住宅街を歩いていると、犬を散歩している人をよく見かけます。だから、犬が散歩していることを特別なことだと思いません。これは、犬をペットとして飼う人が増えており、犬が散歩しているのが当たり前の光景となっているからでしょう。
また、動物病院も当たり前のように目にします。ペットも病気や怪我をするので、動物を治療するための病院が必要になります。
犬が散歩している光景や動物病院を見ると、日本は経済的に余裕があるんだなと感じますね。そして、ペットを治療する獣医師という仕事も、豊かな社会だからこそ必要とされているんだろうなと。
食料の安定供給を担保する獣医学
散歩する犬や動物病院を見ると、獣医学は、人間が飼うペットを治療することが目的の学問のように思えますが、その誕生は別の目的にありました。
獣医師の田向健一さんの著書『生き物と向き合う仕事』は、獣医大学では生命の発生や生き物の体の仕組みを学ぶこと、実際の動物病院での仕事に対する苦悩などを紹介していますが、柔らかい文体のため、内容が難しく感じることもありませんし、悲壮感が漂っているようにも感じません。獣医師がどのような仕事をする人なのか、簡単に知りたい方に適した1冊です。
日本の獣医学の歴史は、軍事用のウマやイヌを診察することから始まったとのこと。ペットを飼う人が増えてきたから、動物病院が必要だとなって獣医学が誕生したのではないんですね。
戦争が終わった後は、食糧を安定供給するために獣医学が活用されました。人間が家畜を飼育するのは、牛肉、豚肉、鶏卵などを食べるためです。獣医学は、家畜が健康かどうかを診ることで、消費者が安心して肉や卵を食べられるよう担保しているのです。
軍用にしろ、食用にしろ、人間が動物を利用することを学び、研究するのが獣医学であり、人間が利用できなくなった動物を排除するのもまた獣医学の仕事です。ウシやブタが感染する口蹄疫という病気がありますが、彼らが家畜である以上、治療して元気にするという手段はとられません。家畜が経済動物である以上、口蹄疫に感染したウシやブタは、他の家畜にウイルスを移さないよう殺処分されます。かわいそうだと思いますが、人間が食べるために飼育する家畜の数を減らさないようにするには、口蹄疫に感染したウシやブタをそのままにしておくことはできません。
獣医学は、動物の病気を治療することを主目的にしていると思われがちですが、その誕生の歴史を見ると、人間が利用できなくなった動物を殺処分する残酷な面が主目的であることがわかります。
ペットを治療する
戦後、経済成長を遂げた日本では、ペットを飼う余裕ができました。現在、目にする動物病院は、ペットの病気や怪我を診ることを目的としています。獣医師を身近に感じられる場所が動物病院でもあります。
獣医大学では、動物の病気や怪我を治療することも学び、その知識を生かして働く場の一つとなっているのが動物病院です。
田向さんは、獣医師になって治らない病気や治せない病気がたくさんあることを嫌というほど思い知らされたと語っています。生き物を扱う仕事をしていると、教科書には載っていないことや教科書とは違うことがたくさん出てくるそうです。一般人の感覚だと、病名さえわかれば治療できるように思ってしまいますが、そうではないんですね。
ペットを診察しているとわからないこともたくさんで出てくるようですが、その時は、経験や勘に頼らざるを得ないとのこと。また、医学や生物学は完成された学問ではないため、現在、正しいとされている治療法が、ある時、否定されてしまうこともあるそうです。だから、最先端の知識を身に付けなければならないのですが、そういった情報はネットには絶対ないと述べています。ときには、自分で答えを見つけなければならない場面もあるのだとか。
飼い主との関係が難しい
ペットの治療では、飼い主との関係も難しいとのこと。
動物の命を助けることだけを考えて治療すれば良いというものではなく、治療をするために飼い主の経済的負担も考えなければなりません。飼い主と話し合いながら、妥協点を探って治療していくことになりますが、折り合いをつけるのが難しいようです。
人間を治療する場合、日本は国民皆保険なので、患者の経済的負担が少なくて済みます。だから、日本の医師は患者を助けるための治療に最善を尽くせる環境にあると言えますが、それが、コスト意識を低下させているようにも思えます。日本は、高齢化により、年々、医療費が膨らんでいっていますが、国民皆保険による医師のコスト意識の低さもその一因になっているのではないでしょうか。
獣医学は、人間が動物を利用するために誕生した学問です。軍用として利用されたウマやイヌ。食用として利用されるウシやブタ。愛玩動物として可愛がられるイヌやネコ。
その利用目的によって、命を奪ったり、治療したりするのが獣医師の仕事です。どちらの場合も、精神的につらいことばかりではないでしょうか。
人間社会が繁栄するためには、動物実験も必要になります。かわいそうではありますが、実験動物なくして人類の繁栄はあり得ません。人間が生きていくことは残酷なことです。かわいそうだから動物を食べないというのは個人の自由ですが、人類が滅亡しないためには生命をいただく必要があります。
そういった残酷な面を見ないで生活できているのは、生き物と向き合う仕事をしている人たちのおかげであることを忘れてはなりません。