ウェブ1丁目図書館

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多様性を認められない社会は勉強をやらされて育った大人によって形成される

小学校や中学校では、各クラスに担任の先生が就きます。もはや、当たり前なので、なぜ担任の先生が必要かを疑問に思う人は少ないと思います。

また、小学校や中学校では、宿題があるのも当たり前とされており、こちらも、ほとんどの人がなぜ必要かを問うことはありません。

果たして、担任の先生や宿題は、子どもたちの学びの場に本当に必要なことなのでしょうか。

担任も宿題も子どもの自律を奪う

東京都千代田区の麴町中学校では、これまで当たり前とされていた担任の先生と宿題を廃止しています。

同校の校長先生である工藤勇一さんの著書『麹町中学校の型破り校長 非常識な教え』では、今の教育は、子どもの主体性や意欲、想像力といった能力をつぶしてしまうと指摘しています。

麴町中学校の最上位の目標は「自律した子ども」を育てること。これまでの当たり前とされていた教育は、「自律した子ども」を育てることができないと工藤さんは述べています。

固定担任制も宿題も、子どもたちにとっては、ただ勉強をやらされているといった思いを植え付けるだけでしかありません。確かに勉強習慣を作るには、担任の先生が宿題を出し、子どもたちがそれを終わらせて翌日の授業で提出することも、それなりに効果があると思います。しかし、それでは、誰かに課題を与えられなければ勉強しない子どもになってしまいます。

真に必要なことは、主体的に勉強できることです。そのためには、子どもたちが、自ら課題を見つけ、それを解決するにはどうすれば良いかを考え、行動する習慣を身につける必要があります。

麹町中学校では、定期テストを廃止し、代わりに小テスト、単元テスト、実力テストの3つのテストを実施しているとのこと。このうち成績に反映されるのは単元テストだけです。

小テストは単元テストの予行練習のようなもので、解答があっているかどうかは自己採点で確認します。この小テストをすることで、宿題を出す必要がなくなります。

単元テストは、成績に反映されるテストですが、再テストを受けることが可能です。1回目のテストの点数が悪くても、再テストで1回目よりも良い点数を出せば、それが成績に反映されます。一発テストだと、比較対象が他人になりやすいですが、再テストを受けることが可能な単元テストだと、比較対象が自分になり、子どもたちの成功体験にもつながる利点があります。

実力テストは、年4回から7回行われますが、小テストや単元テストを普段からこなしていることから、一夜漬けを防止でき、自分の真の実力を知ることができます。

自分に合った学び方

人にはそれぞれ癖があります。もちろん、子どもたちにも癖があります。

だから、全ての子どもたちに適した1つの学び方はないと思うべきです。例えば、辞書だと、紙の辞書の方が良いとする先生もいるでしょうが、電子辞書の方が使いやすいと感じる子どももいるはずです。そのため、先生が紙の辞書を子どもたちに強制するのではなく、両方の辞書の長短を説明し、どちらを選ぶかは子どもたちに一任するのが、麹町中学校のやり方とのこと。

子どもの主体性を引き出すには、自分の頭で考えてもらうことが必要であり、それを繰り返すことで、自分なりのスタイルが確立されていきます。勉強の仕方も同じです。自分に合った学び方を見つけることが、子どもたちの自律を促すために重要なことなのです。

また、自分は何がわからないかを把握することも大切です。先生から強制された内容を勉強するだけでは、自分がわかっていないところを把握するのは困難です。自分は、何がどうわからないのか、それを考える習慣もまた自律を促すのに必要なことです。

ストレス対策は理想の線を減らすこと

自分が幸せか不幸かを感じる時、そこには比較対象があります。

とくにその対象が際立つのが不幸の感情のときとのこと。頭の中で、理想の線を引き、その基準に達していないと自分を憂いたり、環境を批判したりするそうです。

したがって、自分の中で理想とするものが多ければ多いほど、理想の線に達していない自分に対して悲観になり、それがストレスへと繋がっていきます。

子どもが持つ理想の線は、親や周囲の大人が植え付けたものです。「こうしなさい」「ああしなさい」と一方的に強要すればするほど、子どもたちは多くの理想の線を引き始めます。子どもたちが、不幸やストレスを感じやすくしているのは、周囲の大人たちなのです。

また、工藤さんは、自己否定や劣等感が強い子供が多いコミュニティーほど周囲への攻撃性が増し、同調圧力も強まる傾向があると述べています。人は違っていて当たり前なのですが、それを許せない子どもがやがて大人になると、同質性を求める社会が形成され、多様性を認められなくなるのでしょう。

社会で起こる事象には、様々な利害関係者がいて、時に争いに発展することがあります。争いが起こるのは、各自が「自分こそ正しい」と思っているからです。社会には、異なった立場の人がいて、いくつもの正解が存在しています。理想の線を多く持った大人が増えるほど、争いの数も増えていきます。

子どもたちが、不幸に感じたり、ストレスを抱えている時には、理想の線を多く持ちすぎている可能性があります。その不幸やストレスを取り除くためには、周囲の大人が、子どもたちが理想の線を捨てていけるようにすることです。それには、大人が、まず理想の線を捨てなければなりません。

この理想の線を捨てることは、異なる立場の人の意見に耳を傾けることにもつながります。理想の線が多ければ多いほど、自分の中での正義の基準が多くなります。自分の中の正義の基準が多いほど、それに外れる人の数も多くなっていくものです。争いが起こるのは、理想の線を多く引きすぎた大人がたくさんいるからでしょう。

多様性を認めることは、自分の中の理想の線を減らすことから始まります。そして、それが、不幸の感情やストレスを軽減することにつながります。

理想の線を減らすためには、自分で考える力、すなわち自律していることが必要です。しかし、子どもの時から、勉強をやらされている感覚が植え付けられていると、自律が難しく、そして、多くの理想の線を引いているものです。

多様性を認める社会とは、自律した人々が多く存在する社会なのです。