多くの先進国は、民主主義国です。
民主主義は、人類みなが自由で平等に生きていける考え方であり、民主主義国は、概ねそのような社会になっていると感じます。しかし、このところ、民主主義国でも、格差による不平等が叫ばれており、理念通りの社会から遠ざかっていっています。
自由と平等が尊重され、教育を受ける機会を与えられている民主主義社会で、どうして、そのようなことが起こっているのでしょうか。
高等教育による階級化
格差の原因については、行き過ぎた資本主義が原因だとか、政治に問題があるとか、様々な理由が挙げられています。ところが、歴史家、文化人類学者、人口学者であるエマニュエル・トッドさんの著書『大分断』では、高等教育をその原因として挙げており、これまでの格差問題の思考と異なっているところが斬新です。
一般に教育は、人々を豊かにすると考えられています。国民全員が普通教育を受けることで、誰もが読み書きや計算をできるようになり、大人になってから仕事で必要な知識を自主的に身に付けられるようになります。そして、そういう人々が多い社会ほど、これまでの不便を解消し便利な製品やサービスを生み出してくれるわけですから、教育は社会の発展に寄与すると考えられます。
だから、さらに進んで高等教育を受けた人が多い国では、社会がより豊かになると期待されます。
ところが、トッドさんは、高等教育を受けた人が多くなると社会は階級化すると指摘しています。高等教育を受けた人が少ない社会では、その人が国のリーダーとなり、社会を発展させていくように努めます。だから、高等教育を受けた人が増えると、もっと社会は発展すると思うわけです。
しかし、高等教育を受けた人の割合が30%から40%になると、高等教育は特権的な職業に就くための一種の資格のようになり、本当の意味での資格の意義が失われていきます。その中には、必ずしも優秀ではないのに自分たちをエリートだと思い込んでいる人々もいるのが現状だとトッドさんは述べています。
大衆に教育の機会が与えられることは大切なことなのですが、その中の優秀な人たちが進学すると階級化してしまうとのこと。そして、上層にいると考える人たちによって新たな上位グループが形成され、彼らはそのグループの中だけで生きていける社会を作り出していきます。そうすると、上位グループに入れなかった60%から70%の人たちは貧しくなり、社会が分断されます。現代のフランスでは、このような分断が起こっているそうです。
グローバリゼーションと保護主義
経済の面では、自由を尊重する民主主義はグローバリゼーションを後押しすると考えられます。反対に自国の産業を助けるために輸入品に関税をかける保護主義は自由な経済活動を邪魔することから民主主義的ではないと考えられがちです。
ここで、グローバリゼーションとは、モノと資本の自由な流通に限る概念であり、インターネットにより世界中とコミュニケーションが取れる状態や英語の世界共通語化、人々の国家間移動が強化された状態の世界化とは異なります。
国境を越えて自由にモノや資本を移動させられるグローバリゼーションは民主主義的に思えますが、実は保護主義の方が民主主義的と言えます。なぜなら、国内の産業を保護することは、不平等を減少させるからです。安い農産物が海外から入って来ると、国内の農家は稼ぎが少なくなり、他の国民よりも貧しい生活をしなければなりません。でも、輸入農産物に関税をかければ、国内の農家も対等に市場で競争できます。
優れた商品が安く手に入ることは国民にとって良いことだと思いますが、その考え方は民主主義的ではありません。民主主義においては、人類は平等でなければなりませんが、能力主義においては能力により人々を区分けするからです。だから、保護主義により、グローバリゼーションに限度を設けるのは民主主義的となるのです。
高等教育もグローバリゼーションも、より民主主義的な社会へとつながるように思えますが、どうやらそうではなさそうです。フランス社会は階級化し、若者が就職するのは難しく、インターンの名のもとで低賃金あるいは無償で働かされているのが現状です。
もちろん高等教育は社会を豊かにするはずですし、グローバリゼーションも、モノや資本が余っている国からそれらが不足する国に簡単に移動させやすくするので貧しい人々を豊かにできるはずです。
大切なのは、国家の経済圏内で人々が豊かになれ、皆が利益を得られる方法が何かを考えることでしょう。(164ページ)