ウェブ1丁目図書館

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災害から逃げ遅れないためにはレッテル貼りをしないこと

地震や台風といった災害が発生した際、逃げ遅れる人がいます。

避難訓練を経験していたり、事前にテレビのニュースなどで警戒するように注意喚起していても逃げ遅れる人が出てきます。逃げる時間がなかったという場合はどうしようもないですが、明らかに非難する余裕があったにもかかわらず逃げ遅れるのはなぜなのでしょうか。

のんびりとした性格だから逃げ遅れたのでしょうか。楽観主義者だから逃げ遅れたのでしょうか。

いろいろと推測してしまいますが、性格を理由にしている限りは、災害で逃げ遅れる人を減らすことはできません。

血液型占いは当たる

ところで、血液型で人の性格を判断できるでしょうか。

血液型占いを信じる人もいれば、信じない人もいます。

人の性格は多種多様です。しかし、血液型は4種類しかないので、人の性格も4種類しかないと考える血液型占いは信じられないと考える人は多いと思います。

でも、血液型占いと同じような考え方をしている人は多いです。

行動分析学を専門とする島宗理さんの著書「人は、なぜ約束の時間に遅れるのか」には、血液型占いと人の性格の関係について興味深いことが述べられています。

約束の時間を守る人のことを「几帳面な人」と表現することがあります。

例えば、誰もが几帳面だと思っている山田さんがいたとします。

ここで、「山田さんが、なぜ几帳面だとわかるのか」を山田さんの知人にたずねたとしましょう。ある人は「約束を守るから」と言うかもしれませんし、ある人は「整理整頓をしているから」と答えるかもしれません。

確かにこのような行動をする人は、几帳面な性格の人と思われています。では、次に「山田さんは、なぜ約束を守ったり、整理整頓をするのか」を問われた時にどう答えるでしょうか。

「几帳面だから」

と答えてしまうと循環論に陥ってしまいます。

これでは、山田さんが、約束を守る理由も整理整頓をしている理由にもなりません。

ただ、山田さんに「几帳面」というレッテルを貼っているだけです。

血液型占いの場合はどうでしょうか。

山田さんは約束を守るし整理整頓もしっかりするから、「きっとA型に違いない」と思い、山田さんに血液型をたずねたところA型だと答えました。「やっぱり、そうだった。だから、山田さんは几帳面な性格なんだ」と納得し、山田さんにも、「A型の人は几帳面な人が多いから、山田さんもA型じゃないかと思ったのよ」と教えてあげました。

一方で、B型の鈴木さんがいました。鈴木さんは、自分が興味を持ったことに集中するタイプの性格でした。そこで、「血液型がB型の人はマイペースだから、鈴木さんはきっとB型よ」と想像して、鈴木さんに血液型をたずねたところB型だと答えました。だから、鈴木さんに「B型の人はマイペースな性格だから、鈴木さんはB型だと思ったのよ」と教えてあげました。

このような血液型信仰が社会に広まるとどうなるでしょうか。

ある時、B型の鈴木さんは、数人の友人と食事に行くことにしました。友人たちは、イタリアンを食べたいと言いましたが、鈴木さんは牛丼が食べたいと言いました。この時、友人たちが血液型占いを信じていれば、「鈴木さんはマイペースなB型だから、きっと自分の意思を貫いて1人でも牛丼を食べに行くかもしれない」と思うかもしれません。そうすると、友人たちは、みんなで仲良く食事をしたいから、イタリアンを食べたい気持ちを抑え、牛丼を食べに行くことを渋々ながら認めるでしょう。

こういうことが起こると、鈴木さんは、「自分の要望を人に言うと聞き入れてもらいやすい」と思い、次からも自分の要望を友人たちに伝えていくでしょう。友人たちも、「B型の鈴木さんの言うことだから仕方ない」と諦め、鈴木さんに従うようになります。

さて、鈴木さんは、本当にB型だからマイペースなのでしょうか。

鈴木さんは、自分の要望を友人たちに伝えると聞き入れてもらえると思うから、自分の要望を口に出すのです。つまり、要望を声にすることで、その要望が叶うことが過去に何度もあったから、自分の要望を友人たちに伝えるようになっただけです。

そうすると、鈴木さんの行動は、あたかも血液型の性格診断と同じようなものとなっていき、血液型占いを信じている人は、ますます血液型占いは当たるのだと思うようになります。

血液型と性格に科学的な関係性はないのでしょうが、血液型占いを信じている人が多い社会では、人の行動は血液型占いの性格に近い行動になり得るのです。

災害で逃げ遅れるのは過去の経験と関係がある

災害で逃げ遅れる人の話に戻します。

災害で逃げ遅れる人は、楽観主義だから逃げ遅れるのでしょうか。

実は、災害で逃げ遅れるのは、血液型占いを信じる人が多い社会と似ています。

例えば、何度も避難訓練をしていると逃げ遅れないと思うかもしれませんが、避難訓練の頻度が多いと、警報が鳴った時に「きっと、今回も避難訓練に違いない」と思ってやり過ごそうとする人が出てきます。そして、本当の災害だったと知った時には逃げ遅れています。

きっと、災害後に知人たちは、「彼は楽観主義者だから大丈夫だと思ったのだろう」と話すでしょう。

しかし、逃げ遅れたのは、過去に何度も避難訓練を経験し、警報の音を聞きなれていたから、今回も避難訓練だと思ったことが原因です。また、周囲の人が慌てていないから大丈夫だろうと思い、逃げ遅れることもあります。

警報に従って避難しても、大したことなかったら、仕事に遅刻した言い訳にならないから、じっとしていようと思う人も出てきます。

しかし、逃げ遅れたら命に係わるのだから、そんな悠長な人はいないだろうと思うかもしれません。でも、大災害が起こった時、逃げようと思えば逃げられたのに逃げ遅れた人はいます。その理由はこういうことです。

それは災害の発生頻度やそれによって自分の身に危険が及ぶ確率が低いことに原因がある。これが常時そうした事故の危険があるトンネル工事の現場だったらどうだろう。ちょっと一服中だからといって、警報サイレンを聞いてもその場に留まる人はまずいないはずだ。(160ページ)

島宗さんは、このような状況を打開するために災害ボランティアのような役割をする人を養成することを提案しています。

鉄道事故が起こった時に先頭を切って真っ先に逃げ出す役割を演じてもらったり、本物の警報が鳴った時に「これは本番です」といったメールを送信する役割を担ってくれたりする人がいれば、災害が起こった時に逃げ遅れる人を減らせます。


災害は忘れた頃にやって来ます。だから、災害に備えるのは難しいのです。

そして、血液型占いのように決めつけや思い込みが強くなること、つまりレッテル貼りをすることが多くなると、本当の災害が発生しても「避難訓練に違いない」と思い込み、逃げ遅れる確率が高まるのかもしれません。