ウェブ1丁目図書館

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何かしないといけないと思う人間と何もしなくてもうまくいく自然

人間というのは、うまくいかないことがあると、何とかしなければならないと思い、いろんな手当をしようとします。これは、大脳が発達した人間特有の行動と言えます。

一方で、自然というのは、人間が何か手を加えなくても、勝手に良い方向に動いていきます。洪水が起ころうと地震が起ころうと、時が経てば、また元の状態に戻っていきます。

ひょっとしたら、人間は、あれこれと悩み考え、そして行動することで、逆に今よりも悪い方向へと進んでいくのかもしれません。リンゴ農家の木村秋則さんも、リンゴの無農薬栽培のために手当てをしすぎたせいで、悪い方へ悪い方へと進んでいきました。

最初はうまくいきかけた無農薬栽培

木村さんは、ある日、福岡正信さんの本に出会います。その本には、無農薬栽培のことが書かれていました。木村さんは、その本に夢中になり読めば読むほど、自分も無農薬栽培に挑戦したいという気持ちが湧いてきます。

そこで、自分の所有するリンゴ畑で、まずは減農薬栽培を試すことに。4ヶ所の畑を所有していた木村さんは、通常は、13回散布する農薬を畑ごとに6回、3回、1回に減らしてみました。

すると、6回散布の場合は13回散布と大差なし、3回散布の畑は害虫被害はあるものの許容範囲、1回散布の畑は収穫が半分程度まで落ち込みました。全体的に収穫量は減ったものの、農薬代が節約できたため、それなりの利益を上げることができました。

この結果から、木村さんは無農薬でもリンゴ栽培が可能なのではないかと思い、お義父様に来年からは無農薬栽培をしたいと申し出たところ、あっさりと許可してもらえました。

病気で弱っていくリンゴたち

やがて、木村さんは、リンゴ畑の1ヶ所だけを無農薬で栽培することにしました。5月頃までは順調だった無農薬栽培でしたが、7月に入って事態は急変。畑中の葉が黄色くなって半分くらいが落ちていったのです。

農薬を1回も散布しなかったことで、リンゴの木が病気にかかったのです。木村さんは、この光景を見て農薬のすごさを感じたものの、無農薬栽培をやめることはなく、逆にやる気が湧き出したと述べています。しかし、この選択が、木村さんに長く辛い試練を与えることになります。

無農薬栽培をしていたのは4ヶ所の畑のうちの1ヶ所だけでした。仮に無農薬栽培が失敗しても、収入の4分の1が減るだけなので、大きな打撃を受けないと考えたからです。でも、1ヶ所だけで無農薬栽培をしていたのでは、結果を出すのに時間がかかります。

そこで、木村さんは、4ヶ所すべての畑で無農薬栽培を開始したのです。

諦めかけた瞬間に気付いた自然の道理

完全無農薬栽培に移行して4年の歳月が過ぎていました。

これくらいの期間、試行錯誤すればある程度の結果が出ていそうなものですが、木村さんのリンゴ畑は、無残な姿に変わり果てていました。リンゴの木は相変わらず病気に侵され、害虫も大量に発生する状態。周りの農家からも苦情が出ます。

来る日も来る日も害虫を取り除く作業とリンゴの木に農薬代わりに酢を散布して、害虫を予防し続けます。しかし、取っても取っても害虫はやってきますし、酢を散布しても農薬のような効果は全くありません。

さすがに精神的に参ってしまった木村さん。とうとうロープを持って山の中に入り自殺をすることにしました。

山の奥に入っていった木村さんは、異様な光景が広がっているのに気付きました。それは、誰もいない山の中でリンゴの木がたくさん並んでいたのです。葉がしっかりと生い茂ったリンゴの木は健康そのもの。農薬も肥料も何もないところで、たくましく育っています。

リンゴの木に近寄ってみると、それはリンゴではなくドングリの木でした。

でも、リンゴでもドングリでも木村さんにとっては同じこと。なぜ、農薬をまいていないのにこんなに元気に木が育つのか。その理由は、足の裏を伝って木村さんの脳へと伝わってきました。

足を踏み出すと、フワフワとした柔らかい感触。それは、木村さんのリンゴ畑では感じることのできないものでした。さらに違っていたのは、ツーンとした匂い。これも木村さんのリンゴ畑にはありません。

山の中だから、当然、虫はたくさんいます。でも、ドングリの木は虫にやられることなく元気に育っています。その理由は、土にあるのだと木村さんは気付いたのです。

雑草を生やし放題に変更

土の違いに気付いた木村さんは、ナイロン袋にドングリの木の下の土を入れて急いで帰宅。翌日から土作りに取り組むことにしました。

ドングリの木が元気に育っていたのは、誰かひとりの力によるものではありません。

この場所に棲む生きとし生けるものすべての合作なのだ。落葉と枯れた草が何年も積み重なり、それを虫や微生物が分解して土が出来る。そこに落ちたドングリや草の根が、根を伸ばしながら、土の深い部分まで耕していく。土中にも、草や木の表面にも無数のカビや菌が存在しているだろう。その中にはいい菌も、悪い菌もいるはずだ。(126ページ)

自然というのは、草も木も虫も動物もそれ単体で生きているわけではなく、共生関係が出来上がっていることに気づいたんですね。

それからの木村さんは、雑草を刈るのをやめ、安くで買ってきたクズ大豆を撒いて、山の中の土を再現することにしました。そして、リンゴの木と様々な生物との共生関係が出来上がり、無農薬栽培開始から9年目についに花が咲きました。

そして、その年の秋にはリンゴが成ります。でも、リンゴはどれも小さく加工用としてしか売ることができず、わずか1万円程度の収入にしかなりませんでした。

リンゴが成るようになってから2年後か3年後。木村さんは、青森から大阪まで出かけ、収穫したリンゴを大阪城公園で売ることにしました。どのリンゴも大した値段では売れなかったものの、とりあえず完売。しかし、これではリンゴ栽培で生計を立てることができません。

そんな鬱々とした気分で青森に戻った木村さん。ある日、自分の畑を見るとリンゴの木が紅葉していました。農薬を散布している畑のリンゴの木は不思議と紅葉せず、冬になっても、くすんだ色の葉が木に残っています。その姿を見て、木村さんは、自分は間違っていないと思ったそうです。

それからしばらくして、木村さんのもとに一通の手紙が届きました。

「あんな美味しいリンゴは食べたことがありません。また送ってください」(176ページ)

手紙にはそう書かれていたそうです。