ウェブ1丁目図書館

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言葉が持つ利便性がコミュニケーション力を退化させる

人間は言葉を使って他者と関わっています。コミュニケーションをとると表現した方がわかりやすいかもしれません。

言葉はとても便利で、単語1つを声にするだけで、自分が伝えようとしている事柄を相手に伝えられることもあります。また、目の前にない物であっても、名前がついていれば、それを言うだけで相手に伝えられます。

もしも、言葉がなければ、相手にパンや服など、具体的なものを指し示さなければ伝えられません。自分の思いになると、言葉以外の方法で相手に伝えるのは非常に難しくなります。こうやって考えると、あらためて言葉はとても便利な道具だと気づきます。

一方で、言葉には危険な面もあります。昨今のSNSでの炎上は、言葉によって惹き起こされた新たな災害と言えるでしょう。

言葉がバーチャルな世界を生み出した

漫才コンビ爆笑問題太田光さんと霊長類学者で人類学者の山極寿一さんの対談を収録した『「言葉」が暴走する時代の処方箋』は、言葉が持つ危険性を示すとともにどう使いこなすのか考えさせられる書籍です。

人間が言葉を持っていなければ、「直径10cmの石」という物を相手に伝える場合、実際にそれを相手に示さなければなりません。もしも、足元に「直径10cmの石」がなければ、どこかに行って見つけてこなければなりません。しかし、人間は、言葉を持ったことで、今目の前にない「直径10cmの石」を相手に伝えることが可能となりました。

また、昨日の夕食にカレーライスを食べた場合も、言葉がなければ、それを伝えようと思うと、相手にカレーライスを見せなければなりません。しかし、カレーライスを用意できたとしても、「昨日」という時間を相手に伝えるのは非常に難しいです。

ところが、人間は言葉を持つことによって、いつでも、どこにいても、伝えたい内容を相手に伝えられるようになりました。言葉には、時空を超える効用が備わっているからです。そして、この時空を超える効用が他者とのつながりをバーチャルに拡大するようになったのが現代です。

もしも、言葉がなければ、人間はバーチャルな世界でのコミュニケーションをできなかったかもしれません。

文字にされた言葉に頼り過ぎることで見えなくなってきたもの

かつて、言葉は相手に向かって発しなければなりませんでした。しかし、文字が誕生したことで、言葉を紙に記録できるようになり、目の前に相手がいなくても、事象や思いを伝えられるようになりました。しかも、文字が書かれた紙が100年間保存されていれば、100年後の人にも自分の言葉を伝えられます。

さらに印刷の技術が発達し、1枚の紙を何枚も複製できるようになったことで、多くの人に自分の言葉を伝えることが可能になりました。そして、インターネットの普及により、自分の言葉を届けられる人の数は、文字がなかった時代よりも格段に膨らんでいます。

しかし、画面を通して見えるのは単なるデータであって、生の持つ圧倒的な情報量には到底かなわないと山極さんは述べています。人間は、言葉でどのようなコミュニケーションもとれると考えがちですが、単に言葉が記された画面を見ただけでは正確に相手の意図を確認できない場合があります。

言葉にできない感情もあります。今まで見たことのない現象もあります。それらを言葉で説明するのは難しいです。しかし、面と向かって話を聴くことで、相手が言わんとしていることを理解できる場合があります。文字にされた言葉を見ただけでは、相手の真意に気づけないことがあるのです。

現在のSNSの炎上は、文字にされた言葉だけで相手の真意を判断しようとすることで起こっている場合が多いのではないでしょうか。そして、そこでの言葉の応酬は、お互いにわかり合いたいという思いがないことから収拾がつかなくなっていると山極さんは指摘しています。インターネットの世界では、単に相手を論破することが目的で、言葉が使われるようになってきているように思います。

伝えることより相手を理解しようとすること

コミュニケーション力が高い人とは、流ちょうに話をできる人というのが一般的なイメージです。しかし、それが、本当にコミュニケーション力が高いということでしょうか。

太田さんと山極さんの対談を読むと、本当にコミュニケーション力が高い人は、相手が何を言おうとしているのかを読み取ることだと気づかされます。流ちょうに話せる人もいれば、たどたどしく話す人もいます。後者はコミュニケーション力が低いとみなされがちですが、本当は後者の話に耳を傾けられない人がコミュニケーション力が低いのかもしれません。

人間は、本来違うものなのに相手と自分が同じだという前提でコミュニケーションをしようとしており、それが真意を伝わらなくしている原因です。SNSでの論争は、自分も相手も同じ知識を持っていることが前提となっており、一方がある事柄を知らなかったら論破したことになっているように見えます。これがコミュニケーションなのでしょうか。

コミュニケーションは、相手とわかり合うことです。言葉は、それに役立つ道具のはずですが、現代では、逆に敵対するための道具に使われることが多くなっています。言葉を持たない動物の方が、実は人間よりもコミュニケーション力が高く、お互いをわかり合っているように見えます。

流ちょうに話す人よりも、相手が言葉に詰まった時に的確な言葉を示せる人の方がコミュニケーション力が高いのではないでしょうか。