ウェブ1丁目図書館

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歩留率が低い製品ほど将来性がある

歩留率(ぶどまりりつ)は、投入した原材料と比較してどれだけの製品が完成したかを表す指標です。

例えば、水100mlを投入して清涼飲料水が90mlできた場合の歩留率は90%です。当然、歩留率が高い製品ほど、原材料を効率的に使うことができているので、生産管理の面からは良いことになります。

でも、歩留まりが低いことが必ずしも悪いことではありません。

低歩留率は改善の余地が多分に残されている

東京通信研究所を設立した井深大さんは、「歩留まりが悪いということは非常にいいこと」だと述べており、その理由が「井深大語録」に収録されています。

東京通信研究所は、現在のソニーのことです。そのソニーの創業者である井深さんが低歩留率を悪と考えないというのですから、非常に興味深いですね。

ソニーが、トランジスタを開発していた時の歩留率は5%もなかったそうです。投入した原材料の5%しか残らない、それは完成品ができるまでに製品の20倍の原材料を必要とすることを意味します。こんな非効率な製品を造るのは費用が掛かりすぎますし、何よりも原価を回収しようと思ったら、売価を相当高く設定しなければなりません。

そんな高価な製品が売れるのか、はなはだ疑問です。

でも、井深さんは歩留まりの悪さを悲観的には考えていませんでした。

「歩留まりというのは、どこか製造工程に欠陥があって歩留まりが悪くなっているのだから、その欠陥を一つ一つつぶしていけば歩留まりは上がるに決まっている。いくら歩留まりが悪くてもスタートしよう」。井深にとって5%という歩留まりの数字は、「可能」を意味する。井深には、歩留まりが上がり、トランジスタラジオができることが見えていたのである。
(36~37ページ)

この言葉を読んだ時、思わずうなってしまいました。

言ってることは単純なことですよ。でも、じっくりと考えると、井深さんの考え方のすごさがわかります。

歩留率5%を10%まで改善したとしましょう。普通に考えれば、まだ90%も無駄があると思います。苦労したのに5%から10%への改善でしかないのですから心が折れそうになります。

でも、5%から10%の改善は、完成品に対して20倍の原材料を投入していたのが10倍にまで下がったわけですから、50%のコストダウンに成功しているのです。つまり、歩留率が悪ければ悪いほど、少しの改善で大きなコストダウンの効果を得られるのです。

歩留率90%の製品を95%まで改善したとしても得られるコストダウンの効果は、それほど高くありません。しかも、90%から95%に歩留率を向上させるのは、すでに歩留率100%に近い状況まで効率化されているのですから並大抵の努力で達成できるものではないでしょう。

このように考えると歩留率が低い製品にこそ、将来性があると言えるのではないでしょうか?

ものを作っていると人のせいにしなくなる

井深さんは、「手前の不出来を人のせいにするのは下の下」だと述べています。

確かにその通りです。でも、誰だって、うまくいっていない時には、政治が悪い、不景気が悪い、社会が悪いと文句を言いたくなります。しかし、うまくいかないのは自分のせいです。それは、誰もがわかっているのですが、どうしても自分ではなく他人のせいだと言いたくなる時もあります。

「ものをつくりださないところへ空のお札が回るから、インフレが起きるんだ。我々ものをつくっている人間は、どうやって値下げしようかということばかり考えているんだから。それでいて何かあると、ものをつくらない人間に限って人のせいにする」
(212ページ)

耳がいたくなる言葉です。

メーカーは、少しでも原価を抑えて安くで流通する製品を生産しようとしています。そのような努力があるからこそ、テレビも冷蔵庫も洗濯機もパソコンも携帯電話も、少しずつ低価格になってきているのです。

しかし、このようなメーカーの努力によって低価格が実現すると、今度はデフレは悪だ、物価が下がるから給料が減るんだといった不平不満がわきあがります。インフレになったらなったで、今度は物価が高くて買えないという文句が出るのですから、メーカーで働いている人たちは納得いかないでしょうね。


デフレになってもインフレになっても文句を言う人とそうでない人。

両者の間には、どのような違いがあるのでしょうか。

何もないところから材料を寄せ集め、手を使い、頭を使い、時間を使い、ものをつくり上げる苦労を知っている人は、失敗してもどこが悪かったかは先刻承知。自分以外の誰も責められない、苦い気持ちを味わう。しかし失敗はしてもよいのだ。井深のものづくりの歴史も失敗の連続である。ただ、同じ失敗を繰り返したくはない。だから必死になる。そして、自分の力だけでついに成功したならば、他に代えがたい喜びを得ることができる。それが自分の自信につながり、人生の岩盤となる。
(212ページ)

文句を言わずに黙々と手を使い頭を使い、何度も何度も失敗を重ねながらものを作っていく人は、その仕事は自分にしかできないという自負があるのでしょう。

だから、自分ができないことは他人もできない、したがって、文句を言おうにも自分に対してしか文句を言えない、文句を言っている暇があったら作業をする、そういった考え方が自然に身についてくるのかもしれません。

少しでも時間があれば本を読む

井深さんは読書家でもありました。

1時間でも30分でも時間があれば読書をしていたそうです。

井深さんの読書は、仕事に生かすための読書だったようで、今、自分がどっちを向いているのか、自分の中で解決できない問題は何かを探り出すために各専門分野の著作を読んでいたとのこと。

そうして蓄えた知識ともエッセンスともつなかいものが混ざり合い、発酵して井深の発想の源になっていく。
(245~246ページ)

歩留率の悪い製品をどうやって改良していくのか、それを考えていると、様々な専門書に目を通すようになり、何らかの改善案が思い浮かぶのかもしれません。そして、わからないことを調べるために読書を継続していると、いつのまにか歩留率の高い製品の生産が可能になっているのでしょうね。


「1人の人間との出会いは100冊の本を読むよりも有意義だ」

毎日のように読書をして、たくさんの本を読んでいる人がこのようなことを言うと説得力があります。しかし、実際には、読書をしない人ほど、このようなことを言います。まずは100冊読んでから言いなさいと思うのですが。

おそらく、たくさんの本を読んだことがある人は、読書よりも出会いが大切だとは言わず、どちらも大切だと言うのではないでしょうか?


また、井深さんは、「ものを創ることだけが実業で、あとは虚業ですよ」とも常々語っていたそうです。

何とも耳が痛くなる言葉です。

「つくる」が「創る」となっているのは、何か新しいものを世の中に生み出すということなのでしょう。

そういった創造的な仕事をしていれば、世の中に対して文句を言わなくなるのかもしれません。今やっている仕事は自分にしかできないのですから。