2014年1月3日に歌手のやしきたかじんさんが、食道ガンで亡くなりました。
2度離婚していたことから独身だと思われていたのですが、闘病中にさくらんさんと3度目の結婚をしており、たかじんさんは彼女に支えられながら、2年間ガンと闘い抜きました。
テレビでは、冗談ばかり話し、時には豪快な姿を披露していたたかじんさんですが、闘病中は何度も弱音を吐いていたようです。しかし、妻のさくらさんの献身的な看病に支えながら、再起に向けて辛いガン治療を何度も受け続けます。
ステージⅢの食道ガン
作家の百田尚樹さんが、たかじんさんと妻のさくらさんの闘病生活をまとめたノンフィクションの「殉愛」によると、食道ガンが見つかったのは2012年1月16日とのこと。
食道ガンはステージⅢ。進行ガンのため、すぐに治療に入らなければ2ヶ月くらいで食道が気道を圧迫し呼吸ができなくなることから、直ちに以後の仕事を休止し闘病生活に入ることになりました。死の恐怖に襲われるたかじんさん。2ヶ月間、好き放題飲み歩いて豪快な死を選ぼうとも考えましたが、さくらさんの説得によりガン治療を受けることを決心します。
2014年4月にたかじんさんは手術を受け無事成功します。
回復も早く、2日目にはベッドから降りて歩けるようになっていましたが、体の痛みを訴えたことから麻薬を注射したところ副作用で幻覚を見るようになります。譫妄状態のたかじんさんは、過去の女性遍歴をさくらさんの前でべらべらと話したり、時には彼女を殴って鼻血を出すけがをさせたりしました。
幻覚との戦い
手術はうまくいったのですが、その後、縫合不全が見つかります。手術の時に縫った部分の肉がうまく癒着せず、ほころびが出てきたのです。そのため、唾液や膿がたまり肺が圧迫されていたため、それを治すために再手術を受けます。
手術は成功。しかし、麻薬と睡眠薬の副作用のせいで、たかじんさんは毎日のように幻覚に悩まされます。そして、その幻覚もやがてネガティブなものに変わり始めます。
「仕事がない」と暴れたり、「皆が部屋から帰るのに、自分だけが帰れない。ロープのせいだ」と言って、体に挿入されたドレーンや点滴の管を抜こうとした。もし本当に抜いてしまったら、大変なことになる。医師たちは「手足を縛るしかない」と言ったが、さくらは拒否した。(134ページ)
暴れるたかじんさんをさくらさんは寝ずに看病しました。少しでも、たかじんさんの苦痛を和らげようとすると、さくらさんに負担がかかり、彼女も少しずつ肉体的、精神的に疲れを感じ始めます。
その後の経過は良く、2012年6月にたかじんさんは退院し、東京や札幌で自宅療養を開始します、しかし、彼の食道ガンはステージⅢのため、手術が成功したと言っても5年生存率は30%、再発すれば、それで最後です。
わずか1ヶ月の復帰
2013年3月。
闘病生活に入って1年以上経っていましたが、たかじんさんの体調は回復し、仕事に復帰することになりました。
たかじんさんの名を冠した番組は3番組。闘病中も、スタッフ、出演者、ファンに支えられて視聴率を大きく下げることなく、また、番組名から彼の名が消えることもなく1年以上放送され続けました。
しかし、復帰したたかじんさんの体調はすぐに悪化。わずか1ヶ月間しか仕事に戻ることができず、ガンが再発していることがわかります。
手術後、再発防止のために行った辛い抗ガン剤治療も意味がなく、たかじんさんは悔しさを吐露します。
「一年以上休ませてもろて、ほんで皆にお祝いしてもろて、万全や完璧や言うて復帰したのに、一ヵ月で休むなんて、せめて一年でもやったら番組の幕も閉じられたのに―」
彼は拳で自分の膝をアンドも殴りながら、ぼろぼろと涙をこぼした。
「何年もかかって築いてきた信頼も全部なくなった。もう終わりや」
泣きじゃくる彼に、さくらはかける言葉が見つからなかった。
(277ページ)
薬の副作用
再発したたかじんさんに手術はできません。
