ウェブ1丁目図書館

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競馬界にフェアプレーと義理と人情で勝ち続けたジョッキーがいた

2015年9月。

フェアプレーを貫き通したJRA所属騎手が引退しました。

それは、藤田伸二騎手です。

藤田さんのジョッキー生活は25年におよび、通算勝利数は1,918勝。G1勝利数も17勝と、歴代のJRA所属のジョッキーの中でもトップクラスの成績を残しました。

通算勝利数もG1勝利数も、一流騎手というに申し分ありません。でも、藤田さんが他のジョッキーと比較して最もすばらしかったのは、特別模範騎手賞を2回、フェアプレー賞を17回獲得したことでしょう。

競馬で勝つのは簡単

藤田さんは、著書の「騎手の一分」で、競馬で勝つことは簡単だと述べています。

要は、強い馬に乗りさえすれば勝てるのだそうです。それを実感したのは、デビューした1991年12月にラジオたんぱ杯3歳ステークスで1番人気のノーザンコンダクターに騎乗した時です。

ノーザンコンダクターの主戦ジョッキーは岡潤一郎さんだったのですが、前の週に騎乗停止になったことから、急きょ、藤田さんに乗り替わりとなりました。藤田さんは、同馬を管理する伊藤修司調教師にどのように乗ればよいかアドバイスをもらいに行きました。

その時の答えは、
「とにかく4コーナーまで我慢せえ。どんな位置にいてもいいから、直線に向くまで追うな。勝つから」
だった。で、無化夢中になってその通り乗ったら、2馬身ぶっちぎって勝つことができた。
デビュー1年目の俺は、それまで4回重賞にのせてもらっていたけど、12着、11着、5着、11着と、なかなか勝てずにいた。
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馬7割、騎手3割と言われるように競馬のレースでの勝敗は、馬の能力に頼るところが大きいです。

この時の経験が、藤田さんのその後の競馬人生に大きな影響を与え、25年間で2,000勝近くも勝つことができたとのこと。

最も大切なことは人の邪魔をしないこと

藤田さんは、勝つための騎乗を大前提とした上で、人の邪魔をしないことを第一に心掛けてレースに臨んでいました。

時速60km~70kmで疾走する競走馬から落ちれば、大事故につながりかねません。最悪の場合には死者が出ることもあります。だから、レースを安全に終わらせるためには、誰もが人の邪魔をしない騎乗をすることが重要です。

しかし、勝利を意識し過ぎると、無理をして危険な騎乗をしてしまうことがあります。そうした騎乗に対しては制裁が科せられるのですが、藤田さんは人の邪魔をしない騎乗を第一としていたことから、現役時代は滅多に制裁を受けることがありませんでした。それが、2位以下を圧倒的に突き放す歴代1位のフェアプレー賞17回の受賞につながったのでしょう。

ひとたび事故を起こすと、まず馬券を買ってくれたファンに迷惑をかけるし、何人もの騎手を巻き込む大惨事になってしまう可能性だってある。相手の騎手がささいなケガで済めばまだしも、最悪の場合、死に至らしめてしまう。少なくとも、俺がもし落馬事故を起こしてしまったら、自粛もせずに乗りつづけるなんて、絶対にできない。騎手はみんな、熱心に応援してくれる多くのファンを抱えているし、家族だっている。そういう要素をいろいろと考えると、騎手にとってもっとも大切なのは「人の邪魔をしないこと」に尽きると思う。
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馬と馬の間をこじ開けて勝つ騎乗を見ると、多くの人が上手いと思います。しかし、その騎乗は一歩間違えると、他馬を巻き込んだ大事故につながりかねません。

だから、藤田さんは、馬群の中で閉じ込められたまま前が開かなかったとしても、それは運が悪かったとあきらめていたそうです。何より、その位置で競馬をしたことが自分の判断ミスだと受け止め、次回以降、同じミスをしないようにしていました。

