仏教の宗派に浄土真宗があります。
鎌倉時代に親鸞聖人が開いた宗派で、現在も多くの人々に信仰されています。親鸞は、南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも極楽往生できると説きました。しかも、善人が極楽往生できるのだから、当然に悪人も極楽往生できると説いています。これを悪人正機説(あくにんしょうきせつ)と言います。
この悪人正機説が広く庶民の心をとらえるようになったのは、室町時代に蓮如が浄土真宗を布教し始めてからだと思います。
仏の前ではすべての人間は平等
親鸞の思想に同朋主義があります。同朋主義は、仏の前では人間はみな平等だとする考え方です。
作家の五木寛之さんは、著書「蓮如」の中で、蓮如は親鸞の同朋主義に深い感銘を受けて浄土真宗を広めていったのではないかと考えているようです。
蓮如は、親鸞自身もときとして試みている平易で単純化された表現を、さらに断固として推しすすめて、前代未聞といっていいストレートな言葉でそれを語ったのです。
<いなかの>ひとびと。
<文字のこころもしら>ざるひとびと。
<あさましき、愚痴きわまりなき>ひとびと。
<おろかなる>ひとびと。
そういった大多数の雑民に対して集中的に彼は働きかけたのでした。
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仏の前では、みな平等。
高額のお布施や苦行をつまなければ極楽往生できないのなら、それは平等とは言えないのではないか、平等と言い得るためには誰でもできる簡単な方法で極楽往生の道が開けなければならないのではないか、そう考えると、親鸞が南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも極楽往生できると説いたことこそ平等なのだ。
時代が蓮如を求めた
浄土の教えは、親鸞よりも前の法然の時代から支配階層の弾圧を受けてきました。
人間がみな平等であっては困るからです。
法然や親鸞の時代は、庶民は力を持っていなかったので支配階級からの弾圧を受けるしかありませんでした。しかし、蓮如が生きた室町時代は、鎌倉時代とは違います。
それが単に一方的な弾圧に終わっているうちはいいのですが、中世体制の崩壊期にあって、新しい雑民階級は、これまで考えられなかったような実力をそなえつつありました。金力や、武力においても相当な自信を抱いて、ときには後へ引かない対決の姿勢さえ示します。そこで予想されるのは、流血の惨事であり、不毛の敗北、そして殉教への道です。
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庶民が虐げられていた時代であれば、隠れて念仏を唱え、現世では不遇だったけど浄土で幸せになれると願うだけだったでしょう。
しかし、庶民が力を持ち始めると、蓮如が布教につとめた親鸞の教えを捻じ曲げて解釈する人たちも出てきました。
親鸞は、浄土真宗では善人よりも悪人から先に救われると説きました。庶民の中には、生きていくために猟をしたり魚を釣ったりして、生き物を殺生しなければならない人々がいました。生き物の命を奪うことを悪だというのなら、猟師も漁師も悪人です。
でも、彼らはそういう仕事をしなければ生活できないのです。そういう人々に慈悲の手を差し伸べてくれるのが阿弥陀如来であり、南無阿弥陀仏と唱えて阿弥陀如来にすがれば誰でも極楽往生できると説いたのですから、たくさんの庶民が浄土真宗を信仰した理由がよくわかります。
応仁の乱で世の中が騒然とし始めた室町時代では、蓮如が広めようとした浄土真宗が、さらに多くの庶民に魅力を感じさせたことでしょう。
そして、彼らは、支配階級に虐げられることを拒否し、支配階級と戦うことを決意しました。室町時代に多く発生した一向一揆です。
悪人から先に救われる
悪人から先に救われると説く親鸞の考え方が、一向一揆を大きくしていきました。
人を殺しても極楽往生できる、南無阿弥陀仏と唱えさえすれば何をやっても問題ない。
そのように解釈して一向一揆に参加した人々が多くいたはずです。そして、支配階級も一向一揆の力を利用します。北陸の守護富樫政親がそれです。しかし、富樫政親も、やがて一向一揆により自害に追い込まれ、その後100年間、加賀国は「百姓の持ちたる国」と呼ばれるようになりました。
一向一揆は、蓮如が扇動したと思われがちですが、五木さんはそうは考えていません。
貧しい人々、読み書きできない人々、そういった社会の底辺で生きている人たちの心を安らかにしたい。蓮如はそう考えていたことでしょう。
しかし、少しずつ力を持ち始めてきた被支配階級の人々が、支配階級と戦うために悪人正機説を親鸞が説いた内容と違う形で多くの庶民に広め、一向一揆が大規模化したのかもしれません。それは、蓮如が広めようとした親鸞の思想とは異なっていたはずです。
宗教は奥が深いので、なかなか理解できません。親鸞や蓮如のように誰にでもわかりやすく教えを説こうとする人が出てきますが、それでも、真意が伝わりにくいのが宗教なのかもしれません。