ウェブ1丁目図書館

ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。なお、当ブログはアフィリエイト広告を利用しています。

フランス革命後の王は高齢者ばかり

1589年のアンリ三世の死によりヴァロワ朝は断絶。代わって即位したアンリ四世がブルボン朝を創設し、その治世は近代まで続きます。

フランス革命でルイ十六世が処刑されると、以後、ナポレオン・ボナパルトがフランスの皇帝となりブルボン朝の時代は終わったかに見えましたが、ナポレオンの失脚後、再びブルボン朝の時代が訪れます。

幼くして亡くなったルイ十七世

作家の佐藤賢一さんの著書「ブルボン朝 フランス王朝史3」は、アンリ四世からルイ・フィリップまで続くブルボン朝の歴史が解説されています。この1冊を読めば、ブルボン朝の大まかな歴史をそれなりに理解できることでしょう。

ブルボン朝は、ルイ十四世やルイ十六世などフランス革命までの王の名はよく知られていますが、その後の王について語られることが少ないです。そのためか、ブルボン朝はルイ十六世が処刑されて終わったと思われがちです。

しかし、ルイ十六世には、弟や子がいたので、フランス革命後にただちにその力を失ったわけではありません。

ルイ十六世が処刑された時、子のルイ十七世はとても幼く、元靴屋のアントワーヌ・シモンの手によって育てられます。当時まだ7歳だったルイ十七世は、自分の存在について全く理解していないまま、国外に亡命していたルイ十六世の弟のプロヴァンス伯によって即位が宣言されました。

でも、ルイ十七世は、ずっとタンプル塔に幽閉されて生活していたため、重度のクル病にかかり、やがて結核になって亡くなります。

クル病だったのになぜ結核で亡くなったのか?

それに疑問を感じた人々は、ルイ十七世は生きていると言うようになりましたが、後に分子生物学によって否定されました。

ナポレオンとルイ十八世

ルイ十七世がなくなると、イタリアにいたプロヴァンス伯は、「フランス王ルイ十八世」を名乗ります。しかし、それは自称に過ぎません。

ルイ十八世は、ルイ十六世の処刑に賛成票を投じた議員たちの処罰とアンシャン・レジームの復活を掲げ、亡命貴族たちの支持を集めました。しかし、この姿勢が、立憲王政を志向するグループに危機感を与え、フランス帰還を遅らせることになります。

そして、王政復古の可能性は、ナポレオン・ボナパルトの活躍によって遠のくことになるのでした。

ナポレオンは、あっという間に北イタリアを勢力圏に入れ、エジプト遠征から戻るとフランスの政権を掌握します。ルイ十八世は、ナポレオンがいるためフランスに帰還できなくなってしまいました。

しかし、そのナポレオンもやがて失脚し、ルイ十八世は念願であったフランス帰還を果たすことができました。

旧体制に戻せなかったシャルル十世

フランスに帰還できたルイ十八世でしたが、すでに齢60を過ぎ、身体に不具合が出始めていました。人生のほとんどを亡命生活に費やしたルイ十八世は、糖尿病により68歳で亡くなりました。

代わって即位したのが、ルイ十八世の弟のシャルル十世でした。

即位した時にはすでに66歳だったシャルル十世は、アルジェリアに侵攻し国民の支持を集めようとしました。しかし、議会の解散、出版の自由の停止、選挙法改正といった内容を盛り込んだ七月勅令の発布により、議会を激怒させます。

これが七月革命の勃発につながり、シャルル十世は議会と国民に譲歩せざるを得なくなりました。

その後、ブルボン宮に集合した両院議員がシャルル十世の退位を決定。シャルル十世は、イギリスに渡航した後オーストリア領のゴリツィアに移り、79歳でコレラで亡くなりました。

最後の王ルイ・フィリップ

シャルル十世の退位で、次に即位したのが「フラン人民の王ルイ・フィリップ」でした。フランス人民の王とは、ルイ十六世が革命と和解した後に用いた称号です。

ルイ・フィリップは、ブルボン朝の傍流の出で、ルイ十五世の摂政を務めたフィリップ二世の玄孫に当たります。

即位した時には、すでに56歳でした。

父の平等公フィリップは、自由主義思想を持っており、ルイ・フィリップもその影響を受けています。そのため、立憲王政の王に相応しい振る舞いをします。

しかし、反政府活動の鎮圧や弾圧に容赦がなかったため、景気が悪くなり始めると、国民の不満が高まるようになりました。選挙権獲得のために起ち上がったパリ市民たちは、大きな勢力となり、ルイ・フィリップを威圧します。

この威圧に耐えられなくなったルイ・フィリップは、退位を決断。パリ伯フィリップを次の王につけましたが、臨時政府は共和制の樹立を宣言し、フランスで王政が取られることはありませんでした。

ルイ・フィリップはイギリスに渡り、ヴィクトリア女王から拝領したクレアモントの屋敷で余生を過ごし、76歳でこの世を去りました。


フランス革命後の復古王政は、歴史のおまけのような存在に思えます。また、即位した王たちは、いずれも高齢であり、ただの老害のようにも思えます。しかし、そのように思えても、復古王政は歴史的に何か意義があったのでしょう。