この時、将門は、自らを新皇と名乗ったのですが、これが、後の世でけしからんと言われます。朝廷に刃向い、自分を新皇だと名乗ったのですから、戦前の天皇陛下が絶対だという教育では、彼を悪人にするのは当然と言えば当然なのですが。
でも、平将門は、朝廷に対して反乱を起こしたのではなく、口のうまい平貞盛によって謀反人に仕立て上げられたので、戦前の平将門の評価は、ちょっとかわいそうですね。
叔父に奪われた父親の遺産
平将門の人生を知るには、吉川英治さんの小説「平の将門」が読みやすくておすすめです。
将門は、幼い時に父の良持が亡くなり、国香、良正、良兼の3人の叔父に面倒をみてもらいます。良持は、自分が持っていた田領等の財産を国香たち兄弟に管理してもらうように頼みます。そして、将門が大きくなった時にそれらの財産を返してやってほしいと遺言を残してこの世を去りました。
この3人の叔父が、なかなかの悪でして、良持から預かった財産を自分たちで山分けし、将門の養育は適当に済まします。
将門が年頃になった時には、一人で遠くの牧場に馬の種付けに行かせ、途中で暗殺しようとします。これは失敗に終わるのですが、それでも、将門が関東にいると邪魔だから、何かと口実をつけて京都で働くようにすすめ、彼を故郷から追い出しました。
京都で世間を知る
京都に到着した将門は、藤原忠平のもとで働くことになります。
当時は、政治の中心は京都だったので、将門は働きながら、世間のことを少しずつ学んでいきます。そして、自分が叔父たちに体よく関東から追い出されたことにも気づくようになりました。
京都で働き、立派に成長した将門は30歳近くになって故郷に帰ります。
彼には3人の弟がいたのですが、叔父たちは弟の面倒もいい加減にしか見ておらず、また、将門が留守にしている間にさらに兄弟の財産を奪っていました。
京都で世間のことを勉強してきた将門は、まずは、叔父たちのもとに訪れ、父良持の遺言どおり、財産を返してくれるように頼みます。すると、叔父たちは、今まで将門兄弟の面倒をみてきてやったのに財産を返せとは、恩知らずな奴だと言い、将門を袋叩きにします。
その後も叔父たちの嫌がらせは続き、やがて良持の十七回忌の時に叔父たちのもとにやってくる将門をその途中で暗殺しようとしました。しかし、叔父たちの思うように将門を暗殺できず、それどころか、激怒した将門に反撃を食らいます。
将門の怒りはすさまじく、叔父の一人国香が、戦いで討ち死にする事態に発展しました。
口のうまい平貞盛
このような事態になったため、国香の子の貞盛は朝廷に争いの原因を作ったのは将門だと訴え、罰を与えるように主張します。そのため、将門も上京して、叔父たちが自分の領地を奪い取ったことが、このたびの争いの原因だと裁判で訴えました。
判決は将門の勝訴。
これで、2人の叔父たちも手を出してこないだろうと思ったのですが、そのようなことはなく、相変わらず、将門を殺そうと企みます。将門も、叔父たちが攻めてくる以上は戦わざるを得ません。
このように両者の争いは、激化していき、将門は最愛の妻を失うことになりますし、叔父側も大きな損害を被りました。
関東の争いが大きくなると、中央の朝廷も無視することができません。しかも、関東から逃げてきた平貞盛が、またしても、将門の悪口を方々で吹聴していたので、朝廷もとうとう将門追討を決断します。
そして、将門は藤原秀郷に討ち取られました。
嘘を言い続ければ人は信じる
天慶の乱は、3人の叔父たちが将門兄弟から財産を奪い取ったことが原因で起こったのは明らかなのですが、平貞盛という口のうまい人間によって、世間がころっと騙され、最終的に平将門が悪者とされてしまいました。
これって、現代でも同じですよね。
とにかく自分を正当化するためにいろんなところで、相手の悪口を言い触らすと、やがて事実ではないことが事実として伝わり始めます。そうすると、悪口を言い触らされた方は、いつのまにか周囲が敵だらけになっています。
事実がどうなのかということは、その時には確かめられず、かなりの時間が過ぎてから、人々に理解されるのだということを、「平の将門」を読んで理解しましたね。
世界で今起こっている紛争も、何が原因だったのかを人々が知るようになるのは、遠い未来のことなのでしょう。その時には、当事者はすでにこの世にいないのでしょうが。

- 作者:吉川 英治
- 発売日: 1989/05/09
- メディア: 文庫