地球上に存在する物質は、様々な原子の組み合わせでできています。
金、銀、銅、鉄などは、人類が随分前からお世話になってきた馴染みある原子で、多くの人が見たことがあるのではないでしょうか。ただ、これら金属は重たいという欠点があります。製品を小型化しても、手の平に置くとずっしりと重みを感じる金属は、よく持ち運びする道具の主原料には不向きですね。
そのため、製品の小型化や軽量化を図るためには、金属よりも軽くて小型化しやすい原子を使って生産する方が良いでしょう。
炭素を正六角形に並べる
金属よりも小型化や軽量化に優れている原子は、炭素(C)です。
炭素原子を含む化合物は、二酸化炭素など一部の簡単な化合物を除いて有機化合物と呼ばれます。人体も、炭素を多く含んだ化合物でできていますね。
柔軟な動きができる人体とは対照的にダイヤモンドのような硬い物質も炭素でできています。柔軟な化合物を作れたり、硬い化合物を作れたりする炭素を使いこなせば、これまでよりも便利な製品を生み出せそうです。何より、炭素は、金属と比較して非常に軽いので、持ち運びしやすい製品を作るのに適しています。
製造業に何かと可能性を与えてくれそうな炭素ですが、ただ、並べるだけではおもしろくありません。
サイエンスライターの佐藤健太郎さんの著書「すごい分子」では、様々な有機化合物が紹介されています。人類が、炭素を使って生み出す工業製品は、6つの炭素を正六角形に並べてできる芳香族化合物を基本とするのが都合が良さそうです。芳香族とは、正六角形をしている芳香環を持った化合物の仲間という意味で、芳香環は亀の甲と呼ばれることもあります。最も簡単な芳香族化合物は、6個の炭素が水素を1個ずつ持ったベンゼンです。
芳香環は、横に一直線にくっつけていくこともできますし、ジグザクにくっつけていくこともできます。芳香環で円を作ることも可能です。
佐藤さんは、炭素をレゴブロックに例えています。レゴブロックは、組み合わせ方次第で様々な形を作り出せます。また、長くつなぐこともできます。炭素も、レゴブロックと同じように様々な組み合わせが可能なのです。
炭素は、電気的に中性であることから、炭素同士をいくらでもつなぐことができ、安定な物質を作り出せます。そして、6個の炭素を正六角形につないだ芳香環は、とても安定していることから使い勝手が良い点も魅力です。
5つのベンゼン環からサッカーボール分子を予言
かつて大澤映二博士は、ベンゼン環を環状に5つ結合すると、やや反った杯型になるコランニュレンを見て、サッカーボール骨格を持った純粋に炭素だけからなる分子の可能性を思いつきました。
サッカーボールの表面は、五角形と六角形の模様でできています。つまり、ベンゼン環で、いくつも五角形と六角形をつくり、それらを組み合わせて行けば炭素60個が集まったサッカーボール型の分子ができるはずだと考えたのです。
しかし、サッカーボール分子は、化学合成が難しく、理論面からの研究も当時の計算機では手に負えず、注目されることなく埋もれてしまいました。
フラーレンの誕生
ところが、1985年に英国のハロルド・クロトー、米国のリチャード・スモーリー、ロバート・カールらのチームが、宇宙空間にのみ存在する炭素クラスターの研究を進めている最中、炭素60個からなるクラスターだけができる条件を発見しました。
この炭素60個からなる化合物はバックミンスターフラーレンと命名されます。炭素70個の化合物は[70]フラーレンと呼ばれ、単にフラーレンという場合は炭素60個のバックミンスターフラーレンを指すことが多いです。
その後、1990年にドイツのヴォルフガング・クレッチマーとドナルド・ハフマンが、アーク放電という方法によってグラファイトを蒸発させることで、目に見える量のフラーレンを作り出すことに成功します。
フラーレンは、「物理的には極めて安定だが、化学的には反応性に富む」と表現されるように熱には300度まで耐えることができる反面、多くの化学薬品と反応する特徴を持っています。
思わぬところからカーボンナノチューブが登場
アーク放電によってフラーレンを作り出す際、陰極側にすすのような堆積物が残ります。誰もが陽極側にできるフラーレンに気を取られている中、飯島澄男博士は、陰極側のすすに注目しました。
このすすを顕微鏡で観察してみると、極めて細長く、規則正しい構造を持ったチューブ状の物質が映っていました。このチューブは、カーボンナノチューブと呼ばれるものです。
カーボンナノチューブは、芳香環を蜂の巣のように多数つないだものを筒状に巻いた形をしています。
全体が芳香環でできたカーボンナノチューブは、熱や薬品に強く、ほとんど劣化しません。また、比重はアルミニウムの半分ほどです。さらに機械的強度は、鋼鉄の約100倍とのこと。
カーボンナノチューブの電気的性質は、単層か多層かによって異なりますし、巻き方によっても異なります。それゆえ、導電体にも半導体にもなります。
このような優れた特徴を持つカーボンナノチューブは、将来、様々な工業製品を進歩させる可能性を有していると言えるでしょう。カーボンナノチューブを使ったケーブルを宇宙まで伸ばせば、ロケットを使わずにエレベーターに乗って宇宙に行くこともできるかもしれないそうです。
極薄のグラフェン
カーボンナノチューブも驚きですが、芳香環を平面に1層だけつなぎ合わせたグラフェンも、将来、すばらしい働きをしてくれそうです。
グラフェンは、炭素原子1個分の厚みしかないので、超極薄です。そして、性質を変えることなく折ったり曲げたりできます。また、光は、97.7%透過するので透明に近いです。しかも、電気を通すのですから、ディスプレイやタッチパネルに使えます。
このようなグラフェンの性質から、掛け軸のようなテレビが将来開発されるかもしれませんね。普段は、くるくると巻いておき、紐をほどけばグラフェンのディスプレイが下にのびて視聴できるテレビは、狭い部屋でも大画面で番組を見られる画期的な商品となりそうです。
炭素原子を正六角形に組み合わせた芳香環は、とても単純な形ではあるものの、様々な化合物を作り出せる優れものです。誰かの頭の中で、ぱっと、ひらめいたものを実現させるのは芳香族化合物かもしれません。
有機化学の世界では、年の功より亀の甲が大発明の可能性を持っていそうです。
- 作者:佐藤 健太郎
- 発売日: 2019/01/17
- メディア: 新書