人間は細胞の集合体です。その細胞の中には細胞核があり、細胞核には遺伝情報が詰まったDNAがあります。自分の体の情報を子孫に受け継がせるためにDNAは重要な存在です。
DNAは細胞核以外にミトコンドリアの中にも少量存在します。ミトコンドリアは、細胞質にある細胞小器官で呼吸に関係した器官です。また、生命活動を行うために必要なアデノシン三リン酸(ATP)を産生するエネルギー工場の役割も果たしています。
このミトコンドリアも、自分の両親から受け継いだのだろうと思うでしょうが、実は、ミトコンドリアは母系遺伝しかしないので母親からしか受け継ぐことができません。
ミトコンドリアの多様性は失われていく?
ミトコンドリアが、母親からしか遺伝しないのであれば、時間の経過とともにミトコンドリアの多様性が失われていきます。
これについては、分子古生物学を専門とする更科功さんの著書「化石の分子生物学」で興味深く解説されています。
たしかに昔は、ミトコンドリアにいろいろな種類があったかもしれない。だが、ある女性に子供がいない、あるいは子供に男の子しかいないことはしょっちゅうあるだろう。そうすると、その女性のミトコンドリアは子孫に受け継がれることなく消えていく。
(中略)
つまり、ミトコンドリアの種類は、減ることはあっても増えることはないのだ。したがってミトコンドリアの種類はだんだんと減っていく。そしてついには、すべての人類が同じ種類のミトコンドリアを持つようになる。
(53ページ)
人間が生きていくために常に行っている呼吸、そして、エネルギー産生に必要な情報は、父親から受け継いでいないのです。ミトコンドリア以外でそれらの情報を父親から受け継いでいるのかもしれませんが、ミトコンドリアに関しては母親から受け継がれています。
更科さんが述べているように女性が、生涯で女の子を出産しなければ、その女性のミトコンドリアを受け継ぐ子孫がいなくなります。どんなにたくさんの子供を産んでも、全て男の子であれば、その母系が代々受け継いできたミトコンドリアの情報は、この時点で消滅するのです。
女の子を出産しない女性はたくさんいます。だから、ミトコンドリアの種類は徐々に減っていき、最終的に1人の女性から受け継いだミトコンドリアだけが存続し続けます。
そうすると、ミトコンドリアの多様性が失われてしまうのではないでしょうか?
ミトコンドリア・イブ
全人類のミトコンドリアが、最終的に1人の女性から受け継ぐことになるのはいつ頃なのか。
このような疑問がわいてくるでしょうが、すでにわれわれのミトコンドリアは20万年前の1人の女性から受け継いだものだとわかっているそうです。
二十万年前にも女性はたくさんいただろう。その中のただひとりが持っていたミトコンドリアが現在の全人類に広まったのだ。この、おそよ二十万年前に生きていたひとりの女性を、旧約聖書のアダムとイブの話になぞらえて「ミトコンドリア・イブ」と読んでいる。
(54ページ)
現代人のミトコンドリアは20万年前の女性のミトコンドリアを受け継いだものなので、すでにその多様性が失われているように思います。
ところが、現代人が受け継いだミトコンドリアは20万年前の1人の女性のものですが、多様性は失われていないようです。その理由は、ミトコンドリアに突然変異が起こるからです。
人間のミトコンドリアDNAは全部で16,569塩基対です。計算上では、20万年の間にそれらの数百個が突然変異により変化していると考えられます。したがって、全人類が20万年前の女性から受け継いだミトコンドリアを持っていても、突然変異で様々な種類が登場していることから、ミトコンドリアの多様性は失われていないでしょう。
しかし、現在の多様なミトコンドリアも、やがては20万年前の女性のミトコンドリアと同じようにこれから20万年もすれば現在生きている1人の女性のミトコンドリアだけになるはずです。そして、20万年の間に突然変異も起こるでしょうからミトコンドリアの多様性は失われないでしょう。
50%の確率の当たりを連続で引き続ける難しさ
人間の女性が女の子を出産する確率はほぼ50%です。
50%と聞くと、高確率に思いますが、10世代続けて女の子を産み続ける確率はとても低いです。
- 1世代目=50%
- 2世代目=25%
- 3世代目=12.5%
- 4世代目=6.25%
- 5世代目=3.125%
- 6世代目=1.5625%
- 7世代目=0.78125%
- 8世代目=0.390625%
- 9世代目=0.1953125%
- 10世代目=0.09765625%
10世代続けて女の子を出産し続ける確率は0.1%もありません。ミトコンドリア・イブと呼ばれている20万年前の女性のミトコンドリアの情報は、50%の確率の当たりを20万年間ずっと引き続けてきたことになるのです。
パチンコをする方ならご存知でしょうが、次回の大当たりを約束された確率変動状態に入るためには、機種にもよりますが、確率変動に突入する50%の確率の大当たりを引かなければなりません。10連チャンもすれば大連チャンですから、ミトコンドリア・イブほどの大連チャンをやってのければ、お店にある全ての景品を持って帰れるでしょう。いや、もしかしたら日本全国のパチンコ屋が倒産するほどの景品を獲得できるかもしれません。
ただ女性が子供を1人だけ出産するとは限りません。5人以上を出産したお母さんもいますから、必ずしも50%の確率を引き続けなくても、ミトコンドリアの情報を女の子に受け継ぐことは可能です。
例えるなら、馬券の5重勝単式(WIN5)のようなものですね。5重勝単式は5レース連続で1着になる馬を当てなければ的中となりませんが、1レースにつき何頭でも選べます。例えば、1レース目は3頭、2レース目は5頭、3レース目は8頭、4レース目は10頭、5レース目は15頭という買い方もできます。
ある女性が3人の女の子を出産し、その女の子たちが大人になって3人ずつ出産したとしましょう。その中には、男の子もいるでしょうが、女の子もいるはずです。
仮に最初の女性から見て女の子の孫が5人生まれたとしたら、その5人が大人になって3人ずつ出産し、その約半分の8人が女の子でさらにその8人が3人ずつ出産して半分が女の子で、といったことを繰り返していけば、最初の女性のミトコンドリアが徐々に増えていきます。
女性が生涯で1人しか出産しなければ、ミトコンドリアを子孫に受け継ぐのは難しいですが子だくさんであれば、20万年後にミトコンドリア・イブと呼ばれるようになるかもしれませんね。
サラブレッドも最終的には1頭の父系だけが生き残る?
競馬の話が出たので、ついでにサラブレッドの血統についても紹介しておきましょう。
現在、サラブレッドと呼ばれる種類の馬は、父親をさかのぼっていくと、ダーレーアラビアン、バイアリーターク、ゴドルフィンアラビアンの3頭の牡馬(オスの馬)にたどり着きます。もしも、父親をさかのぼってもこの3頭のいずれかに辿り着かなければ、その馬はサラブレッドではありません。
競馬の世界は優勝劣敗。強い牡馬だけが種付けを許され、多くの子供を残せます。
現在の日本の生産牧場では、サンデーサイレンスという牡馬の子供や孫たちが種牡馬(種馬)として活躍しています。サンデーサイレンスは、父親をさかのぼっていくとダーレーアラビアンに辿り着くので、このまま長い年月が経過すれば、最終的に日本の競馬界にはダーレーアラビアンの父系しか残らなくなるかもしれません。