ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

科学と仏教の不変的法則は同じ

仏教と科学。

それは相反するもののように思われています。

確かに仏教に限らず宗教は、誰かの頭の中で考え出されたことを検証することなく信じるという点で科学とは異なる思想と言えます。しかし、仏教でいう縁起は、今起こっていることは過去に原因を持つと考えており、これは物理学の因果関係とよく似た考え方です。

そして、真言宗の開祖空海と偉大な科学者のアインシュタインもまた、同じような思考をしていました。

物質的豊かさは科学がもたらした

理学博士の広瀬立成さんの著書『空海アインシュタイン』は、まったく別の時代を生きていた2人が対談する興味深いフィクションです。しかし、フィクションだからと言って侮ってはいけません。仏教と科学、どちらの考え方もわかりやすく解説されており、読後には、両者が反目するものではないことを理解できます。

科学は、不変的な法則を見つけることであり、それは、物質を客観的に観察し分析することで導かれます。一方、宗教は論理と直感を基礎として人間の存在意義を探求するものです。前者は検証、後者は妄想とも言い換えることができるでしょう。そのため、検証で物事を明らかにしてきた科学は、妄想を語る宗教を排斥する傾向にありました。

近代科学は、すべてを物質化・数値化し、主張をまじえず処理することによって、飛躍的に発展をとげてきました。それが、近代文明の発達に貢献したことは言うまでもありません。宗教では、物質的な豊かさを追求することには限界があります。

科学的宇宙観と仏性

普遍的に成立する物理学を目指したアインシュタインは、物理学者はどんな立脚点にたつべきかという基本的な問題を熟考し、その出発点として相対性原理を選びました。それは、有名な相対性理論の前提となるものです。

科学的宇宙観とも呼べるアインシュタインの考え方は、空海が唱える「即身成仏」という思想に似ています。空海は、すべての人間に仏性が宿っているとし、仏性を開けばただちに仏になりうると説いています。「仏とは宇宙の根本法則であるから、それはまさしく、人間が”自然の摂理”にめざめることの重要性を主張している」のであり、アインシュタインが考える宇宙観とも整合性があります。

科学が客観的な法則を見つけることであれば、仏教は自然の摂理にしたがって人間が生きることを説くものです。両者は、法則にしたがうという点で共通しており、お互いを排斥する関係にはないのです。

空海は、他の宗教的指導者とは異なり、多くの著作を残しています。仏教の教えを言語化することは、物理の法則を数式化することとも似ています。アインシュタイン空海は、不変的な法則を探求し、誰にでもそれを示せるようにした点でも共通しています。

科学も仏教も人間中心ではない

空海は、人間優先の世界観に異議をとなえています。真理の中心核である大日如来は、生命も物質も問わず、いかなる形でもあらわれます。「輝く星ぼし、山川草木、風のそよぎ、海の波」もみな大日如来であり、誰の心の中にも宿っています。

西洋文明は、人間は自然の支配者だと考え、自然破壊を繰り返してきました。しかし、このような考え方は、やがて人間の生存に脅威を与えることになると多くの人が気づき始めています。SDGs(持続可能な開発目標)の重要性が叫ばれるようになったことは、それを裏付けるものと言えるでしょう。

科学が人々を豊かにすると考えたアインシュタインでしたが、やがて自分の行為によって広島と長崎に原爆が投下されたことに大きなショックを受けます。自分の研究という原因が、多くの人々の命を奪ったという結果につながってしまったのです。まさにそれは、仏教でいうところの縁起です。

人間が豊かになるために自然を実験台として使い、自然破壊を繰り返していると、やがてその報いが人類に帰ってくる時がやって来ます。電力を得るために火力発電を使い続けると、やがて化石燃料が枯渇し、現代社会は持続不能となります。

だからと言って、原発を使うべきかというとそうではありません。原発は、発電時は二酸化炭素を排出しません。だから、クリーンなエネルギーだと思われています。しかし、ウラン鉱石の採掘、輸送、精錬、濃縮、加工などの多段階で大量に石油を投下しなければなりませんから、埋蔵資源を消費しています。原発の建設や放射性物質の保管にも石油を必要としますから、結局は、火力発電と大差ないのです。

火力も原子力も、どちらも持続可能ではありません。再生可能エネルギーの利用をすすめる必要がありますし、そもそもエネルギーを使わない工夫をすることも、先進国に住む人々に要求されます。

空海は、人間と自然の共生を基礎とする包括的な世界観を主張していますが、それは、科学でも同じことです。人間優先の世界観のために科学や宗教を利用していると、いずれ人類は自然の反撃に遭うでしょう。