ウェブ1丁目図書館

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廃仏毀釈は神仏分離令で突如起こったのではなかろう

夕暮れ時にゴーンと鳴るお寺の鐘。この響きに秋の情緒を感じる人もいることでしょう。

都会では、お寺の数が少ない所もあるでしょうが、今でも、国内の寺院の数はコンビニよりも多いです。年末になれば除夜の鐘を撞きに行く人もいますし、テレビでも中継されており、日本人にとってお寺は今でも馴染みのある宗教施設です。

でも、仏教寺院は、ある時、急激に減り、消滅の危機を迎えたことがあります。それは、明治維新神仏分離令が出された時です。

仏は神より上

現代日本では、神社とお寺は別の宗教施設として扱われています。

神社には神様が祀られ、お寺には仏様が祀られているのが当たり前となっていますが、江戸時代以前は、神道も仏教もごちゃまぜの状態で、神社の中にお寺があったり、お寺の中に神社があったりするのは当たり前でした。

しかし、この神仏習合の状況は、明治政府によって壊されます。

ジャーナリストで僧侶でもある鵜飼秀徳さんの著書「仏教抹殺」には、明治政府は、万民統制のための強力な精神的支柱が必要と考え、祭政一致の国づくりを掲げ、純然たる神道国家を目指すため神仏分離が必要だったと述べられています。

神仏分離令により、神社に祀られていた仏像や仏具は排斥され、神社に従事していた僧侶には還俗を迫り、葬式は神式への切り替えが命じられたのです。

明治政府は、ただ神仏分離を命じただけなのですが、これが仏教排斥へとつながっていきます。世に言う廃仏毀釈です。

廃仏毀釈の発端は、比叡山の麓の日吉大社でした。日吉大社比叡山延暦寺の勢力下に置かれており、仏を神が守るという上下関係にありました。すなわち、神よりも仏が上だったのです。

それまで、僧侶に虐げられてきた日吉大社の神官は、神仏分離令が出されたことで、延暦寺から独立します。この独立運動が、延暦寺の仏像仏具の破壊活動へとつながり、やがて、廃仏毀釈運動は全国に波及しました。

江戸時代から廃仏の動きはあった

廃仏毀釈運動は、ほとんどの地域では2年程度で鎮静化しました。東京のようにほとんど廃仏毀釈運動が起こらなかった地域もあり、むしろ、そのような地域の方が多かったようです。しかし、その間に失われた仏教施設、仏像、仏具は非常に多く、現存していれば国宝に指定されていた物も数多くあったはずだと言われています。

廃仏の動きは、明治に入ってから起こったものだと思われがちですが、江戸時代にもありました。代表的なところは水戸です。

水戸は、廃仏の起源で、水戸黄門でお馴染みの水戸光圀によって藩内寺院の破却や僧侶の還俗命令が出されました。しかし、この時の廃仏は、仏教改革と言えるもので、無秩序に建立された寺院、数が増えた僧侶、正しい信仰の喪失、治安の悪化という問題を解決するためのものでした。

そこで、水戸光圀は、神仏習合を否定し、寺院整理を行いました。

水戸藩では、江戸時代後期の斉昭が藩主だった時代にも廃仏が行われます。この時は、仏教改革ではなく、仏教排斥が特徴で、寺院にあった金属は外国船を打ち払うための大砲の鋳造に使われました。

しかし、江戸幕府は、秩序の維持のために寺檀制度を採用しており、寺院に戸籍管理を行わせていましたから、水戸藩の廃仏は、幕府の政策に反するものであり斉昭は謹慎処分を受けます。

他に薩摩藩長州藩でも、幕末に廃仏毀釈運動が盛り上がり、特に鹿児島は明治の神仏分離令以降の廃仏毀釈運動で、一時期、寺院が消滅しています。

廃仏毀釈運動が起こった原因は何か

明治の神仏分離令は、単に神社と寺院を明確に分けるという程度のものでした。

それなのになぜ暴力的な廃仏毀釈運動に発展したのでしょうか。

鵜飼さんは、その理由として以下の4点を挙げています。

  1. 権力者の忖度
  2. 富国策のための寺院利用
  3. 熱しやすく冷めやすい日本人の民族性
  4. 僧侶の堕落


1つ目の権力者の忖度は、幕末に江戸幕府側に味方した藩知事が、明治政府の意向を深読みして、仏教寺院を積極的に破壊したというものです。

2つ目の富国策のための寺院利用は、仏教施設の廃材を公共事業に使おうとするものです。京都では、学校建設のために多くの寺院の土地が上知令によって召し上げられました。

3つ目は、日本の国民の特徴と言えそうです。長期間、徹底的に破壊活動が行われなかった点では、助かった仏教寺院もあったのではないでしょうか。

4つ目の僧侶の堕落は、仏教界側の問題と言えます。松本の若澤寺では、江戸時代から僧侶が妾を囲ったり、遊女の元に入り浸ったりしていました。民衆は、このような堕落した寺院を存続させる必要はないと判断し、若澤寺の廃寺に手を貸しました。


仏教者が、その本分を忘れ、庶民を苦しめる存在になった時、人々は仏教から離れていくことでしょう。

現代の葬式仏教はどうか。

明治の廃仏毀釈の時も、戒名を付けるのに高額なお布施を受けることに人々は不満を持っていました。現代の葬式仏教批判と同じだったのです。鵜飼さんは、「かつての廃仏毀釈と、現在の寺院を取り巻く状況とはさほど変わらない」と述べています。神仏分離令によって、突如、廃仏毀釈運動が起こったのではなく、江戸時代から、くすぶっていた火種が、神仏分離令という着火剤によって大きな炎となり、過激な破壊行為へと民衆を駆り立てたように思います。

「ご先祖様を大事に」とか「ご先祖様に感謝をしましょう」と、お坊さんは、よく言います。

しかし、先祖のためというのなら、子供の教育に力を入れるべきではないか。死んだ先祖のために法事をしてお布施をするよりも、子供の教育のためにお金を使う方が先祖のためになるのではないか。


遺伝子というバトンをつないでいくこと、先祖が築いてきた社会を維持すること、それこそが大切ではないでしょうか。

子供が育たなければ、先祖の遺伝子は引き継がれなくなります。社会を維持発展させていくのは、死んだ先祖ではありません。

寺院を破却して学校を作る政策は、ある意味、お坊さんが言う「ご先祖さまのために」なるものです。

子供たちの教育に力を入れていくことは、葬式や法事に力を入れることよりも社会にとって大切なことではないでしょうか。