ウェブ1丁目図書館

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人工知能は人に幸福をもたらすか

近年、人工知能(AI)が急速に発達しています。

人工知能がこのまま発達していけば、これまで人間が行っていた仕事を人工知能が代行するようになるでしょう。また、社会のインフラにも人工知能が搭載されることで、より安全な生活が期待できます。

一方で、人工知能と言っても、人間のような柔軟な判断力を持っていないので、これまで予期していなかった事故が起こるのではないかとの不安もあります。また、人間の仕事が減り、失業者が増えるのではないかとの懸念も示されています。

期待と不安。これが、人工知能に対する現代人の気持ちではないでしょうか。

功利主義と義務論

哲学・倫理学者の岡本裕一朗さんは、著書の『人工知能に哲学を教えたら』で、「現在のように人工知能が発達し、人間との共同作業が求められるようになると、人工知能は単なる『道具』としてではなく、むしろ『賢い主体』と見なす必要がある」とし、そこからどんな問題が生じるか、検討する方が生産的だと述べています。

例えば、人工知能に倫理を教えらえれるかといった問題。

感情を持たない人工知能に倫理など教えられないと考える人が多いのではないでしょうか。でも、感情を持っている人間にさえ、倫理を教えることは難しいです。

本書では、例としてトロッコ問題を取り上げています。これは、ブレーキが利かなくなった電車が、そのまま走っていくと線路上の5人の作業員をひき、進路を変えるスイッチを押せば、電車は右に曲がり1人の作業員をひくという状況で、どちらを選択すべきかという問題です。

もしも、その場にいたら、5人の命を助けるために進路を変えるスイッチを押し、1人を犠牲にすると答える人が多そうです。このように結果を重視して全体の利益と損失を計算し、その総量から行為を選択する考え方を功利主義といいます。

反対に結果はどうあれ、人を殺す行為は義務に反するとして、5人の命を救うために1人を殺すことは許されないとするのが義務論です。

5人の命を犠牲にして1人の命を助けるのはおかしいと思うかもしれません。では、電車の進路を変えられないとして、近くを歩いている人を線路に突き倒して電車を止めることは許されるでしょうか。功利主義に立てば、スイッチを押すのも人を突き倒するのも、同じ5人の命を救う結果になるので、線路に人を突き倒しても良いとの結論になるはずです。

しかし、多くの人は、線路に人を突き倒すことに抵抗を感じるはずです。

人工知能を使った自動運転で事故を防げるか

人工知能に自動車を運転させようとするとどうなるでしょうか。

運転中、突然、5人の子供が道路に入ってきた場合、ハンドルを切って事故を回避しようとすると壁に激突して車に乗っている1人が死亡する状況を想定します。

この場合、功利主義に従えば、車に乗っている1人を犠牲にして子供5人を助けることになります。しかし、そのような自動運転車は、乗っている人にとってメリットがないので売れません。また、人工知能に自らを破壊する指令を出せるのかといった問題も出てきます。そう考えると、子供5人を犠牲にして車に乗っている1人を守ることを人工知能に選択させるのは難しいかもしれません。

同じような問題は、ワクチンにも言えます。6人にワクチンを打ったら、5人は確実に感染症から守られますが、1人は副反応で死ぬとします。反対にワクチンを打たなければ、確率的に6人のうち5人は感染症で死亡し、1人は助かるとします。

ワクチン接種を進めるべきかどうか、悩む問題です。

ただ、ワクチンの場合は、全員に打つか誰にも打たないかの二者択一ではなく、感染しやすい人を見極めて打つことで死亡者数を減らすことはできます。

人工知能によって、交通事故を減らせるかどうかは、どれだけの状況を想定できるかにかかっています。子供が一般道に飛び出してくることは想定できるでしょうが、高速道路を走っているときにヘリコプターが墜落してくることを想定するのは困難です。これは、人工知能だけでなく、人間でも同じことです。あらゆる情報を事前に入手できない以上、人間も人工知能も交通事故を起こしうるのです。

人工知能に仕事を奪われたら

人工知能の発達は、人から仕事を奪うことになります。

駅の改札が自動改札になったのと同じようにこれからは様々な定型業務が、人から人工知能に移行していくことでしょう。

人工知能が人から仕事を奪っていくと、大多数の人が失業します。もしも、そんな社会が訪れたらどうなるでしょうか。岡本さんは、暴動か革命が起こって、今まで通りの社会は成立しなくなると述べています。また、別の可能性として、機械が働くので人間が働かない社会が訪れるとも述べています。

産業革命以後も、機械が人から仕事を奪うと恐れられ、事実、そうなりました。でも、減った仕事以上に多くの仕事が生まれました。同じことが人工知能の発達でも起こるかもしれません。仮に人工知能に仕事を奪われても、人は遊んで暮らせるのですから悲観的になる必要はなさそうです。

そもそも、人工知能が人から仕事を奪うとの考えは正しくありません。人から仕事を奪うのは経営者です。経営者は、人工知能と人を比較し、安くて優秀な労働力を採用するものです。人工知能の維持費が高額になれば人を雇いますし、人件費が高額になれば人工知能を導入します。岡本さんは、「『人間 VS 人工知能』の構図にだまされるな」と注意を促しています。


本書は、他にも、幸福、宗教、芸術などの視点で人工知能が発達するとどうなるのかを検討しています。人工知能には無理だろうと思っていたことが、読後は、人工知能でも人と同じかそれ以上のことができるのではないかと思うようになりました。

もちろん、人工知能にはできないこともあります。人は、ミトコンドリアという自家発電装置を持っていますが、人工知能は現在のところ他者にエネルギーの補充を依存しています。

もしも、人工知能が自家発電できるようになれば、世界中で人工知能が自由に動き回っている社会が到来するかもしれません。その時には、エネルギー問題も解決していることでしょう。