ウェブ1丁目図書館

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ダービーと接着装蹄

2019年7月30日に1頭のサラブレッドが17歳でこの世を去りました。

現役時代は、飛ぶような走りで無敗のクラシック三冠馬となり、フランスの凱旋門賞では3位入線と健闘しました。引退後は種牡馬となり、産駒は多くのGⅠを勝っています。

そのサラブレッドの名は、ディープインパクト

デビュー前から、競馬関係者の間で最強馬との噂が流れるほど、ディープインパクトの素質は高く、新馬戦では予想通り圧勝しました。

無音の走り

ディープインパクトが、高速で走れる理由の一つに心肺機能の高さがありました。

心肺機能の高さを示す指標にHR100という測定値があります。これは、運動後に心拍数が100を切るのにどれだけの時間がかかるかを計測したものです。4歳時に8戦8勝うちGⅠレース5勝とパーフェクトな結果を残したテイエムオペラオーの5歳時のHR100は490秒でした。

テイエムオペラオーは、心肺機能が高いことで知られる競走馬です。そのテイエムオペラオーよりも、2歳デビュー前のディープインパクトの方がHR100は短く、なんと419秒でした。さらに心肺機能は成長し、3歳4月の皐月賞の時点では、162秒という驚異的なHR100を記録したのです。

このHR100の数値も驚きですが、ディープインパクトは後肢の蹄鉄が減らない無音の走りをしていたことにも驚かされます。

フリーライターの城崎哲さんの著書「カリスマ装蹄師西内荘の競馬技術」では、ディープインパクト装蹄師であった西内荘さんが、ディープインパクトは「後肢の蹄が地面を蹴るときに滑っていないんだろう」と述べています。

強い馬は、後肢の蹴りが強いので、蹄鉄がすぐにダメになります。アグネスワールドエアシャカールといったGⅠ馬は、2週間もすれば蹄鉄がぺらぺらに薄くなってまっぷたつに割れそうなくらいに減っていたそうです。ところが、ディープインパクトの後肢の蹄鉄は3週間履き続けてもほとんど減りませんでした。

他の馬の蹄鉄は、先端からすり減ります。ところがディープインパクトの蹄鉄は、すり減っても、全体的に万遍なく減っていきました。他の馬は、走る時に蹄で地面をたたくのに対して、ディープインパクトは蹄で地面を掴んで手前に手繰り寄せる走りをしていました。

そのため、ディープインパクトが走る時の音は他の競走馬よりも静かだったのです。この独特の走りは、地面を蹴る時に後肢が滑らないため、ディープインパクトは走行中に力のロスがなかったと思われます。

誰もが一様にディープインパクトの体は、ネコ科動物のような柔らかさとバネを持っていると評していましたが、その柔らかさとバネがディープインパクトの無音の走りにつながっていたのでしょう。

ダービー前は蹄がボロボロだった

圧倒的な強さで皐月賞を勝利したディープインパクトは、クラッシック2冠目のダービーも、誰もが確勝だと信じていました。

しかし、皐月賞後のディープインパクトの蹄は、ボロボロになっていました。無音の走りは、並外れた推進力を生み出しますが、その力は蹄鉄を止めている釘と釘穴の1点にかかっていたので、ディープインパクトの蹄は悲鳴を上げていたのです。

ボロボロの蹄でダービーに出走していても、ディープインパクトは勝っていたかもしれません。しかし、3冠目の菊花賞までは蹄が持たないだろうと考えた西内さんは、ディープインパクトの装蹄に接着装蹄を試すことにしました。

接着装蹄であれば釘を使わないので、蹄へのダメージを減らせます。しかし、接着装蹄は、1本の肢に対して30分の時間がかかり、馬にストレスを与えます。通常の釘の装蹄であれば3分~5分で済みますから、接着装蹄は馬を精神的にも肉体的にも疲れさせます。

西内さんが接着装蹄を始めて、あまり時間が経っていない頃にディープインパクトに接着装蹄を試したのですが、その時には自信があったそうです。西内さんが接着装蹄を学ぶのがもう少し遅かったら、ダービー前のディープインパクトへの接着装蹄はできなかったとのこと。ディープインパクトのクラシック3冠を陰で支えていたのは、西内さんの接着装蹄だったのです。

凱旋門賞を勝っていたら

ディープインパクトは、4歳秋にフランスの凱旋門賞に挑戦しました。

過去、日本の馬が凱旋門賞を勝ったことはありません。でも、ディープインパクトであれば、勝てるのではないかと日本の競馬ファンは誰もが思っていました。

しかし、結果は3位入線。後に禁止薬物がディープインパクトから検出されたことで失格となりました。

ディープインパクトの敗戦は、日本の競馬ファンをがっかりさせました。ところが、この敗戦がディープインパクトだけでなく日本の競馬会の運命を変えたのです。

ディープインパクトは、凱旋門賞の勝利を条件にドバイに50億円で売られることになっていました。でも、凱旋門賞で負けたため、ドバイ側から値引きを要求されたことで、日本の社台グループが51億円でオーナーから買い取ることになります。

もしも、ディープインパクト凱旋門賞を勝っていたら、牝馬3冠を達成したジェンティルドンナは生まれていなかったかもしれませんし、同3冠ですべて2着だったヴィルシーナも誕生していなかったでしょう。

それどころか、ダノンプレミアム、ワグネリアン、フィエールマンだって出てこなかったかもしれません。何より、ディープインパクトがドバイに売られていたら、日本の競走馬のレベルは今ほど高くなかった可能性もあります。

ディープインパクト凱旋門賞制覇はなりませんでしたが、彼の遺伝子を受け継いだ日本馬が、いずれは凱旋門賞を勝ってくれることでしょう。