ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

幕末の事件の謎が今も残る京都

幕末。それは、京都が政治の舞台となった時代。

京都に幕府の首脳や各藩の殿さまが集まり、朝廷とともに国難を乗り切るための会議が行われました。また、志士と呼ばれる下級藩士や百姓出身などの身分が低い者たちも京都に集まり、上から下まで政治に関わろうとしていました。

今も京都には、幕末の史跡が多く残っています。そして、その史跡の数と同じくらい謎も多く残っています。

坂本龍馬が暗殺された場所が近江屋だった謎

作家の高野澄さんの著書『京都の謎 幕末維新編』は、幕末に起こった京都の事件の謎をいくつか紹介しています。堅苦しい文章ではないので、息抜きに気楽に読むことができます。

幕末の謎と言えば、坂本龍馬の暗殺事件がすぐに思い浮かびます。坂本龍馬を暗殺したのは誰なのかについては、多くの書籍やテレビ番組で取り扱われることはありますが、事件現場がなぜ近江屋だったのかに触れられることは少ないです。

坂本龍馬は、伏見の寺田屋に宿泊することが多かったので、暗殺されたのは寺田屋だと思われがちです。しかし、寺田屋は、その前年に伏見町奉行所が乗り込んで、坂本龍馬を捕縛しようとしていますから、それ以後も寺田屋に宿泊するわけにはいきません。

また、坂本龍馬が暗殺される頃には、彼が結成した海援隊が現在の京都市中京区にある酢屋を本拠としており、そこに滞在することが多かったです。刺客が坂本龍馬を襲うなら、まず酢屋に目を付けたはずです。一方、坂本龍馬は、酢屋にいるのが危険だと感じたら、近くの土佐藩邸に入ることができたので、刺客に襲われることはなかったはずです。

ところが、坂本龍馬は、事件当日、土佐藩邸の西にある近江屋にいました。近江屋では、抜け道や密室を作って万が一に備えていたようですが、刺客に襲われた時にそれらを利用しなかったのは謎です。

そもそも近江屋を宿所に選んだことも謎です。

伊東甲子太郎新選組に入隊した謎

幕府側の新選組は、尊皇攘夷の志士たちの敵でした。

その新選組にバリバリの尊皇攘夷の志士であった伊東甲子太郎が入隊します。彼を新選組にスカウトしたのは、局長の近藤勇だったというのですから、この時点で謎です。

近藤勇伊東甲子太郎が出会う遠因となったのは池田屋事件でした。池田屋事件では、長州系の尊皇攘夷の志士たちが新選組によって捕らえられたり斬られたりしました。同じ志を持つ者たちを殺した新選組は、伊東甲子太郎にとって許せるものではなかったはずです。

百姓出身だった近藤勇は、何の手柄も立てていなければ政治の舞台に登場することはありませんでした。ところが、池田屋事件の手柄によって幕府首脳に対する発言権を得たのです。事件後、近藤勇は、江戸に向かい幕府首脳を説き、将軍の上洛を求めます。そのついでに新たな新選組隊士を江戸で募集することになりました。

その時、隊士の藤堂平助が、伊東甲子太郎を紹介し入隊が決まります。

伊東甲子太郎は、後に新選組から分離し、東山の高台寺にある月真院を活動拠点としました。表向きの仕事は、孝明天皇の陵墓を守るというものでしたが、どうも薩摩藩と通じて倒幕を狙っているようでした。

倒幕が目的なら、なぜ新選組に入隊したのでしょうか。もしも、伊東甲子太郎新選組に入隊しなければ、暗殺されなかったでしょうに。謎です。

京都霊山護国神社が東山に創建された謎

幕府軍薩長を中心とした新政府軍が鳥羽伏見で激突し戊辰戦争が始まりました。

戊辰戦争での新政府軍の戦死者は、招魂社に祀られることになり、京都の東山に創建されました。現在の京都霊山護国神社がそれで、靖国神社の前身となった神社でもあります。

この招魂社が創建された東山の霊山は、平安時代最澄を開基として霊山寺が建立された地です。その後、南北朝時代に霊山・正法寺として再建され、その敷地の一部が神道の葬祭をする霊明神社となり、さらに明治になってその一部が政府の所有となり招魂社が建てられます。

英霊を祀る地として、神道の葬祭をしてきた霊山は格好の地と言えます。しかし、そのような知識がなければ、すぐにこの地に招魂社を建てようと思いつくことはなかったはずです。

明治となる6年前、津和野出身の福羽美静が、霊明神社で慰霊祭を行いました。黒船来航以降、国難に倒れた尊皇攘夷の志士たちを慰霊したのです。福羽美静は、神道に基づく政治体制を目指さなければならないと考えていました。この福羽美静の強い思想と霊明神社での慰霊祭が志士たちに強い印象を残し、やがて、招魂社の創建につながったのだろうと高野さんは考えています。

福羽美静が霊明神社で慰霊祭を行っていなければ、招魂社は別の場所に建てられていたかもしれません。


幕末の史跡が多く残る京都。

当時と現在の地理はほとんど変わっていないので、京都市街を歩いていると、こんなところであの事件が起こったのかと驚くことがあります。事件現場に足を運べば、幕末の謎が解けるかもしれませんね。