ウェブ1丁目図書館

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努力する人類を操る植物のしたたかな生存戦略

香ばしく焼きあがったパンの上でとろけるバター。想像するだけで、口の中いっぱいに小麦のほのかな甘みが広がります。

今度は、焼きたらこが乗った炊き立てご飯を口の中にかき込む動作を思い浮かべてみましょう。ご飯がたらこの塩辛さを中和し、程よい旨味を作り出してくれます。

炭水化物は、なんてすばらしい食べ物なんだ。

思わず喜びの声を口に出しそうになります。

しかし、炭水化物は人間にとってすばらしい食べ物ではなく、人間を操り人形にするために植物が生み出した快楽物質だとしたら・・・。

糖質は麻薬と同じ快楽物質

違法薬物を使った、あるいは持っていたとして有名人が逮捕されるニュースを見ることがあります。

なぜ、麻薬を使ったら逮捕されるのか。それは、麻薬が廃人を生み出すものであり、麻薬使用者が他者を傷つけることがあるからだと答える人がほとんどだと思います。

コカインなどの違法薬物は、A10神経ドーパミン分泌スイッチを押し、報酬系を刺激して快楽を生み出します。麻薬による快楽は人を狂わせます。常習化すると、廃人になるまで麻薬を使い続けるのですから、悪魔の薬でしかありません。

それなら、糖質も同じです。糖質は炭水化物に含まれる食物繊維を除いた残りの部分です。日頃食べている炭水化物には、少ししか食物繊維が含まれていないので、糖質と炭水化物はほぼ同義です。

糖質もコカインなどの麻薬と同じようにドーパミン分泌スイッチを押し、快楽を生み出します。快楽を生み出す仕組みは麻薬と同じでも、糖質を摂取したからと言って逮捕されることはありません。麻薬を使ったら逮捕されるのに糖質を食べても逮捕されないのは、単に前者が違法とされているからとしか答えようがなさそうです。

「いやいや、ご飯やパンを食べても廃人にはならないので、麻薬と比較するのは違う」

という声が聞こえてきそうですが、本当にそう言い切れるでしょうか?

採集、狩猟、農耕へと移った人間の食物獲得行動

先史時代、ヒトは何を食べて生きていたのか。

形成外科医の夏井睦さんは、著書の「炭水化物が人類を滅ぼす【最終解答編】」の中で、初期人類は「昆虫や節足動物、貝などの軟体動物、小動物、木の実など」を食べていたことがわかっていると述べています。

これらの食物は、その辺に落ちているようなモノなので、手に入れるのに苦労しなかったはずです。なので、採集を行っていた時代には、ヒトは飢えとは無縁であり、短期的に食料が不足することはあっても常態化することはなかったと考えられます。

ヒトが狩猟をし始めたのは、採集よりも後で、農耕は狩猟よりもさらに後のことです。そして、ヒトが飢餓に苦しむようになるのは、農耕開始以降であり、採集時代には「食べ物が不足する」ということを全く考えずに生きていたそうです。ヒトが未来を想像できるようになったのは、数を数えられるようになってからだと言われていますから、数の概念を持っていなかった時代には未来を予測できなかったでしょうし、「食べ物が不足する」かもしれないと怯えることもなかったでしょう。

何よりも、移動しながら拾って食べる生活をしていたのですから、食べ物が無くなれば他の土地に移れば済むだけ。そう初期人類は、困ったときは、そこから逃げ出し困難に立ち向かわない「努力しない脳」の持ち主だったのです。

では、狩猟や農耕はどうでしょうか。これらの活動には努力が必要です。狩猟であれば、獲物を追い込むためにはどのように近づくべきか、息の根を止めるためにはどんな武器を作るべきかを考えなければなりません。農耕の場合も、農機具を作る必要がありますし、土地をどのように耕すかも考えなければなりません。つまり、狩猟以降のヒトは「努力する脳」を持つようになっていたのです。

努力が報われると快楽を感じる

ヒトの脳が、「努力しない脳」から「努力をする脳」へと変わっていくと、様々なモノを生み出すようになります。何か新たな発明をすれば、他者から称賛されます。その時、ドーパミンが分泌され、ヒトは快楽を感じます。成果を出せば快楽を感じるからこそ、ヒトは努力できるのかもしれません。

さて、ヒトの文明は、道具を使うことで発展しましたが、それに拍車をかけたのが火の使用だと考えられています。しかし、夏井さんは、この通説は原因と結果が反対だと指摘しています。

そもそも、ヒトは努力しない生き物でした。100万年以上もの間、石器に改良を加えずに使用し続けていたのですから、石器よりも使い勝手の悪い火を巧みに使いこなすことなど無理な話です。ヒトが火を使えるようになったのは、石器に改良を加えはじめた5万年前あたりで、その頃に「努力しない脳」から「努力する脳」に発達し、火を使いこなせるようになったのではないかと。

19世紀に入っても、火をおこすのは非常に手間のかかることだったことからも、石器の改良前の時代にヒトが巧みに火を扱っていたとは想像できません。


努力するヒトは結果を出すことで快楽を感じます。それと同じように炭水化物を摂取しても快楽を感じます。幸か不幸か、ヒトは麦や稲を栽培することで、炭水化物という快楽物質を容易に手に入れることができるようになりました。農耕は手間のかかる仕事です。穀物が食べれるようになるまでに数ヶ月間、我慢しなければなりません。農耕を開始したばかりのヒトが、忍耐の末、黄金色に広がる平原を見た時、きっとドーパミンが分泌されたことでしょう。そして、それを食べた時も、報酬系が刺激され幸福感で満たされたはずです。

しかし、ヒトは炭水化物という快楽物質を手に入れたことで、多様性のある食生活を捨てることになります。昆虫も爬虫類も両生類も、先進国で食べているのは少数派でしょう。食の多様性を捨て農耕を始めたヒトは、不作による飢餓、集団生活による感染症の蔓延、生活習慣病に悩まされ始めました。

ところが、それに気づいている現代人はほとんどいません。

人類は、植物を上手に利用して生きているように思えますが、実際は植物が努力するヒトを巧みに操っているだけかもしれません。麻薬の害はすぐに現れますが、炭水化物の害はすぐには現れません。だから、その害に気づきにくく止めにくいのでしょう。