村上龍さんのデビュー作「限りなく透明に近いブルー」を読みました。
この作品は、群像新人賞、芥川賞を受賞した作品です。群像新人賞受賞作品として掲載された時の龍さんの年齢は24歳。よく20代前半の若者が、このような作品を書くことができたものだというのが、読後の感想です。
物語の内容は、一言で言うと、20歳前後の若者たちの欲求を描いたといったところでしょうか。
性交渉、薬物、暴力。
体から噴き出すような若者の欲求が、最初から最後まで描写されています。
傍観者のような視点
「限りなく透明に近いブルー」は、とにかく、若者たちの欲求ばかりが目立ちます。
だから、そういった描写になると、読者の気持ちも高揚してくるように思うでしょうが、そんなことがないんですよね。何となく不思議な気持ちのまま最後まで読み、今井裕康さんの解説に目を通すと、納得のいくことが書かれていました。
この作品がじつは奇妙な静けさに浸されていることに誰もが気づくだろう。このことをたとえば新人賞の選考委員たちは一致して清潔と評している。それではこの静けさはいったい何を意味するのか。それは、ここにはじつはどのような行為も存在しないことを意味しているのだ。ただ、見ること見つづけることへの異様に醒めた情熱だけである。(154ページ)
そうなんです。
薬物に手を出す行為、人を殴る行為、こういった描写は、他の小説の場合だと、自分が当事者になったような感じなのですが、「限りなく透明に近いブルー」では、傍観者の立場から抜け出すことなく、読み進んでいきました。
電車の中で知らない人の会話を無意識に聞いている感じ
傍観者の立場とはどういう感覚なのか?
それは、電車の座席に座りながら本を読んでいる時、自然と飛び込んでくる他の乗客の会話といった感じです。意識はしていないけども、会話の内容は理解できる状況ですね。
そんな感覚で、読み進んでいったので、作中の危険な描写も、ただ風景のように流れていくような感じでした。
なぜ、傍観者のような感覚で読み進んでいったのかを振り返ってみると、この作品での会話部分が、鍵かっこになっていないことが多かったからではないかと思います。
鍵かっこが外れている会話。
それは、自分が会話の中に入っているのではなく、離れた場所で他人の会話を聞いている感覚になります。それは、まさに電車の中の他の乗客の会話、カフェのテラス席から聞こえてくるOLの会話、病院で診察を待っている間に耳に入ってくるラジオなど、受動的な状態で聞いている会話と同じような感じなのです。
そして、鍵かっこ付きの会話になると、不意に自分に話しかけられたような感覚になります。ボーっとしている時に肩を叩かれた時のような、そんな感じですね。この瞬間は、一時的に自分が物語の中の当事者になったような感覚になります。
最後の最後で気持ちが高揚し始める
ただ、「限りなく透明に近いブルー」は、最後まで傍観者の立場で読み進んでいくわけではありません。
物語の最後になると、今度は、自分が主人公になったような気持ちで読み進んでいきます。描写はとても抽象的なのですが、なぜか、主人公の気持ちになるんですよね。これが何とも不思議。
この辺りについても解説を読めば、「なるほど」と思ってしまうんですよね。
小説「限りなく透明に近いブルー」には、きわめて興味深い逆説が潜んでいるといわなければならない。ここでは、現実的なものが非現実感を与え、非現実的なものが現実感を与えるのだ。そして、この逆説こそがじつはこの小説の隠された主題なのであり、私は私であるという自明とされていることがここでは危機にさらされているのである。(158ページ)
最後の部分にいたるまでは、確かに現実的な描写なんですけど、どこか冷めている感じで読んでしまいます。解説にある非現実性ということなのでしょうか?そして、最後になると今度は非現実的な描写なのに不思議と実感があるというのか、主人公と自分の気持ちが一体になる感覚があります。
大学生の夏休みのような気持ち
そして、物語を読み終わった後、大学時代の夏休みをふと思い出しました。
僕の学生時代は、「限りなく透明に近いブルー」の主人公のような激しいものではありませんでした。でも、その当時の自分の日常が頭によみがえってきます。
あの頃は、気力も体力も有り余っていて、夏休みの暇な期間が、とてもむなしい時間を過ごしているような感じがしました。今なら、そういう時間をゆとりと感じることができるのですが、当時は、暇ということが、良くないことに思えたんですよね。
この暇な時間を何とかして潰さなければならないという感情を、若さから生まれる欲求を満たすための行動、例えば、性交渉、薬物、暴力という形で表現したのが、「限りなく透明に近いブルー」の主人公たちだったのかもしれません。
読み終わった後、いったいどういう内容だったのかを説明することができないのですが、学生時代の時間に余裕があって、何をすればよいのかわからなかった感情が思い出されましたよ。