ウェブ1丁目図書館

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小さな問いを立て続ける過程で得た知識が身になる

博学とは何だろうかと考えた時、それは多くの知識を持っていることだとの結論にいたります。

そうすると、博学な人とは、単に知識量が多い人ということになります。でも、なんとなく、それは博学とは違うような気がします。情報を詰め込むだけならコンピューターの方が圧倒的に有利ですから、人よりコンピューターの方が博学なはずですが、そう思う人は少ないでしょう。

博学とは、情報を入手する過程にあるのではないか。単にインプットするだけならコンピューターの方が優れているけども、意味を持ってインプットするのは人にしかできないのではないか。

そう考え始めると、他人を博学だと思うことと、その人が情報をインプットする過程との間に何か関係がありそうだと気づきます。

「では派」と「とは派」

何でも知っている人は、たくさんいます。そして、彼らの多くは、「最新の研究では」とか「ある分野の専門家の話では」とか、答えを外に求めています。

予防医学者の石川善樹さんも、かつてはこのように「○○では」を使う「では派」だったと著書の『問い続ける力』で述べています。「では派」の人は、よく勉強します。だからいろんなことを知っています。しかし、その知識は単に右から左に移しただけです。コンピューターにもできてしまいます。

「では派」の対局にあるのが、「とは派」です。

「とは派」は、情報が入ることで自分の思考が邪魔されるのを恐れます。自分で考え続け納得できたところで、ようやく外の世界に目を向けるのが「とは派」です。

「とは派」になるためには、まず問いを立てる必要があります。「××とは」という問いです。

かつて、ブラジルは、エイズの感染者が多かったのですが、2000年代に入って急激に感染率が下がりました。世界銀行の研究者たちは、治療より予防に力を入れるべきだと述べ、感染者の死はやむを得ないものだと勧告します。ところが、ブラジルは、この当たり前とも言える勧告に従わず、どうすれば、誰一人見捨てずに済むかという問いを立てました。

そして、エイズの治療を無料にするとの結論にいたりました。これを知ったブラジル国民は、検査を受けるようになり、そこで得た予防の知識を国中に広め、やがて、エイズの感染率は0.6%まで下がったのです。

もしも、ブラジルが「では派」と同じ発想だったら、世界銀行の研究者たちの勧告を鵜吞みにし、エイズ感染者を見捨てていたでしょう。それにより、エイズの感染率が劇的に下がったかもしれませんが、エイズの予防の知識はブラジル国民に広まることはなかったかもしれません。治療より予防だとの研究者たちの勧告は、彼らの言葉を鵜吞みにせず問いを立て、治療を優先したブラジル政府によって皮肉にも実現されたのです。

信じる力

我々人間には、自分の見たいものを見るというバイアスがあります。これが、視野を広げることを妨げているのですが、自分ではなかなか気づきません。

自分が知っていることは狭い範囲のことだけという意識を持つことで、視野を広げることができます。そのような意識を持つためには、信じることが必要だと石川さんは述べます。信じるとは、カルト宗教に対する盲目的な信心ではなく、世の中には、自分が想像できないような真実があり、まだ自分はそれを知らないことを信じることだと。

専門的な知識を有している人ほど、この信じることをできていないように思います。答えは、きっと自分が属する業界内にあると信じ、ただひたすら深掘りする人が多いのではないでしょうか。自分の専門分野に関する問いが、他分野ではすでに解決されているかもしれないと信じる力が、問題解決の過程では重要となります。

また、別の言い方をすると、信じる力とは「物事には共通するメカニズムがある」ということを信じることでもあります。自分の専門分野が、他の分野と関係をなしており、あらゆる事象が、複数の歯車が同時に動くように連動しているのだと信じることで、視野が広がっていくのです。

自分が何を信じているのかに自覚的でない限り、「直感を超えた不思議」に気づく機会はないだろうし、それゆえ新たなイマジネーションも得られないだろう。(40ページ)

同じ情報をインプットするにしても、単にある情報を知ることと、問いを立て、その答えを見つける過程で得た知識とでは意味が違ってきます。問題を解決する能力という点では、後者の方が役立つ知識と言えるでしょう。

小さな問いを設定して継続する

何かを成し遂げるためには継続が必要です。短時間の努力だけで結果を出せる天才がいますが、多くの人は、地道に継続しなければ結果を出すことはできません。

しかし、ただ継続すれば結果が出るものでもありません。根性で毎日バットの素振りを1000回やっても、プロ野球で通用するホームランバッターになれるとは限らないことを多くの人は知っているはずです。1000回でダメなら2000回、それでもダメなら3000回と考えがちですが、根性だけで乗り越えようとするのは得策ではありません。

何かを成し遂げるためには1万時間必要だと言われていますが、同じことを1万時間続けていても無駄だということは誰にでもわかっていることです。確実に成長しようと思うなら、小さな問いと小さな報酬を設定するのが良いとのこと。

例えば、営業パーソンなら営業成績を報酬とすることになりますが、この報酬は大きすぎて役に立ちません。そこで、大きな報酬を小さな報酬に変換します。営業成績であれば、1日の訪問件数を増やすといった小さな報酬にします。そして、訪問件数を1件増やすにはどうすれば良いかという小さな問いを設定します。

高いパフォーマンスを上げ続けている人は、この小さな報酬の設定から小さな問いを見つけることを継続している人なのだろうと石川さんは推測しています。


本書では、問い続けている人たちと石川さんの対談も収録されています。その中で、ボストンコンサルティンググループ シニア・アドバイザーの御立尚資さんが、有名なアントレプレナーの方が「夢に日付を付けよう」と言っているのに懐疑的だと述べています。それができなかったときにどうするのかと。夢の日付が近づいてきて何も達成できていない自分に気づいたとき、そこには絶望しかないでしょう。

何かを極めた人は博学に見えます。それは、ただいろんなことを知っているということではありません。小さな問いを立て、その答えを見つけていく過程で身に着けた知識が活かされているから、そう見えるのです。