ウェブ1丁目図書館

ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。なお、当ブログはアフィリエイト広告を利用しています。

現金が現代人の心理に与える力

「メーカー希望小売価格から3割引き!」

スーパーやデパートにこんなポップが貼られていると、つい買ってしまうのが人の性。

例えば、その商品が3割引きされて1,400円だったとします。もしも、「3割引き」というポップがなかったとしても、「この商品が1,400円とは安い」と判断して買う人は、いったいどれくらいいるでしょうか。

商品の価値をしっかりと分析できれば、ポップに何が書いてあろうが、購買に影響を与えないはずです。「3割引き」のポップを見て商品に飛びついてしまう人は、間抜けなのでしょうか、無知なのでしょうか。

基準に引っ張られてしまう

「3割引き」のポップに釣られて商品を買ってしまうのは、その商品の価値が絶対的ではないと言えそうです。つまり、一消費者として商品の価値を分析するとき、何かの基準と比較して、相対的に価値を知ろうとしていると考えられます。

その商品の原価を調べ、適正利潤を乗っけた適正価格が1,400円だと判断して買い物をする人など、ほとんどいません。多くの人は、過去の買い物の経験から、値段が高いか安いかを判断しているはずです。

行動経済学を専門とするダン・アエリーさんの著書「予想どおりに不合理」を読んでいると、自分が、日々、どれだけ不合理な行動をしているかを思い知らされます。

「3割引き」のポップが目に入っただけで、商品が安く思えるのは、割引前の値段を基準に商品の価値を計ろうとしているからです。行動経済学では、そういった基準に行動が左右されることをアンカー効果といいます。

アンカーは、私たちの日常の様々な行為に影響を与えています。例えば、初めて買ったバッグが1万円だった場合、その後にバッグを買い替える際、1万円を基準に安いのか高いのかを判断してしまう傾向があります。初めて外で食べた寿司が回転寿司だと、回らない寿司を食べに行った時にボッタクリだと感じるかもしれません。初めてビールを飲んだのが居酒屋なら、スーパーに並んでいるビールが非常に安く感じることでしょう。

こうやって、過去の買い物の記憶をたどっていくと、これまでに買ったほとんどの商品は、その絶対的価値を吟味していないことがわかります。

需要と供給で価格が決まるか

商品の市場価格は、需要と供給で決まるというのが通説です。

ある商品を欲しいと思っている人の数が、商品の数よりも多ければ、市場価格は上昇します。反対に商品を欲しいと思っている人の数が、商品の数よりも少なければ、市場価格は低下します。

学校の社会の授業で習ったことがあるでしょう。

しかし、価格は、必ずしも需要と供給で決まらないことが、「予想どおりに不合理」の中で紹介されています。

学校の中にお菓子売り場を設置し、キャラメルを1セントで販売した場合と無料にした場合に学生はどういう行動をするかを実験しました。1セントよりも無料の方が、買う側にとって良いに決まっています。学生だって同じことを考えるものです。だから、キャラメルが1セントで売られている時よりも、無料の時の方が売店に3倍の学生が訪れキャラメルをもらっていきました。

ところが、無料の時には1人につき平均1.1個のキャラメルしか持っていかなかったのに対して、1セントで販売した時には平均3.5個のキャラメルを学生は買っていきました。キャラメルが無料の場合は、明らかに1個につき1セント安くなっているのですから、学生はより多くのキャラメルを持っていかなければ理屈に合いません。

このような不合理な行動をする理由として、私たちは社会的交流と市場的交流の2つのルールの中で生きていると考えることができます。

キャラメルが無料の時は、ちょっと遠慮してしまうという社会規範が優位になり、1個しかキャラメルを持っていかなかったのでしょう。しかし、1セントを支払ってキャラメルを買う場合は、市場規範が優位となり、お金を出した分だけキャラメルを持って行っても良いと考えるようになったのでしょう。

託児所の例も興味深いです。約束の時間に子供を迎えに来れない親がいました。そこで、遅刻した場合に罰金を取るようにすれば、子供を約束の時間に迎えに来るに違いないと託児所は考えました。しかし、結果は、罰金を取るようになって、逆に遅刻する親が増えたのです。罰金、すなわちお金を支払えば、遅刻する権利が手に入ると考えた親が増えたわけですね。

友人に引越しの手伝いを頼まれたら承諾する人は多いでしょうが、「引越しの手伝い1回につき500円あげる」と言われたら、「なめてるのか」と思って断るのではないでしょうか。

社会的交流の中に市場規範が持ち込まれると、人は不愉快な気分になります。需要と供給だけで価格が決まらないのは、我々が、この2つの世界で生きているからと言えそうです。

現金は盗みにくい

職場の金庫から100円を盗む人は滅多にいません。でも、備品のボールペンを家に持ち帰ったことがある人は少なくないでしょう。ボールペンも100円くらいの価値があるので、それは現金100円を盗んだのと同じ悪さをしたと言えます。

貨幣が流通している社会で生きている我々現代人は、どうも、現金を一段高いものと見てしまうようです。逆に言うと、現金以外のものは、現金よりも価値を下に見てしまう癖が身についているようです。

ボールペンを職場から持って帰っても、100円玉は持って帰りにくいもの。

机の上に千円札が置かれていれば盗みませんが、1,000円分の割引券が置かれていれば、つい手が出てしまうのではないでしょうか。実際に学生で実験しても、試験の点数に応じて現金を与える場合よりも、現金と交換できる券を与える場合の方が自分の得点を水増しして申告した学生の数が多かったそうです。

どうやら現金には、我々のよこしまな気持ちを表に出さない力があるみたいです。というより、現金から離れていくほど、我々は悪さをするようになると考えた方が良さそうです。

ただ、学生に十戒を思い出させた後に試験を行うと、まったく不正をしなかったので、倫理教育によって悪さをさせないようにすることはできそうです。


世の中は進歩しており、いずれは現金を使わない完全キャッシュレスの時代が来るかもしれません。

キャッシュレス決済は便利ですが、新たにセキュリティ面の課題が出てきます。技術の向上によって、クレジットカードや電子マネーの不正利用が減ることが期待されます。しかし、現金からちょっと離れたクレジットカードや電子マネーを不正利用しても、現金を盗む時のような罪悪感を感じなくなりますから、現金の窃盗被害よりも、クレジットカードや電子マネーの不正利用は増えるでしょう。

キャッシュレス決済の安全性は、技術の発展だけでなく、人の不合理な行動を合理化することで向上するのかもしれません。

余談ですが、貯めたポイントを1ポイントから使えないようにするのも、それが現金ではないことと関係しているように思えます。500ポイントも1,000ポイントも貯めないと買い物に使えないようにすれば、有効期限が来てポイントが失効しやすくなります。

客から現金を盗まなくても、ポイントを使いにくくするのは、現金を盗んでいるのとあまり変わらないでしょう。