ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

コミュ力を試される大人の付き合い

人間という生き物は、社会を築き、他者と交わり合いながら生活をしなければならない宿命を背負って生まれてきます。大昔は、そんなことはなかったかもしれませんが、現代の日本社会では、生きていくために他者との交わりを避けられない構造となっています。

生まれた時には、家族との交わりだけでしたが、保育園や幼稚園に入れば友達付き合いが始まり、小学校に入れば、先生も含めてさらに多くの人と付き合うことになります。そして、社会に出れば、会派の上司や同僚、取引先の担当者と、付き合う範囲は拡大し、場面に応じた所作が要求されます。

あらゆる場面で、適切な所作をできる人は、コミュニケーション力、略してコミュ力が高いと称されます。コミュ力が高い人は、どこでも、誰とでも、流ちょうに会話ができます。その一方で、どのような場面でも、振る舞いがどこかぎこちない人もいます。もちろん、好感度が高いのは前者です。でも、幸福度という視点に立つと、どうでしょうか。

物々交換が始まる会食

漫画家の辛酸なめ子さんの著書『大人のコミュニケーション術』は、「渡る世間は罠ばかり」と副題がついており、社会のあらゆる場面で待ち受けている落とし穴をどうやって避けるか、その知恵が紹介されています。

しかし、辛酸なめ子さん自身が、コミュ力が低いため、数々の罠にはまっています。その数々のエピソードが、「こんなこともあるよな」と読者を共感させ、心を和ませてくれます。

大人の会食は、学生時代のノリで参加できる場ではありません。そこは、マウンティングをするかされるかの格闘の場とも言えます。

学生時代の会食は、誰かの家に溜まって、鍋をしたり、何かを摘まみながらマージャンをしたりする程度のものでした。しかし、大人の会食は、そんなのんびりとしたものではありません。

大人が、一つの場所に集まると、突如、物々交換が始まります。この時、何も持たずに会場に行ったら、肩身の狭い思いをしなければなりません。なめ子さんは、守護霊からの忠告で、会食での物々交換を何とか乗り越えてきたとのこと。でも、守護霊と通信できない人は、つい手ぶらで会食に行ってしまう危険性があるので、気を付けなければなりません。

気の利いたものを持って行かなかったときにされるマウンティングも覚悟する必要があります。

名前を覚え続ける

会食と言えば、初めて出会う人もいるものです。そして、社交辞令的な挨拶が交わされるのですが、この時、相手の名前を忘れてしまうと、後日、面倒なことになるかもしれません。

別のパーティーで再会した時、名前を憶えていなかった場合、相手を怒らせてしまうかもしれません。その場では、「気にしてない」と言われても、絶対気にしているものだから、初対面の人の名前は顔と一緒にしっかりと覚えるようにしましょう。例え、二度と会わないと思っていても、どこで鉢合わせするかわかりません。

しかし、人の名前は、なぜ、すぐに忘れてしまうのでしょうか。僕なんて、名刺交換をした直後に名前を忘れてしまいます。1人だけと名刺交換したのなら、名刺を見て名前を確認できますが、3人も4人も、まとめて名刺交換すると、顔と名前が一致しない事態に陥ります。

こういう場合は、役職名を見て、一番偉そうな役職が最も年齢が高い人と予測し、会話をします。でも、40歳を超えたおじさんは、皆同じように見えるので、相手によっては使えないこともあります。

サプライズパーティは仕掛けられる側の力量が試される

最近では、誰かをお祝いするためのパーティでは、サプライズが欠かせないものとなっています。

祝福される側に事前に内容を告げずに開かれるサプライズパーティに、いつ何時招待されるかわかりません。自分がサプライズを仕掛ける側なら、それほど身構えなくても良いのですが、祝福される場合には、それ相応の対応をしないと場をしらけさせてしまいます。

いきなりお祝いをされて、どうしたら良いのか、迷ってはいけません。お祝いをされた時は、帰国子女ばりの驚きや感動を体いっぱい使って表現することが要求されます。パーティでは、何が起こるかわかりません。自分にサプライズが仕掛けられるかもしれないと気を張り詰めて出席しましょう。

もしも、サプライズを仕掛けられて、感動的な態度を取れなかったら、どうなるか。もちろん、次からはサプライズを仕掛けられなくなり、人間関係もぎくしゃくするかもしれません。

返信を期待しない

年末になると、大量の年賀状を出すという人もいるでしょう。なめ子さんは、1300通も年賀状を出していたとのこと。しかし、返ってくる年賀状は、その半分だというのですから、打たれ強い人でなければ寂しい思いをしますね。

返信と言えば、LINEの既読スルーも、淋しいものです。なめ子さんは、自分のトークで会話が終了すると気になってしまうそうです。何か相手の気に障ることを言ってしまったのではないかと。そして、無視されるのが怖くて、できるだけ相手の送信で終わらせるようにしていたら、結果として、自分が既読スルーしたことになって、ますます疎遠になるのだとか。

さらに侘しいのが未読スルー。もう、相手にもされていないのかと。

このような気分にならないために考えたのが、LINEのアプリを起動しないことだというのですから、もはや、LINEを使わない方が良さそうです。

しかし、年賀状もLINEも、相手の返信を期待するから落ち込むのであって、最初から返信を期待しなければ落ち込むことはありません。そもそも、年賀状も出さないし、LINEもやらないという態度であれば、全く気にしなくても良い話です。


大人になるとコミュ力を試される場面が、多々やって来ます。


敬語で話すべきか、タメ口にすべきか。
ホームパーティを開くべきか、または出席すべきか。
流行りのSNSを始めるべきか。


悩みは尽きないものです。

でも、よく考えてみると、こうやってコミュ力を高め、多くの人と知り合いになることは、自分自身が誰にでもすぐに会える存在になっているのではないでしょうか。コミュ力が高い人に憧れる気持ちはわかりますが、果たして、その憧れの人には、いつでもどこでも会うことができるでしょうか。

芸能人、プロアスリート、有名な経営者などには、そうそう出会えないものですし、知り合いであったとしても、いつでも会える存在ではないはずです。

知り合いが多く、いろんな場所に顔を出す人が、コミュ力が高いように思ってしまいます。でも、なかなか会えない人に会えた時の方が感動が大きいですし、何か光るものを感じます。

人の魅力は、コミュ力だけで決まるものではないですし、コミュ力と幸福度も、それほど関係がないのかもしれません。