ウェブ1丁目図書館

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将来の予測が不可能だから現在の不安が解消される

将来のことなんて誰にも予測できません。近い将来のことなら可能でしょうが、10年後に世界がどうなっているかを当てることは極めて困難です。

だから、人々は、将来に対して不安を抱くのでしょう。でも、将来が予測不可能だからこそ現在の不安は何もしなくても解消されるのです。反対に将来を正確に予測できるようになると、不安で不安でたまらなくなる人が増えて、自殺者が今よりも増加するでしょうね。

現在の科学技術を前提に環境問題を考えても無駄

将来が予測不可能なことは、人類にとって、とても都合の良いことです。

今、人類は多くの問題を抱えています。環境問題もその一つです。二酸化炭素の排出量を削減しなければならないとか、石油が枯渇したら現在の生活をどうやって維持すれば良いのか、とにかく現代人は多くの環境問題に悩まされ、不安を感じています。

でも、将来の予測は不可能なのですから、今、眉間にしわを寄せて環境問題を考える必要はありません。むしろ、何も考えなくても、ある時、簡単に環境問題を解消する方法が出てきて、人類は今抱えている難題を大した手間をかけずに克服できるでしょう。もしかしたら解決できないかもしれませんが、それならそれで、今考えても環境問題を解決できないので、真剣に悩むだけ時間の無駄です。

環境問題に詳しく、よくテレビ出演もされている工学博士の武田邦彦さんは、著書の「偽善エネルギー」で、世の動きや価値観は30年ごとに変わると述べています。

それと地球温暖化などの環境問題とどう関係があるのかと思うでしょう。しかし、価値観が変わることは、環境問題を克服する上で非常に重要なことなのです。

社会の変化は目的達成か飽きるかで起こる

武田さんは、世の中はたった二つの原則に基づいて動いていると主張します。

原則1:目的を果たすと次に行く
原則2:飽きると次に行く
(217ページ)

日本の場合だと1950年代はテレビ、冷蔵庫、洗濯機の三種の神器を欲しがる人達ばかりでした。でも、それらを多くの国民が手に入れたことで、物欲が薄れていきました。その後に訪れたのが1980年代後半のバブル経済です。大量消費が美徳とされましたが、バブルはすぐに弾け、日本の景気は悪くなっていきます。

景気が冷え込んだ日本では、消費が抑えられるようになり、やがてリサイクルやリユースなど、エコな社会づくりに人々の関心が移っていきました。

確かに武田さんの述べているように社会は30年程度の周期で変化しています。しかも、目的達成か飽きるかして次の時代に進んでいますね。

予想もしていなかったことで環境問題は克服される

さて、人類が過去に経験してきた環境問題も、目的達成か飽きるかによって克服されています。

例えば今から100年ほど前の1900年頃。当時のお金持ちの移動手段は馬車でした。おそらく、その頃も庶民はお金持ちになって馬車を持つんだと夢見たことでしょう。しかし、多くの人が馬車に乗るようになると環境破壊が起こると言う人が出てきました。

馬は生き物だから、餌を食べると糞をします。だから、道路を馬車が走り回ると、町中馬糞だらけになってしまうと不安がったのです。確かにその通りでしょう。来たるべき大量馬車社会に備えて、馬専用のトイレをいたるところに設置しないといけません。ノー馬車デーを作り、みんなで協力して馬糞を片付けようと呼びかける人もいたようです。

でも、道路が馬糞だらけになることはありませんでした。なぜなら、自動車が馬車に取って代わったからです。自動車は糞をしませんから、当時の人々は労せずして道路が馬糞だらけになるという環境問題を克服したのです。


また、1980年代には、銅の枯渇も心配されていました。

固定電話を利用するためには、銅の電線を大量に張り巡らさなければなりません。先進国や発展途上国の一部の都市では、固定電話を使っていましたが、もしも貧しい国々が発展し、その国の人々が固定電話を持ち始めると、銅が足りなくなると不安視されていたのです。

しかし、この問題も簡単に解決しました。多くの人が携帯電話を使い始めたからです。携帯電話なら、銅の電線を張り巡らさなくても通話できますからね。

権威者だって将来の予測はできない

このように過去の不安は、ある瞬間に労せずして解消されてきたのです。それも、当時、誰も思いつかなかった方法によって。

そういった人類の歴史を見れば、現在の問題は、将来のある時点で簡単に解決される可能性があります。しかし、将来を悲観し、不安をあおる人が後を絶ちません。しかも、このままでは危険だと言うのは、その分野の権威者だったりするから非常に厄介です。

どんなに優れた人でも、「今」にこだわるというのは、古今東西、同じです。特に偉い人ほど、自分が偉いと思っているので、自分が考えているものは将来もないと錯覚する傾向にあります。
(228ページ)

ケルビンという科学者は、「空気より重い、空飛ぶ機械は不可能である」と言ってました。でも、その8年後にライト兄弟が飛行機を空に飛ばしています。

1900年になると、アメリカの特許庁長官が「人間が発明できるものはすべて19世紀に発明した。20世紀はその応用の世紀になるだろうと」と述べていたそうです。21世紀の人間が聞いたら笑ってしまいますね。

また、20世紀の中頃には、IBMの会長のワトソンが「コンピュータの市場は、世界的に見て、おそらく5台くらいだろう」と言っていたそうです。現在では、5台どころか、スマートフォンまで入れると、先進国では1人1台のコンピュータを持っています。


このように人間が将来を正しく予想できたことは一度もないのです。それも専門知識を持った人でさえ、自分の得意分野の将来を予測できないでいます。むしろ、権威者ほど、自分の頭脳を上回る人間は出てこないという錯覚があって、将来予測を困難にしているのかもしれません。

今日の常識が明日の非常識になるかもしれない

「偽善エネルギー」が出版されたのは、2009年です。武田さんは、同書で原発を科学的に安全は発電施設だと述べていました。でも、2011年3月11日の東日本大震災後に反原発に立場を変えています。

武田さんの発言内容には賛否いろいろとあります。でも僕は、ある事態が発生した時に自説を曲げる態度は立派だと思います。これこそ科学者の態度です。


その昔、地球は平らだと信じられていました。地球が平らなら、東から昇った太陽が西に沈み、次の日になったら再び太陽が東から昇るのはなぜかという疑問を持った人がいました。それに対して、ある人が、太陽は西の彼方で土にかえり、翌朝、東の土から新しくできるのだと言い、人々は、その答えに納得したそうです。

現代人なら、これが間違いだとわかります。でも、当時の人々は引力を知らなかったのですから、地球が丸いという発想が浮かびません。だから、地球は平らというのが常識で、その常識にかなう答えを出して納得していたのです。太陽が毎日新しくできるという発想は、まさに当時の常識を前提にしているから生まれてきたものです。


今日の常識は、明日になれば誰かの偉大な発見や発明によって非常識になっているかもしれません。それを理解している人が、真の科学者と言えるでしょう。

今よりも効果的な治療法が発見されても、従来の治療法に固執する医師は多いですよね。傷口に消毒液を垂らした途端、痛がり出す患者を見ても、それが間違いなのではないかと思わないのなら、その医師は科学者とは言えないでしょう。

偽善エネルギー (幻冬舎新書)

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