ウェブ1丁目図書館

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外圧によって始まり外圧によって終わった日本の近代

日本の近代を明治維新から第2次世界大戦までの期間とすると、この時代は外圧によって起こり外圧によって終わったと言えそうです。

日本の近代の幕開けは、江戸幕府が欧米列強の圧力によって結ばされた不平等条約に危機感を持った勤王の志士たちがもたらしました。彼らのおかげで、日本は欧米諸国の植民地にならなかったのかもしれません。

理想なき革命

明治維新封建制社会を崩壊させた革命と考えることができます。しかし、明治維新は、他の国で起こった革命とは根本的なところが違っています。

作家の司馬遼太郎さんは著書の「この国のかたち(1)」で、明治維新は「革命思想としては貧弱」と述べています。

スローガンは、尊王攘夷でしかないのである。外圧に対するいわば悲鳴のようなもので、フランス革命のように、人類のすべてに通ずる理想のようなものはない。
また人間の基本の課題もほとんど含まれていないのである。
(21ページ)

他国の革命では、最初に人間はどうあるべきかが叫ばれ、その理想と現実のずれを解消するために現政権を倒します。

ところが、日本の明治維新は、そのような理想を掲げたものではありませんでした。日本史の中で江戸時代は、とても平和でした。そのため、無理やり終わらせる必要はなかったとも言えます。

しかし、ある時、大きな蒸気船に乗った外国人が日本列島にやってきて、このままでは他国に侵略されてしまうという危機感が急激に高まりました。そして、江戸幕府に政治を任せられないと考えた勤王の志士たちが、江戸幕府を倒し明治政府を樹立したのです。

民衆が権力者に虐げられていたのではなく、ただ外圧に屈しないために江戸幕府を倒しただけですから、明治維新は他国の革命と比較して異質なのでしょう。単なる政権交代と言えなくもありません。

無意味な大海軍

近代を迎えた日本は、その後、国際的地位を高めていき江戸時代に結ばされた不平等条約も解消していきます。

日本の力を世界に示すことができたのは、20世紀初頭の日露戦争の勝利からです。しかし、日露戦争の勝利は同時に日本を第2次世界大戦での大敗北へと向かわせます。

先にも述べましたが、明治維新は人間がどうあるべきかの理想が掲げられて実現したものではありません。外圧に負けないための政権交代ですから、その体裁は欧米諸国を真似たものでしかありませんでした。大海軍を持ったことも、その一つと言えるでしょう。

大海軍というのは、地球上のさまざまな土地に植民を持つ国にしてはじめて必要なものなのである。
帝国というのが収奪の機構であるとすれば、十六世紀の黄金時代のスペインこそその典型だった、史上最大の海軍がつくられ、大鑑と巨砲による威圧と収奪、陸兵の輸送と各地からの収奪物の運搬のためにその艦船はあらゆる海に出没した。
(中略)
しかし、日露戦争終了のときには、日本は、世界じゅうに植民地などもっていないのである。
(38~39ページ)

日露戦争が終わると大海軍を持つ必要がなくなりました。それでも大海軍を残したのは、多くの海軍軍人が残ったこともあるでしょうが、日本の近代が帝国主義を真似たものだったからなのかもしれません。

その後、日本は朝鮮半島を支配しますが、司馬さんは、これを「日露戦争の勝利が、日本国と日本人を調子狂いにさせた」と考えています。

二十世紀なかばまで、諸家によって帝国主義の規定やら論争やらがおこなわれたが、初歩的にいえば、商品と資本が過剰になったある時期からの英国社会をモデルとして考えるのが常識的である。過剰になった商品と、カネの捌け口を他に得るべく―つまり企業の私的動機から―公的な政府や軍隊をつかう、というやり方だが、日本の近隣においては、英国はこのやり方を中国に対しておこなった。
(42ページ)

当時の日本には過剰な商品はありませんでした。それなのに朝鮮半島を支配したのは、帝国主義の本質を見ずに外見だけを真似した行為です。当然、日本は、帝国主義国が得た経済的利益と同じものを得ることはありませんでした。

見えない支配者

昭和に入ると、日本の政治は何がなんだかよくわからなくなります。その一つの原因は統帥権にあります。

現代日本日本国憲法があるように当時の日本にも大日本帝国憲法がありました。そして、大日本帝国憲法にも、日本国憲法と同じように立法、行政、司法が独立であるべき三権分立が規定されていました。

ところが、昭和に入ると三権の上にもう一つの権利ができあがります。それが統帥権です。統帥権は統帥機関である参謀本部に与えられた権限です。しかし、統帥権については憲法に一切規定がありません。

一握りの人間たちが、秘密を共有しあった以上は、秘密結社としか言いようがないが、こまったことに参謀本部は堂々たる官制による機関なのである。その機関が、憲法を私議し、私的に合意して自分たちの機能を”憲法外”としている以上は、帝国憲法による日本帝国のなかに、もう一つの国があったことになる(むろん日露戦争のころの参謀本部はそういう鬼胎ともいえるような性格のものではなかった)。
(74~78ページ)

昭和の初めから第2次世界大戦まで、憲法に明文化されていない権限を持った者たちが日本を支配していたのですから、当時の政治が現代から見てわかりにくいのも納得できます。

統帥権は、敗戦によって雲散霧消します。明治維新と同じ外圧による崩壊です。

良くも悪くも、日本社会は外圧なしに変われないのかもしれませんね。

この国のかたち 一 (文春文庫)

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