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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

貿易は勝ち負けではないので国の国際競争力を論じても無駄

日本企業はこれまで輸出で高い利益を上げてきました。ところが最近は、輸出よりも輸入の方が多くなる貿易赤字になることがあり、このままでは日本の国際競争力が弱体化し、国民の生活水準が低下すると危惧する声が聞かれるようになっています。

貿易赤字は、簡単に言うと、海外から入ってくるお金よりも海外に出ていくお金が多くなる状態です。だから、貿易赤字が続けば、国内のお金の量が少なくなるので、国民の懐も寒くなり、生活水準を下げなければならないと言うわけです。

一見、正しいように思いますし納得のいく理論ですが、これって本当なのでしょうか?

貿易はゼロ・サム・ゲームではない

国際経済学者のポール・クルーグマンは、著書の「良い経済学 悪い経済学」で、貿易は企業間の競争とは異なり、勝つか負けるかのゼロ・サム・ゲームではないといった考え方を述べています。

企業だと、ライバル企業との競争で負ければ、最悪の場合、倒産することがあります。品質が劣っていたり、製造原価が高かったりすれば、やがて市場シェアを失っていき存続できなくなるからです。

これと同じように国と国との貿易も企業間競争を大規模化したものと考え、輸出よりも輸入が増えると、その国の競争力が衰退すると主張する人たちがいます。

個人が、毎月もらう給料以上に買い物をすると、やがて借金をしなければならなくなり、返済不能となった時には自己破産に追い込まれます。貿易赤字とは、まさにこういう状態なんだと言われると納得してしまいます。

しかし、クルーグマンは、国の場合には、この考え方は当てはまらないと述べています。

国際競争によって国が存続できなくなることはない。通常、均衡をもたらす強い力がはたらいて、生産性、技術、製品の質で他国より劣る国でも、ある範囲の製品を世界市場で販売でき、長期的には貿易収支のバランスを取り戻せる。そして、貿易相手国より生産性が明らかに劣っている国でも、貿易によって通常、打撃を受けるのではなく、恩恵を受けることになる。
(133ページ)

生産性が低くても比較優位を見つけ出せる

貿易赤字になる国は、多くの産業で他国よりも生産性が劣っています。だからと言って、そういった国の製品やサービスが輸出できないということにはなりません。

例えば、日本とアメリカを比較しましょう。

もしも、日本の全企業が、アメリカ企業が生み出す製品やサービスよりも劣った製品やサービスしか生みだせなかったとします。この場合、日本は絶対優位の製品やサービスが全くありません。それを理由に日本製のモノやサービスをアメリカに輸出できないと主張するのは誤りです。

日本が貿易赤字になれば、きっとアメリカよりも賃金水準が低くなるでしょう。だから、製品やサービスの品質でアメリカ企業に劣っていたとしても、安い労働力から生み出された製品やサービスは売価も安くなるので、アメリカに輸出しても売れる可能性があるのです。生産性の差が開きすぎている製品を輸出しても売れないでしょうが、生産性の差が少ない製品であれば、売価が安いという理由で、アメリカ人が日本製品を買うことは十分に考えられます。

これが、19世紀にリカードが提唱した比較優位なのです。

現在の日本の市場では、中国製品がたくさん売られています。品質では、国産の製品の方が優れているとわかっていても、値段の安さから中国製品を買う人はたくさんいます。これも比較優位の法則が働いていると言えるでしょう。

生産性の低い国は低賃金を強みにする

クルーグマンは、「良い経済学 悪い経済学」で、アメリカとイギリスとの貿易関係を航空機と毛織物を例にして解説しています。

詳しい内容は割愛しますが、イギリスがアメリカよりも生産性が劣っていても、低賃金を武器にすれば、0.5単位の労働で生産した1単位の毛織物と、労働1単位を投入しなければ生産できない1単位の航空機の交換が可能だと述べています。すなわち、イギリスがアメリカと貿易することによって、1単位の労働力を必要とする1単位の航空機を0.5単位の労働で手に入れることが可能なのです。

