ウェブ1丁目図書館

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政治が乱れると文化が花開く

歴史の事実は一つですが、ある事件の原因や背景の捉え方は人によって異なります。

善悪で歴史の事実を追及する人もいれば、その時代の風習や慣習に焦点を当てて事件がなぜ起こったのかを推理する人もいます。一般人の歴史の楽しみ方は、このような人によって異なる歴史的事件の解釈に触れ、いろいろと自分で考えることにあるのかもしれません。

作家の視点で歴史を見る

歴史的事件の背景を推理するのが得意な人と言えば、作家の方々でしょう。

歴史的事件を扱った物語を書く場合、事件の原因が何なのかを調べなければなりません。その過程で、事件にかかわった人々がどのような性格だったのか、家庭事情はどうだったのかを想像しているのではないでしょうか。

文春文庫から出版されている「エッセイで楽しむ日本の歴史」は、作家の方を中心に多くの方が書いた日本史のエッセイ集です。上巻では、古代から戦国時代前夜までのエッセイが収録されています。

縄文時代弥生時代には文字がなかったため、各地で出土する土器などからその時代背景を推理しなければなりません。このような限られた情報しか得られない時代については、研究者の想像力に頼る部分が大きそうです。

時代が下るにつれ文字情報が多くなっていくのは、日本史も世界史も同じです。そのため、人の想像力が歴史の研究に入り込む余地は少なくなってきます。それでも、史料が乏しく、想像力を働かせなければならない部分は残されています。

後白河上皇が失脚しなかった謎

平安時代末期は、平清盛が政治の中枢に入ったことで武士が政治に関与するようになりました。平清盛の後は源頼朝鎌倉幕府を開き、以後、明治維新まで武士が政治を担当するようになります。

でも、平清盛から源頼朝まで、政治の頂点にいたのは後白河上皇でした。

後白河上皇は、平清盛木曽義仲源義経源頼朝と、その時々で形勢の良い側に味方しながら乱世を生き抜きました。

同志社女子大学教授の朧谷寿さんは、後白河上皇が乱世を生き延びることができたのは、今様に没頭していたからだと考えています。今様は、その当時に流行した踊りながら歌う芸事です。

後白河上皇が、まともに政治と向き合っていれば、政見の異なる者によって失脚させられていたかもしれません。しかし、後白河上皇は、今様に熱中し過ぎるあまり、政治には真剣にかかわることをしませんでした。その時々で、力を持っている者に味方したのも、自らの保身よりも面倒な政治は他の者に任せて、自分は今様を楽しむことが目的だったのかもしれません。

その態度が、日本国第一の大天狗という評価につながるのですが、当の本人はただ歌って踊って毎日を楽しく生きていただけだったのでしょう。

西行の出家は逃亡

後白河上皇と同じ時代に西行という歌人がいました。

西行は、もともとは武士だったのですが、突如、家族を見捨てて出家しました。なぜ、彼が出家したのかはよくわかっていません。歴史マニアにとって、事実はわかっていても、その理由がわかっていない事件は絶好の妄想タイムへの突入となります。

作家の嵐山光三郎さんは、西行の出家は逃亡だと考えています。

出家直前の西行は、崇徳天皇系の家に仕えていました。一方、西行が武士として番をしていたのは、崇徳天皇と対立する鳥羽上皇です。

西行は一体どちらに味方すれば良いのか。

その結論を出すことができなかったので、彼は出家をしたのだと嵐山さんは推理しています。出家してしまえば武士ではありません。だから、崇徳天皇鳥羽上皇が争うことになっても、自分は出家の身なのでどちらにも味方できませんと、双方からの誘いを断ることができるのです。

西行という名は、「西方の彼岸(死地)へ行く」という意味です。彼の出家は、死ぬことだったのかもしれません。しかし、西行は自害という道は選びませんでした。


「願はくは花の下にて春死なむ」


という歌は、西行が自らの死を予告した歌だそうで、その予告通り、彼は桜の下で大往生を遂げました。


世の中が乱れると、不思議と文化が花開きます。文化は世の中に不満を持っている人によって創造されるのかもしれませんね。

エッセイで楽しむ日本の歴史 上 (文春文庫)

エッセイで楽しむ日本の歴史 上 (文春文庫)

  • 発売日: 1997/01/10
  • メディア: 文庫