ウェブ1丁目図書館

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高杉晋作と芸者おうのの二人旅

幕末の長州藩を滅亡から救ったのは、間違いなく高杉晋作です。

幕府の長州征伐におののいた藩首脳は、尊王攘夷派を一掃し幕府寄りの勢力である佐幕派が実権を握りました。この時、高杉晋作は長州にはいませんでした。しかし、事態を知った彼は騎兵隊を率いる山県狂介(山県有朋)と共に起ちあがり、クーデターを起こしてあっという間に佐幕派を藩内の政治の舞台から追い払います。

ところが、また高杉晋作は藩から去るのでした。

海外渡航から金毘羅詣りに変更

司馬遼太郎さんの小説「世に棲む日日」の4巻では、高杉晋作がクーデターを成功させた後に藩を去る部分について詳しく書かれています。

クーデターを成功させた高杉晋作は、何を思ったか海外渡航すると言いだします。そして、藩から多額の資金を用意してもらい、秘密裏に準備を進めていきます。ところが、海外渡航の情報はどこからか洩れてしまいました。別にクーデターを成功させた後なので、高杉晋作が海外渡航することに誰も文句を言うことはなさそうですが、藩内には、まだ外国人を夷狄(いてき)と蔑視する者たちがいたため、彼らから高杉晋作は命を狙われることになります。

当然、高杉晋作はこんなところで命を落としてたまるかと思い、大金を持ってすぐに藩から逃げ出します。

高杉晋作のおもしろいところは、命を狙われているにもかかわらず、逃げるときに三味線を持ち、芸者の「おうの」を連れて行ったことです。

そして、彼女には、これから金毘羅詣りに出かけると言って自分が命を狙われていることは告げませんでした。

大坂から四国へ

おうのと一緒に舟に飛び乗った高杉晋作

乗った舟は四国行きではなく大坂行きでした。それでも何食わぬ顔で舟の上で三味線を弾きます。どこからどう見ても武士とは思えません。しかし、舟を降りると高杉晋作の姿を見て怪しむものが出てきます。この頃は、長州藩の関係者は幕府から睨まれており、諸藩に長州藩士と思しき者を見つけたら捕えるようにという指令が降っていました。

藤堂藩の役人に目を付けられた高杉晋作は、おうのとともにさっと逃げます。また、旅の合間に退屈して、本屋に徒然草を買いに出かけた時には、店の主人が町人が徒然草を読むのは怪しいと感じ本を準備するふりをして店の奥に入ったのを直感的に通報されると悟り、すぐに店から立ち去りました。

このあたりの直観力が、高杉晋作が神格化されていった理由なのでしょうね。

そして、高杉晋作とおうのは、目的地の四国へとたどりつきます。

芸者遊び中の御用改め

四国に渡った高杉晋作とおうのは、ある宿で芸者を呼んで遊んでいました。

それも1日だけでなく毎日のように芸者をあつめて酒を飲んでいました。そんな派手な遊び方をしていて怪しく思わない者はいません。ついに役人たちに長州人ではないかと勘付かれ、御用改めを受けることになります。

役人の尋問に対して、高杉晋作はまるで本物の町人であるかのように受け答えします。役人たちも、どうやら人違いではないかと思い始めたその時、高杉晋作は持っていた500両もの小判をすべて座敷にばらまきます。

目の前に大金が散らばっているんですから、それを拾わない者はいません。高杉晋作は、それを見ておうのと共に一目散に逃げ出します。これぞ、本当の生きたお金の使い方ですね。

幕府よりも妻の方が怖かった?

ほとぼりが冷めたところで長州に舞い戻ってきた高杉晋作とおうの。

しかし、彼には休まる暇はありませんでした。長州征伐のために西下してくる幕府の大軍と戦わなければならなかったからです。いや、それよりも、もっと恐ろしかったのは、妻のお雅と会うことだったでしょう。女房と幼い子供を家に残し、芸者と共に金毘羅詣りをしていたのですから。

その恐怖を乗り越えた高杉晋作にとって、もはや怖いものは何もなかったはずです。

迫りくる幕府の大軍なんて、お雅の怒りと比較したらなんてことはありません。海戦も陸戦も高杉晋作に率いられた長州藩兵は、見事に幕府軍を長州から退けることに成功します。

そして、長州軍はこの後、倒幕のために上洛しますが、その時、高杉晋作はこの世にいませんでした。

新装版 世に棲む日日 (4) (文春文庫)

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