしまいます。でも、その人に合った対応をしようとすることで、自分では気づかないけれども、多くの人が評価する個性が表れてくるのかもしれませんね。

優柔不断は学び続けること

優柔不断という言葉は、あまり良い意味で使われることはありません。しかし、優柔不断であるからこそ、常に何かを学び続けようとするのではないでしょうか?


学習方法で、すぐに実践できることは、他人の真似をすることです。

我々の世界でも、芸達者な人は、たいてい師匠や先輩の芸を真似するのが上手い。それだけよく見ている証拠です。
だからといって、その真似を自分の芸としてやるかといったら、絶対にやりません。いくら古今亭志ん生さんの芸がすばらしいからといって、その真似を自分の高座でやる落語家はいない。あくまで物真似をしてやる人はいますが、それはそれ。人の真似を自分の芸としてやっても、お客様は喜ばないということが分かっているからです。
話芸というのは、その人の顔、声、人柄、すべてに関わっているものです。上っ面だけ真似しても、同じ魅力は出せません。むしろ、らしくなくなってお客様方から拒絶されます。
(168ページ)

真似をするというのはお手本にするということ。しゃべり方や仕草を他人そっくりにやることは物真似でしかありません。

また、他人の真似をすることは、その人の個性を見つけ出すことにもつながるはずです。自分がなぜその人の真似をしようとするのか、それは、真似しようとする部分が素晴らしいと感じたからではないでしょうか?それこそが、その人の個性なのでしょう。

他人の個性を見つけれるようになれば、今度は、自分も他人から評価される個性を身につけられるかもしれません。

講談師が、他の講談師を手本にしようとするのは、おそらく高座の時でしょう。手本にする講談師の話し方、それを聴いているお客さんの表情、両者をじっくりと観察していると、お客さんが楽しそうにしている時、手本にする講談師はどのような話し方をしているのかを見ていると、その理由がわかってくることがあるはずです。


人気の講談師ともなれば、毎回、多くのお客さんが話を聴きに来てくれることでしょう。それも、今までに積み重ねてきたモノがあるからで、一朝一夕にそのようになれるわけではありません。だからと言って慢心してはいけません。貞水さんは、「お客さんが次もまた来て下さるのは、その一回を真剣にやったとき」だと述べています。人間国宝だからと言っても手を抜いた仕事をしたら、その時に話を聴きに来てくれたお客さんは二度と来てくれません。

良い結果が出ても勉強しなきゃならないし、悪い結果が出たら、なおさら勉強しなきゃならない。生涯それを繰り返していくのが、プロというものだろうと思います。
(193ページ)

真のプロとは、いつまでも学ぶことをやめない人のことです。他人から優柔不断に見える人こそ、実は真のプロなのかもしれませんね。

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