90年代のバブル経済の崩壊以降、21世紀に入っても日本経済はなかなか上向いてきていません。21世紀初頭には、企業の業績が回復し好景気に沸きましたが、それを実感できなかった国民が多く、本当に景気が上向いたのか疑問の声を聴くこともありました。
日本経済が良くならない理由として、よく挙げられるのはデフレと少子化です。デフレが進むと賃金が上がらない、少子化で人口減少社会に突入してるから年金などの福祉の負担が大きくなる、確かにそのように思えます。
しかし、デフレと少子化が、90年代から続く不景気の理由と決めつけて良いのでしょうか?
旧社会主義国の市場参入
21世紀初頭の好景気にもかかわらず、この時期に賃金や給与は増えませんでした。
ファイナンス理論を専門とする野口悠紀雄さんは、著書「資本開国論」で、雇用者の賃金・俸給は2000年度が約232兆円に対して03年度は218兆円に減り、また、05年度の賃金・俸給は00年度との比較で4.5%減、1996年度との比較で6.7%減であることを示しています。これに対して、企業の05年度の所得は00年度との比較で7.6%増、1996年度との比較で13%増になっています。
これだけを見ると、21世紀に入って日本企業の業績が良くなっているのは、リストラや賃金カットで人件費を抑えたからだと考えてしまいます。確かにそれも、企業業績回復の一要因ではあります。しかし、人件費のカットよりも、企業業績に大きな影響を与えた出来事が90年代に起こっています。
それは、旧社会主義国の市場参入です。
世界レベルの賃金平準化をもたらした最大の原因は、九〇年代以降に生じた世界経済の大きな構造変化である。とくに重要な点として、中国をはじめとする旧社会主義経済圏に閉じ込められていた膨大で安価で良質の労働力が、冷戦の終結によって市場経済圏に取り込まれたことがあげられる。これは、労働と資本の比率を全世界的な規模で大きく変えた。これによって、従来から市場経済圏にあった先進工業国の賃金が下落しているのである。
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90年代に入ると、多くの日本企業が中国に工場を建設するようになりました。日本の人件費と比較すると当時の中国の人件費は数十分の一でしかなかったので、同じ工業製品を生産するのであれば、日本国内よりも中国の方が遥かに有利でした。
経済学には、要素価格均等化定理という基本的命題があります。これは、貿易が行われると、貿易財の価格だけでなく、賃金などの要素価格も均等化するというものです。アメリカやヨーロッパといった先進資本主義国を相手に貿易を行っている時は、どこも豊かな国なので、貿易によって国内労働者の賃金に大きな影響を与えるとは考えられませんでした。
しかし、中国のような旧社会主義国は、先進資本主義諸国よりも極めて低い人件費で仕事をしている人ばかり。それまでは、賃金が国際的に均等化するというのは非現実的だと考えられていましたが、旧社会主義国の市場参入が現実に起こりうることを証明したのです。
金融緩和で家計の純利子所得が悪化
00年代の金融緩和では、企業の設備投資が活発になることが期待されました。
借入利子が低くなれば、企業は設備投資に必要な資金を銀行から借りやすくなります。そして、企業が活発に投資活動を行えば、デフレから脱け出し労働者の賃金や給与が上がると考えられました。
しかし、金融緩和がもたらしたのは、家計の純利子所得のマイナスと斜陽産業の延命でしかありませんでした。
1994年の定期預金金利が2.02%であったのが、2004年では0.057%まで低下。住宅ローン金利も低下しましたが、1997年の4.0%が2004年に2.4%になったにすぎませんでした。野口さんの試算によると、家計の利子収入は1997年に24.0兆円だったのが2004年には0.8兆円に激減したのに対して、支払利子は15.5兆円から9.1兆円に減少しただけだったとのこと。差引で、家計の利子収入は、1997年の8.5兆円から2004年には-8.3兆円になったのですから、低金利政策で家計が大きなダメージを受けたことがわかります。
反対に企業は、負債利子の負担減少を設備投資に生かすのではなく、低金利で借りた資金を以前の高金利の借金の返済に回しました。それにより、高い利子負担にあえいでいた斜陽産業に属する企業は延命できたのです。
一九九〇年代以降の金融超緩和政策は、世界の歴史でも前例のないものだ。この「超」金融緩和は、重い債務を抱える従来型の古い産業を助けたわけである。そして、利子負担の軽減によって投資が増加し、それが労働生産性を上げて賃金が上昇するというメカニズムは働かなかった。つまり、二〇〇兆円という巨額の所得移転は、単に分配構造を変化させることにしかならなかったわけである。
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結局、金融緩和策は、デフレ脱却に大した影響を与えませんでした。低金利政策では、家計が得るべき利子所得が企業の借金返済に回され、賃金上昇には働かなかったのです。これが、21世紀初頭の好景気が、個人では体感できなかった理由ではないでしょうか。
出生率を引き上げても年金問題は解決しない
デフレ脱却とともに出生率を上げる少子化対策も景気を良くするために大切なことと言われています。高齢化社会の到来で、年金支払額が増えていくのですから、高齢者を支えていくためには、若い世代を増やさなければならず、それが景気回復にもつながると考えられています。
しかし、出生率を2倍にしたとしても、年金問題を根本的に解決することはできません。
国立社会保障・人口問題研究所の2006年12月の将来人口推計の中位推計をもとに野口さんが計算した結果によると、このままの出生率だと2050年には高齢者比率が76.4%になるようです。もしも、出生率を2倍にできれば2050年の高齢者比率は61.3%にできるとのこと。ちなみに2006年の合計特殊出生率は1.32人ですから、2.6人程度まで出生率を上げなければなりません。
出生率2倍で約15ポイントも高齢者比率を下げれるので、今からでも少子化対策に力を入れるべきだと思うかもしれません。しかし、2000年の高齢者比率が25.5%だったことを考えると、出生率2倍でも高齢化を食い止められたとは言えないのです。
よく考えてみれば、当然の結果だ。人口構造は、現在生きている人々が加齢してゆくことで大枠が決まってしまい、新しく生まれてくる人口は、それを限界的に変えるにすぎないのだ。だから、出生児数の二倍の引上げなど到底実現できない目標であるが、仮にそれを実現できたとしても、高齢者比率は高まってしまうのである。
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さらに少子化対策を進めると、依存人口比率の上昇が進み、現役世代の所得を減らしてしまいます。依存人口とは、14歳以下の人口と65歳以上の人口の合計のことです。つまり、子供と高齢者を現役世代が助けないといけないのですが、出生率をいきなり上げることは、高齢化と多子化による二重の負担を現役世代に強いることになるのです。
現在では、中学校を卒業して働く人は少ないですし、大学進学率も上がっていますから、子供たちが20歳くらいになるまで現役世代が面倒をみないといけません。これでは、年金財政をどうにかするどころの話ではなくなります。子供たちに多くの予算が割かれるので、逆に年金に回せる予算が減ることだってあり得ます。
今から出生率を上げても年金問題の解決にならない以上、保険料の値上げや支給開始年齢の引き上げはやむを得ないでしょう。年金制度そのものを違った形にすることも考える必要があるのかもしれません。
国内の物価下落は、旧社会主義国の市場参入という対外的要因によって引き起こされたこと。だから、人件費の安い国との競争を強いられる既存産業を助けるための金融緩和策では設備投資が行われず、借金の借り換えに利用されただけでした。
新たな産業が育たない状況では、金融政策は大きな成果を上げれないのです。
- 作者:野口 悠紀雄
- 発売日: 2007/06/01
- メディア: 単行本