それに本当に強い馬に乗っていれば、一瞬でも隙間ができれば、そこに入っていけるスピードがあるので無理をする必要はないとのこと。

それなのに、今は小手先だけで何とかしようと無理矢理馬群をこじあけたり、周りの状況をしっかりと見ることもなく、急に進路を変えたりする騎手が多くなってきている。要するに、普段自分はそんなふうに人の邪魔をしておきながら、いい成績を挙げていることを笠に着て、成績のよくない若手に文句を言っているわけだ。いい馬に乗せてもらっているおかげで勝っているだけで、決して自分一人の力で勝っているわけじゃないのに、そういうことをわかっていない連中が増えた気がする。
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勝ちを急かされるジョッキーたち

ジョッキーが、危険な騎乗をするのは、そのジョッキーの実力や性格の問題だけが理由ではありません。

勝率1割、どんなに良くても2割程度しか勝てない競馬の世界で、多くのジョッキーが勝ちを急かされています。その原因の一つとなっているのが、エージェント制度だと藤田さんは述べています。

以前は、ジョッキーが厩舎回りをして、レースに乗せてくれるように依頼をしていたのですが、最近では、代理人を使ってレースに騎乗する馬を獲得するエージェント制度が主流になっています。エージェント制度を最初に採用したのは、岡部幸雄元騎手だと言われています。岡部さんには、毎週、多くの騎乗依頼があったので、それをさばくために代理人を起用するようになったそうです。

もともとジョッキーの負担を軽減する目的だったエージェント制度でしたが、今では代理人の力が強くなり、実力のある代理人と契約しているジョッキーが強い馬に乗れるようになっています。また、大規模な生産牧場は、代理人を通して自分の生産馬に成績の良いジョッキーを乗せるように伝えています。

そして、一度、レースでミスしたジョッキーは、生産牧場の指示により他のジョッキーに乗り替わりとなるので、次回同じ馬に乗せてもらえなくなります。こういった理由から、ジョッキーは勝ちにこだわるようになります。また、生産牧場や代理人の力が強くなったことで、若手騎手を時間をかけて育てれる環境も失われつつあるようです。

つまり、今の日本の競馬会において、強い馬を数多く抱える大手クラブや大牧場の存在感は増すばかりなんだ。だからこそ、いくらエージェントや調教師にあっさりクビを切られたとしても、騎手はあまり不満を漏らすことができないような雰囲気が、競馬界に漂っているんだと思う。
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義理と人情で勝った春の天皇賞

藤田さんは、現役時代、一番勝ちたかったレースが春の天皇賞だと語っていました。

春の天皇賞は3200メートルで行われる長距離戦。短距離のレースだと、馬のスピードで勝つことができますが、長距離戦になるとペース配分や仕掛けのタイミングが重要となります。そのため、春の天皇賞に勝つためには、馬の実力と騎手の技術のすべてが要求されます。

2011年の春の天皇賞ヒルノダムールに騎乗した藤田さんは、同期のダービー馬エイシンフラッシュの追撃をしのぎ、1着でゴール板を駆け抜けました。

当然、ヒルノダムールの実力と藤田さんの技術が勝利につながったのですが、その裏には、オーナーと調教師との強いきずながありました。エージェント制度が主流の現在の競馬界で、オーナーと調教師は最初から最後までヒルノダムールの主戦を藤田さんに任せます。その義理と人情があったからこそ、ヒルノダムールと藤田さんは春の天皇賞を勝てたのでしょう。

なお、ヒルノダムールはデビュー戦から引退までの21戦すべてに藤田さんが騎乗しました。近年、G1を勝った馬の中で最後まで主戦騎手が替わらなかった馬は珍しく、すぐに思い出せるのは2005年の三冠馬ディープインパクト武豊騎手、歴代最高獲得賞金の記録を持つテイエムオペラオー和田竜二騎手、史上2頭目の三冠牝馬スティルインラブ幸英明騎手くらいですね。しかし、これらはエージェント制度が採用される2006年より前のことです。


春の天皇賞を勝つ1ヶ月前、藤田さんは、ドバイワールドカップトランセンドで出走しました。

それまでのドワイバールドカップでの日本馬の最高着順は2着でした。そして、トランセンドと藤田さんも2着に好走しています。なお、この時の1着馬は同じ日本馬のヴィクトワールピサで鞍上はミルコ・デムーロ騎手でした。

東日本大震災から2週間ほどしか経っていない時期での、日本馬によるドバイワールドカップのワンツーフィニッシュは、いつまでも競馬ファンの間で語り継がれることでしょう。