いつまでも若々しくいたいというのは、多くの人が持つ願望です。
なぜ、老いを嫌うのか。それは、見た目の美しさが失われていったり、ちょっとした運動で疲れたりするなど、容姿や機能面での衰えを感じるといった理由もありますが、確実に死に向かっていることを自覚させられるからなのかもしれません。
もしも、死がなければ、人はもっと悩まずに生きていけそうですが、それは生物にとって許されないことなのです。
地球の新鮮さは死によって保たれる
生物はなぜ死ぬのかという深い疑問に生物学の視点で答えてくれているのが、理学博士の小林武彦さんです。著書の『生物はなぜ死ぬのか』を読めば、死が生物の進化や発展にとって大きな意味を持っていることがわかります。
地球上に生命が誕生してから、多くの種類の生物が登場しました。生命が誕生したのは偶然であり、多くの種類の生物が登場するようになったのもまた偶然です。この偶然こそが進化と呼ばれている現象です。
生物の遺伝情報は、RNAに記述されていましたが、RNAは反応性が高く、それゆえ壊れやすく分解されやすい性質を持っていました。分解されたRNAは新しいRNAの材料になります。壊れたRNAが新しいRNAの材料となることを繰り返すことで、遺伝情報は書き換えられていき、様々な生物が誕生しました。これが進化です。
作っては分解して作り変えるリサイクルを小林さんはターンオーバーと言っています。このターンオーバーは、生まれては死ぬことを意味しています。そして、ターンオーバーがあるおかげで、地球は常に新鮮さに満ちた状態を維持できているのです。すなわち、死は新鮮さを保つために必要な現象なのです。
繰り返されるターンオーバーこそが進化
遺伝情報が記述されたRNAは、反応性が高く遺伝情報の書き換えが起こりやすいことから、様々な生物を生み出しました。生物多様性の面からはRNAは好ましいものと言えますが、細胞の機能が複雑化してくると細胞を一から作り変えるメジャーアップデートは非効率になります。
RNAと同じ遺伝情報が記述されているものにDNAがあります。DNAはRNAよりも安定しており、しかも多くの遺伝情報を記述できることから、より高度な細胞を作り出せます。さらにDNAには壊れた部分を直す機能も搭載され、細胞が激しく変化しなくなりました。もちろん、DNAの遺伝情報も書き換えられることがありますが、その頻度はRNAよりも低く、細胞をマイナーチェンジする程度です。
RNAもDNAも、ターンオーバーが繰り返される点では共通しており、それが進化へとつながっていきます。
生物の多様性が生物に生活の場を与える
進化が繰り返されることで、多くの種類の生物が生まれました。ある生物は、他の生物の生活の場を作ることに貢献し、その他の生物もまた違う生物の生活の場を作ります。生き物が他の生き物の餌になることも、その一つです。このような正の連鎖が続くと、生物に多様性が出てきます。反対にある生物の絶滅は、他の生物の絶滅にもつながります。
しかし、ある生物の絶滅が必ずしも多様性に不利になるわけではありません。大昔に生息していた恐竜はある時期に絶滅しましたが、そのおかげで、小さな生き物は、それまでの恐竜の生活場所に進出し、新たな生活の場を見つけ適応していきました。実は、絶滅は生物進化にとって非常に重要な出来事なのです。
絶滅は、すなわち生物の死です。絶滅によって進化が起こるということは、死とは生物進化と切っても切れない関係にあることがわかります。できるだけ死から遠ざかりたいと思うのは人情ですが、死がなければ生物進化は起こりません。死とはターンオーバーであり、その繰り返しで進化が起こるのです。
生物によって死に方はいろいろ
生物が進化するために死が必要になりますが、死は一様ではありません。
人間は、他の生物に食べられることが滅多にありません。また、医学の進歩や衛生面が良くなったことで、病気や怪我がすぐ死につながることも少なくなっています。だから、現代の人間社会では、寿命が長くなっており、日本だと平均寿命が80歳以上になっています。
一方で、捕食されて死ぬ生物は数えきれないほどいます。こういった生物は、寿命が短く、老衰で死ぬことはほとんどありません。
このように生物には、いろいろな死に方があり、それに応じて備えている機能も違っています。
人間の場合、長寿命であることから、DNAを酸化から守る機能が発達しています。人間は活動のたびに体内で活性酸素を発生させ、それがDNAを酸化させる危険があります。DNAが酸化すると、遺伝情報が変化しやすくなり、細胞がガン化することもあります。長寿命の人間にとってDNAを酸化から守ることは生存にとって、とても大切なことです。
対して、ハツカネズミのような短命な生物にとってはDNAを酸化から守ることは重要ではありません。彼らは、長生きする前に他の生物の餌となって死ぬことの方が多いですから、すばしっこさを身に付けて捕食されにくくなる方向に進化しました。そして、食べられる前に早く子供を産むようにして絶滅を防いでいます。その代わり、ハツカネズミは、ガンに対して無防備な状況にあります。彼らにとって、ガンを予防する方への進化は大した意味がないので、抗がん作用という無駄な機能は捨てたのです。
小林さんは、このようなハツカネズミの特徴から、ガンの動物実験にネズミを使用することに懐疑的です。確かに人間とハツカネズミでは、ガンに対する備えが全く違うので、ネズミを使った研究から得た情報を人間のガン治療に使うことは望ましいことではなさそうです。
ガンに対しては標準治療が最も効果があるとされていますが、5年生存率が60%そこそこしかない治療を優れた治療だと喧伝するのはいかがなものか。標準治療を受けても期待値でいうと3年くらいで死ぬのなら、ガンが消えたなどと謳う代替医療に望みを託す患者が出てくるのは当たり前です。行動経済学の研究で、人は、損失を回避するために極めて低い確率を選ぶ傾向にあるとの結果が出ています。3年で死ぬくらいなら、どんなに低い確率でもガンが消える方に賭けたくなることを医学界は理解すべきです。生物の特徴に合わせた研究をしていないから、患者の気持ちがわからなくなっているのでしょう。
代を重ねるごとに多様性が出てくる
生物は、親から子に遺伝子を伝えていきますが、人間の場合は、両親の遺伝子が子供に受け継がれます。両親もその両親から遺伝子を受け継いでいますから、代を重ねるごとに人間の遺伝子は多様性を増していきます。
人類全体で遺伝子の多様性が増すことは、特定の事象が起こった時に絶滅する危険が低くなることを意味します。例えば、温暖化が進み、毎日気温が50度になるような時代になっても、高温に強い遺伝子を持っている人は生き残ります。寒冷化が進んだ場合には、寒冷に強い遺伝子を持っている人が生き残ります。
多様性とは、どちらに転んでも誰かが生き残ることを意味しています。そして、子供は親よりも多様性に富んでいますから、生き残る可能性が高くなっています。生物の死は、次の世代に遺伝子のバトンを渡し、進化に貢献するために必要なものなのです。
だから死を恐れる必要はないと言われても、やっぱり死にたくないものです。死なずに進化する方法はないものでしょうか。