ウェブ1丁目図書館

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人間社会を発展させたのは信仰心

人間が他の動物と異なる点は何だろうかと考えた時、脳の発達、すなわち、思考力の高さだと多くの人は答えそうです。しかし、思考は、おそらく他の動物もしているので、それを人間の特徴と言うのはちょっと違うような気がします。そして、脳を持つ動物もたくさんいますから、脳が発達したことも人間の特徴と言うには物足りないように感じます。

人間と他の動物を区別するのにしっくりくるのは、「信仰」でしょう。神の存在を信じている動物は、たぶん人間くらいのものでしょう。だから、人間の世界には宗教や神話が存在するのだと思うわけです。

世界中の宗教と神話を1冊で簡単に理解する

世界中には、宗教や神話がたくさんあります。いったいどれくらいの宗教や神話があるのか知りませんが、社会学者の古市憲寿さんが宗教や神話の専門家の方々と対談した内容を収録している『謎とき 世界の宗教・神話』を読めば、主要な宗教と神話の内容を大雑把に理解できます。

宗教だと、キリスト教ロシア正教イスラム教、ゾロアスター教ジャイナ教論語、仏教についての対談が収録されていますし、神話だと、マハーバーラタ西遊記、エッダ、万葉集についての対談が収録されています。また、宗教学者エリアーデの代表作『聖と俗』の対談も収録されています。

他にも宗教はありますし、日本神話だと古事記日本書紀もあるのですが、すべての宗教と神話を収録してはいません。それでも、上記の宗教と神話をざっくりと知れば、人間社会は信仰によって発展してきたことがわかります。

キリスト教ロシア正教イスラム

キリスト教は世界的に最も有名な宗教の一つです。その経典となっているのが聖書で、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ福音書イエス・キリストの言行録でありキリスト教の核心となっています。

キリスト教について、古市さんは佐藤優さんと対談しているのですが、佐藤さんは聖書の内容は割といい加減だと述べています。しかし、いい加減だからこそ、いろんなものを詰め込めるし長持ちするそうです。聖書は論理的に読むことができないからこそ、信仰の対象となるのだとか。確かに論理的なもの、例えば数学を信仰しているという人を見たことがありません。物事を論理的に考えていくと科学の領域に入っていき、信仰の対象から外れるのでしょう。

また、キリスト教には排他的な印象を受けます。十字軍を派遣して他の宗教を滅ぼそうとしたり。

キリスト教の排他的な面を強く受け継いでいるのがロシア正教のように感じました。皇帝や大統領のようなロシアのトップはツァーリとして、地上における神の代理人となります。ツァーリは、キリストに対してはふつうの人物であり僕(しもべ)なのですが、人間に対しては神として君臨します。ロシアが独裁や抑圧によって国民を支配する共産主義になるのは、根底にロシア正教があるからなんでしょうね。

キリスト教よりも、さらに上だと考えるのがイスラム教です。その経典となっているのはコーランです。イスラム教では、モーゼやイエスにも啓典を授けたけども、その後のユダヤ教徒キリスト教徒が神の啓示をゆがめてしまったと考えます。だから、ユダヤ教キリスト教は不完全なバージョンであり、イスラム教こそが神が下した最終形態なのだと。こうなると、イスラム教が最強の宗教となりそうですね。

キリスト教イスラム教では、神の言葉を聴くことができる預言者が存在しますが、現代社会で預言者が現れた場合、どうなるのでしょう。きっと、詐欺師やペテン師扱いされて、挙句の果てに出資法違反で逮捕されてしまいそうです。

論語と仏教

日本人にとって、大きな影響を与えている宗教は論語と仏教でしょう。

論語は、孔子を中心に、儒家の考える行動規範や人生の生き方が書かれている書物であり、日本だと小学校の道徳で習うような内容が書かれています。一般常識のようなものですね。だから、他の宗教よりも受け入れやすいと言えます。そもそも、論語は宗教なのかといった疑問もわいてきますが。

仏教は、日本ではおなじみとなっていますが、本書ではその中で禅が取り上げられています。

禅は、中国の達磨大師が開祖で、日本には鎌倉時代に入って来ました。臨済宗曹洞宗が、その代表ですね。禅の特徴を一言で表すと「悟り」でしょう。悟りを開くなんて言葉がありますが、これは禅からきているんですね。自力本願も禅の特徴です。自力本願を追求していくと、何でも自己責任になってしまいそうですが。

古市さんと対談した碧海寿広さんは、悟りは「究極のしらふになる」ことだと述べています。欲望に振り回されず、自分や世界をそのまま受け入れている状況が悟りなのだと。ドラッグによって意識が敏感になっている状況は悟りとは対極に位置します。

禅は、他の宗教と異なり神や仏を信じるといった面が感じられず信仰とは異なるように思えます。でも、臨済宗曹洞宗のお寺に行くと、仏殿や開山堂が建っていますから、信仰の対象があることがうかがえます。

日本人が信仰している論語や仏教は、キリスト教イスラム教のように偉大な存在である神を意識していないように感じます。あるべき生き方はどうなのかといった人の振る舞いを信仰しているというのでしょうか。もちろん、浄土真宗のように阿弥陀如来にすがれば極楽往生できるという信仰もありますが。


どんなに科学が発達しても、きっと人間社会から宗教がなくなることはないでしょう。よくよく考えてみると、信仰とは想像力であり、その想像力が様々な道具を生み出し、人間社会を発展させてきたのですから。もしも、人類が信仰心を失った時、人間社会の発展はそこで止まるのかもしれません。