ウェブ1丁目図書館

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同じ1時間でも生物によって時間感覚は異なる。それは人と人との間でも同じなのかもしれない。

時計の秒針が1周すると60秒が経過したことになります。1分ですね。

僕たち人間が経過した時間を計測する手段は、主に時計です。太陽の傾きとか月の動きとかで時間を測ることはできますが、多くの現代人が時計を使っていることでしょう。時計の針がどれだけ動いたかで、過ぎ去った時間を確認しますよね。

人は、1分経過したら、この世のすべての生物も同じ1分を体感していると思っています。でも、同じ1分でも、生物によって流れる時間が異なるようです。

時間は体重の4分の1乗に比例する

本川達雄さんの著書「ゾウの時間ネズミの時間」によると、体の大きな動物ほど時間はゆっくりと経過し、体の小さい動物ほど時間は早く経過するそうです。

そんなバカなと思うでしょうが、これは、生物によって流れる時間の感覚が異なるということです。同書によると、時間は体重の4分の1乗に比例するとのこと。

私たちは、ふつう、時計を使って時間を測る。あの、歯車と振子の組み合わさった機械が、コチコチと時を刻み出し、時は万物を平等に、非情に駆り立てていくと、私たちは考えている。
ところがそうでもないらしい。ゾウにはゾウの時間、イヌにはイヌの時間、ネコにはネコの時間、そして、ネズミにはネズミの時間と、それぞれ体のサイズに応じて、違う時間の単位があることを、生物学は教えてくれる。生物におけるこのような時間を、物理的な時間と区別して、生理的時間と呼ぶ。(5ページ)

時間が体重の4分の1乗に比例するということは、体が16倍大きくなると、時間は2倍ゆっくりと経過することになります。だから、体の大きな動物ほど寿命が長く、体の小さな動物ほど寿命が短くなる傾向にあります。でも、長生きする動物であれ、短命の動物であれ、一生の間に流れた時間は、同じように感じるのだそうです。

鼓動は20億回、呼吸は5億回

物理的時間の長短に関係なく、哺乳類が一生に動く心臓の回数、すわなち、鼓動は約20億回らしいです。そして、息をスーッと吸って、ハーっと吐く呼吸は、鼓動4回に対して1回とのことなので、一生の間に呼吸する回数は5億回になります。

物理手時間で測れば、ゾウはネズミより、ずっと長生きである。ネズミは数年しか生きないが、ゾウは一00年近い寿命をもつ。しかし、もし心臓の拍動を時計として考えるならば、ゾウもネズミもまったく同じ長さだけ生きて死ぬことになるだろう。小さい動物では、体内で起こるよろずの現象のテンポが速いのだから、物理的な寿命が短いといったって、一生を生き切った感覚は、存外ゾウもネズミも変わらないのではないか。(6ページ)

このように考えると、物理的時間の長短は、生物の一生にとって、あまり意味のあることではないのかもしれません。同じ1分という時間でも、ゾウはとても短く感じるでしょうが、ネズミはとても長く感じていると考えられるからです。

ゾウの拍動はゆっくりですが、ネズミの拍動はとても速いです。脈を打つ間隔が短くなればなるほど、物理的時間が経過する感覚が長くなっていくのでしょう。

長生きする人も早死にする人も一生の時間感覚は同じ?

日本人の平均寿命は約80歳です。

120歳あたりが、人間の寿命の限界とされていますので、日本人は、今よりも1.5倍ほど長生きできる可能性を残していることになります。今よりも40年も長く生きることができるのなら、とても多くのことができそうに思えます。

でも、80歳で死のうと120歳で死のうと、拍動が20億回と決まっているのなら、生理的時間は同じになります。


このように考えると、寿命が80歳であろうと120歳であろうと、一生の間に成し遂げることができる物事は同じなのかもしれません。

例えば、寿命80歳の人が数学の問題を2分で解いたとしましょう。そして、まったく同じ数学の問題を寿命120歳の人が解いたら3分かかったとします。この場合、物理的時間で計測すると、寿命80歳の人の方が早く計算できたことになりますが、生理的時間で考えると、計算にかかった時間は同じということになります。

これは、一生という時間の中で、数学の問題を解くのに費やした時間の割合は、両者で同じと言い換えることができます。

同一人でも拍動が変われば時間の経過が違ってくる

日常生活の中で、同じ1分が早く感じる時と遅く感じる時がありますよね。

楽しいことをしている時は時間が早く流れているように感じるとか、退屈な時ほど時間が遅く感じるとか、いろいろなことが言われており、それらにも一理あると思います。でも、「ゾウの時間ネズミの時間」を読んだ後、そうではないのではないかと思うようになりました。


心身がリラックスしている時、時間がゆっくりと流れているように感じることはありませんか?お風呂に入って落ち着いている時なんかは、実際には10分湯船に浸かっているのに感覚的には5分しか浸かっていないように感じた経験は、誰にでもあることでしょう。

また、マラソン中のように苦痛なことをしている時は、10分くらい走ったように感じるのに物理的時間は5分しか過ぎていないといった経験もあるのではないでしょうか?


こういったことが起こるのは、もしかしたら、拍動と関係があるのではないかと思うようになりました。

苦しいことをしている時は時間が長く感じるものだと言われたことがありますが、それは、苦しいことをしていると拍動が速くなるので、それに伴って時間が早く経過している感覚になるのではないでしょうか?つまり、生理的時間は早く経過し、物理的時間は遅く経過している状態ということです。

また、入浴中にリラックスして、普段よりも拍動が遅くなっていれば、生理的時間はゆっくりと経過し、物理的時間は早く経過している状態と言えそうです。

拍動はゆっくり、動作は速くが理想だけど

長生きしたければ、20億回の拍動をできるだけ遅くするべきでしょう。

激しい運動や精神的に緊張することを避けることで、拍動をゆっくりに保つことができますから、何をするにしても、ゆっくりリラックスした状態を保つことが大切です。

でも、時間に追われている現代人は、そうは言ってられません。テキパキと仕事をこなさなければならない状況というのは、日常茶飯事です。動きが速くなれば、それに従って拍動も速くなるので、それだけ寿命を縮めることになります。


僕に言われなくてもわかるでしょうが、理想的なのは、拍動をゆっくりに保った状態で、動作を機敏にすることです。


そのようなことは、果たして可能なのでしょうか?

僕はひとつだけ、その方法を思いつきました。

それは、スポーツ心臓を作り上げることです。スポーツ心臓というのは、激しい運動をしていると、心臓が鍛えられて、1回の拍動で送り出せる血液の量が多くなっている状態です。プロスポーツ選手は、ほとんどがスポーツ心臓になっているので、1分間の拍動は、50回もないでしょうね。


しかし、スポーツ心臓を作るためには、運動をしなければならないので、その間は、普段よりも拍動が速くなります。そうすると、スポーツ心臓が出来上がった時には、すでに拍動数が、平均よりも多くなっているかもしれません。

結局、スポーツ心臓を作って拍動を遅くするためには、運動で通常よりも拍動を速くしないといけないので、何もしない場合と比較すると、収支は同じくらいに落ち着くかもしれません。


答えを知ろうと思うなら、自分の体で実験する以外になさそうです。また、結論が出るのも、遠い未来のことなので、実験をする意味があるのかどうかもわかりませんね。