したがって、イギリス国民はアメリカと貿易することで購買力を上昇させたのです。

ただイギリスは生産性の高さではなく賃金の低さで競争しなければならないので、それを何となく悲観的に見てしまいます。でも、イギリス国民の購買力が上昇しているのですから、イギリスは貿易でしっかりと利益を得ているのです。

決定的な点は、限られた市場をめぐる企業間の競争とは違って、貿易がゼロ・サム・ゲームではなく、ひとつの国の利益が他の国の損失になるわけではないことだ。貿易はプラス・サム・ゲームであり、したがって、貿易に関して「競争」という言葉を使うのは、誤解を招きかねない危険なことなのである。
(138ページ)

保護主義は国民の利益にならない

しかし、上の例では所得の分配という要素を無視しています。

貿易は国全体にとって利益となりますが、短期的に見れば国内に勝者と敗者を生み出してしまうのです。品質の高い製品が安く国内で販売されるようになれば、同じ製品を生産している国内メーカーは打撃を受けます。だから、国内産業を守るために関税をかけるなどの措置が必要になると考えるわけです。

ここで登場するのが「競争力」という言葉です。

国内産業を守る必要があると保護主義を主張する人たちは、「競争力」を高めなければならないと訴えます。そして、それを既得権益を守るための隠れ蓑にします。競争力という言葉は非常にわかりやすいので、国民を納得させるのに効果的なのです。


同書の終わりに伊藤元重さんの解説が掲載されています。そこで、伊藤さんは保護主義は天動説と似ていると述べています。

空を見上げれば、太陽は東から西に動いているのがわかります。だから、普通に考えれば、誰だって太陽が動いていると思うでしょう。また、人間の眼の高さからだと地面は平坦にしか見えません。本当は地球は丸いのですが、自分の視線からだと平らにしか見えませんから、地球が平らだと言われれば何の疑いもなく納得します。

しかし、科学によって天動説は誤りであり地動説が正しいことが分かりましたし、地球も平らではなく球体をしていることが分かりました。


それと同じように保護主義は国民に不利益を与えることがわかっているのに、先進国でさえ、いつまでも関税がなくなりません。

「アメリカと日本は競争しており、日本の勝ちはアメリカの負けである」、「第三世界からの輸入が増えれば、先進国の労働者は失業する」。こうした、わかりやすい、しかし、誤っている考え方を打破するのは、現代の経済学者の大きな使命である。とはいえ、アダム・スミス以来のそうした努力にもかかわらず、いまだに保護主義が闊歩しているということは、保護主義は天動説よりもその打破がむずかしいのかもしれない。
(293ページ)

経済学的に保護主義は、国の利益にならないことはわかっているのです。それなのにいつまでも保護主義はなくなりません。

それは、国の「競争力」という言葉を持ち出されると、国民はついつい納得してしまうからです。輸出よりも輸入が増えれば、もらった給料よりも買い物で使うお金の方が多くなるのと同じだから、輸入品に関税をかけて通貨が海外に出ていかないようにした方が国民のためになるんだと言われると、何となくそういう気がしてきます。

でも、それは違うのです。


上記のアメリカとイギリスの貿易の例を思い出してみましょう。

イギリスは、アメリカとの貿易で0.5単位の労働で1単位の航空機を買えるようになりました。もしも、イギリス国内で造る航空機と同じ労働力になるまで、アメリカ製の航空機に関税をかけると、1単位の労働で1単位の航空機を買わなければならなくなります。

これでは、比較優位を利用してイギリス国民の購買力を上昇させた努力が無駄になってしまいます。それどころか、イギリス国民は低賃金を武器に輸出をしていたのですから、関税をかけることで購買力が下がってしまうのではないでしょうか?


「競争力の低下を食い止めなければならない」

こういったことを言い出す人の背景には、何らかの既得権益が隠れているのかもしれませんよ。

良い経済学 悪い経済学 (日経ビジネス人文庫)

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