以後の治療は、抗ガン剤や放射線を使ったもので対処していきます。抗ガン剤が患者に与えるダメージは強く、たかじんさんは、何度も「辛い」とこぼしました。副作用は、吐き気、口内炎、腹痛、発熱、そして、精神的ダメージと、たかじんさんの心身を苦しめていきます。
苦痛をとるための向精神薬や睡眠薬にも副作用があり、たかじんさんは、精神異常をきたし、口からよだれを垂らしたりもしました。彼の症状がおかしいことに気づいたさくらさんは、ネットで症状を調べ、それが「アカシジア」という症状に似ていることがわかります。
そのことを治療に関わっている医師に放すと、アカシジアという病名を知らないどころか、「吐き気がつらいからそうなっているだけでしょう」と言って、さらに睡眠薬を増やしました。さくらさんがさらに症状を調べると、アカシジアは、精神安定剤と睡眠薬の併用で起こる可能性が高いことがわかります。しかし、担当の若い医師は「薬剤師が大丈夫と言っていますし、他の患者さんも普通に使ってますよ」と取り合いませんでした。
さくらさんが、信頼できる医師に相談すると、薬を減らすかやめるかするべきだと助言を受けます。そして、別の病院で副作用のことを話すと、思いもよらない言葉が返ってきました。
「薬の副作用なんか気にせずに、どんどん薬を増やせばいい」
さくらは一瞬耳を疑った。小太りの医師は構わずに続けた。
「今、辛いのが嫌か、副作用が嫌か、でしょう。だったら薬をバンバン飲んで、その辛さを消せばいいんです。副作用は仕方がない。そのうちに慣れます」
(303ページ)
さすがにこの医師の言葉には、たかじんさんも不快感を示します。「あいつは頭がおかしい!」
その後、減薬を実施すると、たかじんさんの副作用は出なくなっていき、精神的に安定するようになってきました。
緩和ケア
たかじんさんは、体へのダメージが少ないということから免疫療法を試したりもしましたが、病状を回復させることができません。その他の治療内容も後戻りできない方法が試され、病気を治すというよりも、その場の苦痛をとるための対症療法といった感じです。
そして、たかじんさんに「一、二ヵ月でしょう」と余命が告げられます。
ここからは苦痛から解放するための緩和ケアに主眼が置かれます。苦しむたかじんさんを懸命に看病するさくらさん。彼女の体力と精神も限界に近かったことでしょう。
自分の命が残り少ないことを知ったたかじんさんは、自分がこの世を去った時のことを考え遺言書やエンディングノートの作成に取り掛かります。そして、たかじんさんが息を引き取った後、友人や知人への連絡、メディアへの対応などは、たかじんさんの計画通りに進められ、2014年1月7日午後11時に彼の死が世間に伝えられました。
まだまだ未熟なガン治療
さくらさんの献身的な看病に主治医は、今までにこのような女性を見たことがないし今後も見ることはないだろうと語っています。また、さくらさんも、たかじんさんと過ごした2年間を幸せなものだったと語り、彼と出会えて良かったとも述べています。
きっと、たかじんさんも最期の2年間が生涯で最も幸せな時期だったことでしょう。
殉愛を読み終えた後、まだまだ現代のガン治療は未熟だと感じました。あれこれと治療法を試していく人体実験に近いような状況というのでしょうか。
たかじんさんの主治医や治療に関わったその他の医師、看護師は、今できる最善の治療を施したのだと思います。でも、どの治療法も患者に苦痛を与えるものばかりで、その治療を受けて本当に治るのか疑問に残るものが多いように感じます。
近藤誠さんが、「『余命3ヵ月』のウソ」で今のガン治療を痛烈に批判しています。近藤さんの見解には、様々な反論がありますが、助からないことがわかっている病気に対して、患者に多大な負担を与える治療法を選ぶのはどうかと思います。
副作用を無視して薬の投与量を増やせと言う医者、病名を知らない不勉強な医者もいるのですから、できるだけ医療に関わらないという選択も持つべきではないでしょうか。