現代のような貨幣経済が発達した社会では、経済学が重要な学問となっています。
経済学では、複雑な数式が出てきたり、非現実的な前提をもとにしてモデルが組み立てられたりするので、取っつきにくいイメージがあります。しかし、最近では、人の心を分析する経済学が注目されるようになり、自分たちの行動がどのように経済に影響を与えているのか、一般人でもイメージしやすくなっています。
人の心に焦点を当てた経済学を行動経済学といいます。
男女の行動の違いはどこから生まれるのか
行動経済学について書かれた書籍では、日本経済新聞社編の「やさしい行動経済学」が初学者にわかりやすいです。
同書では、行動経済学を通して、現代社会が抱える問題をどうすれば解決できるかのヒントが述べられています。雇用問題や環境問題など、現代社会が抱えている問題は多岐にわたっていますが、我々は思い込みで、それらの原因をこれだと決めつけている部分があります。行動経済学では、そのような決めつけが正しいのかどうかを考えるきっかけを与えてくれます。
例えば、男女の行動の違い。
男女の行動の差は、生物学的な性差によって決まっている部分がありますが、それだけではありません。
企業のリーダーになるのは、女性よりも男性の方が多いです。男性はリスクをとりがちで女性はリスク回避的だから、男性のリーダーが多いと考えられがちですが、それは、必ずしも生物学的な性差だけで説明できるものではありません。
インドのカーシ族は婿入り婚が基本の女系社会です。一方、アフリカのマサイ族は妻は男性の財産だとする男尊女卑社会です。
この2つの社会を比較すると、カーシ族では男性よりも女性の方が競争を選び、マサイ族では女性よりも男性の方が競争を選ぶ傾向があります。両者の比較から推測できるのは、女性の方が自信過剰になったり、男性の方が自信過剰になったりするのは、後天的な影響に左右されるということです。
日本企業で、男性の方が女性よりも管理職に就きやすいのは、男性は外で働き、女性は家を守ることを当たり前だと、子供たちに教えてきた結果なのかもしれません。
差別は生産性を下げる
例えば、人種差別。
米国の経済学者であるゲーリー・ベッカーは、偏見を持つ人間が差別的な行動をとれば市場から駆逐されるので、市場には差別を減じるメカニズムが働くと主張しました。
生産性が全く同じ白人と黒人がいた場合、偏見のない経営者は、どちらを雇っても構わないと考えます。しかし、黒人が差別されている社会だと、白人に支払うべき給料が高く、黒人に支払うべき給料が安くなります。この場合、偏見のない経営者は、黒人を雇用します。なぜなら、生産性が同じなら、給料の低い黒人を雇用した方が利益を増やせるからです。
ところが、黒人に偏見を持つ経営者は、給料の高い白人を雇用します。市場原理からすれば、給料の安い黒人を雇った方が価格競争力が増すのですから、給料の高い白人を雇った企業が市場から退場することは明らかです。
一方、同じ米国の経済学者であるケネス・アローが、統計的差別という概念を主張しました。もしも、経営者の過去の経験や統計データにより、白人は黒人よりも生産性が高いと考えられていた場合、その他の条件に差がなく給料も同じなら、白人を採用することになります。
どちらの主張であっても、生産性が同じであれば同じ給料で雇うべきだと考える人は多いはずです。しかし、現実に差別的な取り扱いがあるのなら、人の心に後天的に刷り込まれたものがあるのかもしれません。
障害を作り出すもの
女性が家を守るべきと考えられてきた日本社会では、今でも、家事は女性の仕事と考えられがちです。
男性は外で働き、女性は家事をするという価値観が浸透した社会では、男性は女性が外で働くことに偏見を持ちやすく、それは女性の価値観にも影響を与えます。そして、このような価値観が社会に浸透すると、役割分担のバランスも社会の中で安定的に推移するようになります。
すなわち、男性が女性に家事を求めるだけでなく、女性も自分は家事をするものだと思い込み、家事をしないことを選択すると罪悪感を感じるようになるのです。また、男性も、女性が家事をするものだとの思い込みがあるので、男性が家事をすることの心理的コストが大きくなります。
男女の役割分担は、生物学的な性差よりも、このような偏見の固定化による影響が強そうです。
やさしい行動経済学では、男女の役割分担以外にも、偏見について興味深い記述がありました。
米国で先天的に耳が聞こえない人は約6,000人に1人いるそうです。対して、ヴィンヤード島のチルマークという町では25人に1人が先天的に耳が聞こえないそうです。
我々日本人の感覚だと、耳が聞こえない人は障害を持っているとなりますが、チルマークの人たちはそう考えていないようです。なぜなら、耳が聞こえない人が多いチルマークでは、家族に耳が聞こえない人がいる場合に健常者が手話を用いて会話するので、耳が聞こえないことが障害になりにくいからです。
これらの事例でわかること、それは「障害」というのは社会の人間関係の中で生まれてくるものであって、必ずしも固定的なものではないということです。それにもかかわらず、私たちは自分が慣れ親しんでいる社会を基準にして物事を判断してしまうため、障害を個人の属性と考えてしまいがちです。私たちの心が「障害」を生み出してしまっているといってもよいでしょう。(91ページ)
経済学の世界では、人は合理的に行動するものだとの前提で議論が進むことが多かったのですが、行動経済学によって人の心が経済に与える影響の大きさが知られるようになりました。
いや、昔から経済学は人の行動を研究し続けているのですが、いつの間にか多くの人が複雑な数式を使った非現実的な学問と思い込むようになったようです。複雑な面ばかりに焦点が当てられてきたから、経済学がどこか無機質なものに感じられるようになったのかもしれません。
これも一種の偏見でしょう。