ウェブ1丁目図書館

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日本は昔からずっと格差社会。ベーシック・インカムの導入をそろそろ考えよう。

日本は、21世紀に入ってから格差社会になったと、よく言われるようになりました。

格差は、裕福な人と貧しい人の差が広がることですから、格差社会は、日本国憲法第25条に謳われている「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を害する可能性があります。そのため、格差を是正せずに放置することは、日本国憲法第25条に反すると言えます。

日本は以前から格差社会

21世紀に入って、日本社会が格差社会だと考える人が多くなりましたが、では、いつ頃から日本で格差が広がっていったのでしょうか。

経済学博士の原田泰さんの著書「ベーシック・インカム」の40ページには、先進国の中で日本がどの程度平等であるかの順位を示した表が掲載されています。それによると、2000年代は22か国中11位ということです。先進国の中では、ちょうど真ん中くらいですね。

では、少し溯って1990年代はどうでしょうか。この時代は19か国中11位ですから、真ん中よりもやや下です。さらに1980年代まで溯ってみても、同じく19か国中11位です。先進国の中での順位が11位というのは1980年代から変わっていません。だから、1980年代から日本は他の先進国と比較して格差社会だったのです。しかも、1970年代まで溯ると8か国中5位ですから、高度経済成長期を過ぎた頃やバブル経済の時代も、すでに日本は格差社会だったことがわかります。

しかし、1970年代から90年代が格差社会だったという認識は、当時の日本人にはなかったように思います。原田さんは、日本が格差の小さい国だとの思い込みは「戦前の格差の大きい社会から少ない国に変化したこと、アメリカという格差の大きな国との接触が多いことから生まれた神話」だと述べています。

所得格差の度合いを示すジニ係数は、0から1の範囲で推移し、1に近づくほど格差が大きく、0に近づくほど格差が小さいことを表します。2000年代の日本のジニ係数は0.273、1970年代のそれが0.276です。では、戦前はどうだったかというと、1937年が約0.55、1923年が約0.50、1885年が約0.40です。

確かに戦前と比較すると、戦後から格差が是正されたことがわかりますが、1970年代から現代まで日本社会の格差にほとんど変化は見られません。

所得再分配を必要とする根拠

格差の広がりは、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するためにも食い止めなければなりません。

格差是正のための手段として、すぐに思いつくのは所得の再分配です。お金を多く持っている人から、お金を少ししか持っていない人にお金を再分配すれば格差が縮まることは容易に想像できるでしょう。

所得再分配が必要だという議論の根拠には、功利主義リベラリズムリバタリアンの3つの考え方があります。

功利主義

功利主義は、国民全体の幸福を最大化すべきという考え方で、その権限を政府が持っているとします。

国民全体の幸福は個々人の幸福の総和です。そして、個々人の幸福は、物質的、精神的な財・サービス、所得、家族の愛情などに依存しています。

では、物質的な財・サービスを多く持つことに比例して幸福度は高まるでしょうか?おそらく、そのようなことはないでしょう。人にもよりますが、所得が2倍になっても幸福度が2倍になることはなく、所得が増えれば増えるほど、所得の増分に対する幸福度の増分が少なくなるものです。これを限界効用逓減の法則と呼びます。

功利主義の考え方によれば、所得がある一定以上増えれば、幸福度の増え方が緩やかになりますから、所得が高くなるにつれて税率も高くなる累進課税が正当化されます。

リベラリズム

リベラリズムは、社会の制度は公正であるべきだという前提があります。

人は、どのような立場で生まれてくるかを選択できません、大金持ちの家に生まれるか、貧しい家に生まれるかによって、その人の人生は大きく違ってくるでしょう。そのため、リベラリズムの考え方では、最下層の人々の効用を高めることが重視されます。そして、最下層の人々の効用を高めるためには、豊かな人々に課税することが妥当と考えられます。

リバタリアン

リバタリアンは、政府に国民全体を幸福にする権限はないと考えます。所得を得るのは個人であって、社会ではありません。だから、社会には、そもそも所得を再分配する権限がないはずです。

リバタリアンの考え方では、所得を得る過程が正しければ、その結果得られた所得も正しいとします。例え、所得分配状況が不平等になったとしても。ただし、過去の不正義が大きければ、それを匡正(きょうせい)することは許されるともしています。


これら3つの考え方には、それぞれ特徴がありますが、何らかの形で所得再分配が行われるべきとしている点は共通しています。

ベーシック・インカムの可能性

年金、健康保険、生活保護雇用保険など、日本には様々な所得再分配の仕組みがあります。

それなのに日本社会の格差は是正されていませんから、これらの所得再分配の仕組みには改善する余地があると言えます。

原田さんは、所得再分配ベーシック・インカムを制度化するのが望ましいと考えています。ベーシック・インカムは、基礎的所得とも呼ばれ、すべての人に最低限の健康で文化的な生活をするための所得を給付する制度のことです。つまり、国民全員が、一律で政府から同額のお金をもらえる制度のことです。

原田さんが考えるベーシック・インカムは、月7万円、年84万円の給付です。これだけの給付をしようと思うと増税が必要になると思うでしょう。しかし、ベーシック・インカムの導入で不必要となる制度が出てきますから、それらに使っていた予算を財源にすれば、さほどの増税は必要ありません。

老齢基礎年金、子ども手当雇用保険ベーシック・インカムの導入で廃止できます。それら予算は約20兆円ですから、ベーシック・インカムの財源となります。他にも、公共事業関係費、中小企業対策費、農林水産省予算、地方交付税交付金の中にも、所得を維持するための予算が含まれていますから、この部分も代替財源になります。

さらに各種所得控除も廃止します。所得控除を廃止すると、低所得者が多くの税金を納めなければなりませんが、ベーシック・インカムの導入は所得控除の代替でもあるので、低所得者は税金を納めてもベーシック・インカムがあるので今よりも所得が多くなります。

また、生活保護の場合、仕事を見つけても給料が生活保護の受給額よりも少なければ働かないという選択をしてしまいますが、ベーシック・インカムであれば年84万円の受給は保障されているので労働意欲を削ぐことはありません。

他にも、最低限の収入があれば、ブラック企業を退社することもできますし、企業が悪事に加担するのを嫌々手伝う人も減ります。ベーシック・インカムの支給を銀行振込にすれば、全国民が必ず銀行口座を持てるメリットだってあります。


貧しい人や震災で困っている人を手厚く支援すべきだという考え方はよくわかります。しかし、それは現在も行われていることです。それなのに格差が是正されていないのなら、国民全員に一律で給付するベーシック・インカムを試す価値はあるでしょう。