ウェブ1丁目図書館

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佐久間象山に学ぶ。思想が違えば善悪はひっくり返ることもある。

人には人の考え方があり、どういった思想を持っても自由です。

これが現代の民主主義の考え方ですよね。しかし、他人の権利を侵害する行為は罰せられます。

でも、民主主義を標榜している国家が、他国を侵略することについては、その国の人々の自由を奪ったとしても何の問題もないという時代がありました。19世紀の帝国主義の時代なんかが代表的な例ですね。

弱い者いじめを許さないのが東洋の思想

今も昔も学校では、いじめがよく問題になります。

いじめに関してどう思いますか?

「多くの人が、いじめは良くない。いじめる方はいじめられる方の気持ちになったら、どれだけ辛いことか考えなければならない」

そんなことを学校の先生や両親から教わってきた方は多いはず。しかし、弱いものが悪いんだという考え方もあります。今では、そういった考え方は少数派なのかもしれませんが、ほんの100年ほど前までは弱肉強食が世界の主流だったのです。

山岡荘八さんの小説「高杉晋作」の2巻では、佐久間象山高杉晋作に日本やそれ以外の東洋の国々を侵略しようとしている西洋諸国の考え方を説く場面があります。その中で佐久間象山は、東洋の思想と西洋の思想について述べています。

「わしはあえて儒学を軽んじたり、神道国学を非難したりするつもりはない。(中略)その功績をけして無視するものではないが、今度われらの上に襲い掛かって来た洋夷は、これらの学問とは全く異質の学問によって文明を築いて来た者どもじゃ。彼らは、他国の侵略を悪とは考えてはおらぬらしい。つまり強い蛇が弱い青蛙を呑むのは悪ではない。弱肉強食は天地自然の法則であって、征服した者が征服された者を治めるのは、理の当然と信じているらしい」
(147ページ)

日本でも戦国時代は、まさに弱肉強食の時代でした。しかし、これではいつまで経っても争いが無くならないということで、江戸幕府儒学の中の朱子学を採用し、聖人君子の道を説いたのです。すなわち、強い者が弱い者いじめをするのは良くないという考え方を当時の人々に刷り込んでいったわけです。

だから、黒船に乗って日本を侵略しに来た欧米人に対して高杉晋作は道義を解そうとしない彼らに嫌悪感を示したんですね。

しかし、当時の日本人と西洋人とでは、根本的な思想が全く異なっていました。そして、どちらも自分たちの思想が当然のものだと信じ込んでいたのです。

弱肉強食は天地自然の法則

日本では強者が弱者を取って喰うのは最大の悪業と江戸時代以降は考えられていました。

高杉晋作の時代も現代もその考え方は同じです。

でも、帝国主義の時代の西洋では、弱肉強食は日本やほかの東洋の国々とは異なり、それが天地自然の法則と見ていたのですから、他国を侵略することに罪悪感はありません。それどころか、弱肉強食こそ正しい考え方だと信じていたわけです。

これは無道ではない。無道どころか、この方が大きな道だと考えている。彼らは、われわれ日本人などよりも、数倍も数十倍も残酷に殺し合うことに徹底して生きて来た人種なのだ。そこに彼らの文明が生まれた。より多く殺すために鉄砲よりは大砲、より多く征服するためには木の船より鉄の船、より勝つためには人が手で漕ぐ船よりも蒸気の力で走る船。それで彼らはエレキを発見し、宝を求め、奴隷を鞭打って、とうとう日本国の周囲までやって来てしまった・・・・・
(148ページ)

日本では、江戸時代以降、道を譲ることを美徳、争うことを悪と考えてきました。他人と争うのであれば、自分が飢えることを選ぶ、これこそ美徳だと。

ところが西洋諸国はそう考えませんでした。優れている者が生き残ることこそ天地自然の法則である。その考え方で、多くの殺戮と勝利を手にし築き上げてきた文明が、当時最も先進的なもので、西洋諸国の人々を裕福にしてきたのですから、それこそが正しい道だと信じるのも一理あります。

思想ごと相手を飲み込む

殺すことを悪と考える文明と殺すことを善と考える文明。

後者が軍事力で勝っていれば、前者が負けて彼らの支配下に入ることになるのは当然です。

これは殺すこと、勝つことをもって天地の法則と考え、殺戮と勝利の文明を築き上げた者どもが、その反対の殺すことは最大の悪徳と考えている人々の国に襲いかかって、両者の間に引起された空前の大衝突なのだ。この勝敗は、儒学国学ではやつけようがない・・・・・。彼らの学問と文明をまず征服するのでなければ、この戦いは勝てないのだ。
(149ページ)

弱者が強者に立ち向かうためには、強者を思想ごと呑みこむしかないということでしょう。力と力でぶつかり合っても、決して弱者が強者に勝つことはできません。

妄想ばかりせず自然科学にもっと目を向けるべき

現代の日本では、他人の考え方を尊重する傾向が強すぎるように感じます。

それはそれで大切なことかもしれません。しかし、考え方とは別の言い方をすれば妄想でしかありません。つまり、現代日本人は、他人の考え方を尊重し過ぎるあまり妄想ばかりを口にする人が増えすぎているのです。

佐久間象山は、こう述べています。

人間妄想は少ないほどよい。美しい女子が欲しかったら手に入れるように計らうこと、美味い酒が呑みたかったら汲んで呑むこと。藩や、日本国のことにしても同じじゃ。国のためは藩のため、藩のためはわが家のため・・・・・みな一つなりと考えて、やれること、やらねばならぬことをどしどしやってゆく。その実行力がなければ書物棚の書物と同じことじゃ。
(152ページ)

これはどういう意味でしょうか?

僕が思うには、世の中、必ず答えがひとつしかないことがあります。例えば自然科学がそうでしょう。

他人の考え方を尊重するあまり、答えがひとつしかない事象に対しても複数の答えを容認しているように感じるんですよね。

思想とか哲学とか、何やら難しい言葉ですが、結局それらは人間が頭の中で作り上げたものでしかありません。すなわち、妄想なのです。その妄想を現代日本人は、自然科学の分野にまで当てはめようとしているのではないでしょうか?

思想が違えば善悪の捉え方なんて異なります。

思想が増えれば増えるほど対立した考え方も増えていきます。それは、やがて争いへと向かうのではないでしょうか?


他人の考え方を尊重することも大切ですが、ひとつの答えを見つけ出すことも重要なことなのです。

高杉晋作(2)(山岡荘八歴史文庫78)

高杉晋作(2)(山岡荘八歴史文庫78)