ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

住民の性格は風土が作るのか?

人の性格は、住んでいる地域と関係していると言われることがあります。

大阪人は話の最後に必ずオチを求めるとか、高知人は大酒飲みとか。

おそらく、多くの人が自分が住んでいる地域とは違うところに住んでいる人と初めて会った時、なんとなく違和感を感じると思います。もしかしたら、その違和感は、地域性と関係があるのかもしれません。

岡山県人には油断できない?

地域性と住民の性格については、テレビ番組でも、よく扱われるテーマですから、多くの日本人が興味を持っていそうです。

作家の司馬遼太郎さんは、日本史によく登場する地域を歴訪し、そこで知り合った人々や見聞きしたことを「歴史を紀行する」の中で紹介しています。

例えば岡山県人の場合。

戦前は、官界や軍人の世界では「岡山県人にはゆだんするな」と言われていたそうです。そのようなこともあり、司馬さんの友人の岡山出身の方は、父親から岡山県人であることを隠すように忠告されたのだとか。

岡山県人が警戒される理由として、司馬さんは、大正時代の軍人であった宇垣一成が多少は関係しているのではないかと考えています。明治以降、政治の世界も軍隊の世界も、薩長出身者が優遇されていました。宇垣一成は、最初は薩摩の川上操六に取り入り、川上が亡くなると、今度は長州の田中義一の弟分になりました。

岡山県人とはこういうものだ」と思わせた宇垣一成は、軍人の間であまり評判が良くなかったようです。

こうなると、さらに歴史をさかのぼって、岡山県人は油断ならないというレッテルを貼る人が出てくるのでしょう。

戦国時代、岡山に宇喜多直家という武将がいました。直家は、松田左近将監の居城富山城を乗っ取るために松田の老臣2人を密殺し、松田も謀殺しました。さらに中川備中守の城と所領を奪うために直家は松田の婿となって城に入り、酒宴を開いて松田が酔っているところを殺害し城を乗っ取りました。

加えて、関ヶ原の戦いで西軍を裏切った小早川秀秋が岡山の武将であったことも、岡山県人は油断ならないという噂を広めることになったのかもしれません。

会津若松人は他人の悪口ばかり言う?

司馬さんが会津若松を訪れた時、ある飲み屋に入りました。

すると、その飲み屋の女中さんが「会津若松って大きらい」といったそうです。その理由は、「ひとのわるくちばかりいう」からだとのこと。

会津若松と言えば、幕末の会津藩の悲劇を思い浮かべます。

京都でテロリストが毎晩のように暗殺を繰り返し、治安が悪化していたところ、会津藩京都守護職となりました。そのおかげで、京都でのテロは減り治安は回復しました。

薩摩や長州が朝廷に金をばらまいて公家を懐柔していたのに対し、会津藩はそのようなことはせず、京都の治安維持に努めていました。しかし、時代は会津藩に不利となっていき、最後は薩長を中心とする新政府軍の攻撃により会津若松城は落城しました。

明治になってからも、会津への仕打ちは厳しく、大正時代に入っても、高等専門学校が各地に設立されたのに会津若松市には設立されませんでした。大正時代になると明治維新とは関係がなさそうですが、会津人は「すべて長州がそうしている」と信じていたようです。

会津若松の人が、他人の悪口を言うという噂は、明治維新と関係があるのかもしれません。治安維持のために働いた人々が、新政府から虐げられたのですから愚痴も言いたくなるでしょう。

地域住民の性格は作られたもの

「歴史を紀行する」を読むと、人の性格は住んでいる地域と関係がありそうだと思えてきますが、司馬さんは「風土などは、あてにならない」と述べています。

ある人物を理解しようとするばあい、かれの出身地について通説になっている風土的概念から帰納するほどこっけいなことはない。たとえば、かれは鹿児島県人である、だから西郷隆盛のごとく豪放磊落である、などという。通俗的概念というべんりな大網をうって人間をひといろにしてなんとなくなっとくしたような気分になる。第一、西郷隆盛が豪放磊落であるかといえばけっしてそうではないであろう。(259ページ)

ある地域のイメージを作り上げるのは、他地域の人ではないでしょうか。

桜島がある鹿児島に住んでいる人は、西郷隆盛のように豪放磊落なのだろうと、他地域の人が勝手に想像しているように思います。

では、風土が全く住民の性格と関係ないかいうと、そうではないとも司馬さんは述べています。

個々の場合は微量でしかないので地域性はわかりにくいけど、大集団を成した時、「蒸れてにおいでてしまいっているものがここでいう風土」なのかもしれないと。


高校野球が行われる甲子園のスタンドを見れば、各校の生徒たちが自校の野球部員を応援しています。その応援は、各校で個性があり、高校野球ファンなら、「〇〇高校らしい応援」と思うのではないでしょうか。

しかし、試合が終了し、応援をしていた生徒が街をばらばらに歩いていれば、その高校らしさは消えています。

風土とは個では捉えられないものなのかもしれません。そして、地域性は他地域の人が一方的に決めつけている部分が大きいように思います。

新装版 歴史を紀行する (文春文庫)

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