ウェブ1丁目図書館

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資本主義社会と他力

多くの成功者は、努力によってある分野での第一人者になっています。どんなにつらいことがあっても努力で切り抜け、たくさんの人から評価される業績を残しています。

成功者と呼ばれる人たちの話を聞くと、確かに普通では考えられないほど多くの時間を費やしていますね。彼らの話を聞くと、やはり何事も努力なくしては結果を出せないのだと感じます。

ただ、彼らは必ずしも努力だけで成功したのではないように思います。なぜなら、彼らの口からは「努力」の他に「感謝」という言葉も発せられることが多いからです。

努力はまれに報われる

成功者と呼ばれる人たちは、間違いなく努力をしています。でも、人生に挫折をした人の中にも、努力をした人がいます。なので、努力は成功の必要条件であっても十分条件ではないのでしょう。

多くの成功者が、いろんなことに感謝をしているのは、成功にとって必要なことのうち自分の努力の占める割合が、それほど大きくないことを知っているのかもしれません。

作家の五木寛之さんは、著書の「他力」の中で、「正直者がばかをみるのは当たり前だ」と述べています。正直者が必ずばかをみるのかというと、そうではなく、「正直者がばかをみないことも、ごくまれにはある」とも五木さんは述べています。さらに努力についても、五木さんは同じように考えているようです。

努力がむくまわれることもまた、まれにあります。めったにないことだが、絶対にあります。努力がむなしいなどとは決して思いません。しかし、それはこの世の中で、ごくごくまれな、大げさに言えば奇跡のような事件としてあるのであって、それ以上ではないのです。
露骨に言ってしまえば、正直者はおおむねばかをみます。努力はほとんどむくわれることはありません。
(20ページ)

成功の大部分を占めているのは努力だと考えている人は、自分の能力を過信しているのではないでしょうか。実は、自力でできることはそれほど多くはなく、他者の力を借りなければ実現できないことが多いように思います。多くの成功者が「感謝」という言葉をよく述べるのは、自力だけでは成功できなかったと認めている証ともとれます。

人事をつくすは、これ天命なり

五木さんは、「人事をつくして天命を待つ」という言葉を「人事をつくすは、これ天明なり」と解釈されています。

人が、何度失敗しても再挑戦するのは、自力で物事が成功に向かうことを信じているからでしょうか。いや、そうではなく、人事を尽くしていると、いずれ何か別の力が働くと無意識に思っているからのような気がします。「続けていれば、きっと誰かが認めてくれる」と心の中で思い続けながら、一心不乱に一つのことに打ち込んでいるその姿も、自力以外の力すなわち他力が働くときが来ると信じているからだと思います。

他力とは、目に見えない自分以外の何か大きな力が、自分の生き方を支えているという考え方なのです。
自分以外の他者が、自分という存在を支えていると謙虚に受けとめることが重要なのです。他力とは言葉を替えると、目に見えない大きな宇宙の力と言ってもよく、大きなエネルギーが見えない風のように流れていると感じるのです。
自分ひとりの力でやったと考えるのは浅はかなことで、それ以外の目に見えない大きな力が自分の運命にかかわり合いを持っている。
(87ページ)

成功者が、他者に感謝するのは、きっと成功する過程で自分の努力だけでは乗り越えられなかった壁が、いくつもあったからでしょう。時には、運が良かったと思える場面もあったはずです。

他者に感謝することは、他力を認め謙虚であることと同義なのかもしれません。

資本主義の誤った解釈

資本主義社会について、多くの人が弱肉強食の社会と考えているのではないでしょうか。

より多くのお金を稼ぎ、より多く蓄えることができる者が支配する社会。それが資本主義なのだと。

しかし、資本主義社会は、「多くを稼げ」「多くを蓄えよ」の他に「多くを施せ」という3つの精神的支柱から成立する社会です。資本主義社会を弱肉強食の社会と捉えている人は、3番目の「多くを施せ」を見失っています。

強欲に商売をして多額の利益を稼いでも、多くを施している限りは許されるのが資本主義社会です。もちろんルールを破って利益を得る行為は許されません。資本主義社会で批判される人たちは、ルールを守っているけども施しをしないからなのかもしれません。反対に資本主義社会での成功者を批判する人たちは、多くを稼いでいる人ほど多くの施しをしていると考えられないからなのかもしれません。

高度経済成長期の公害問題も、「多くを施せ」の精神が当時の社会に欠けていたから起こったのでしょう。水俣病が大問題になった時、当時の行政官は以下のように述べています。

「自分たちは分かっていた。あの工場が有明海に有毒な汚染物質を流し出していたことは、当然のように理解していた。けれど、その時点では止めることができなかった。なぜかというと、それは当時の日本が飢えていたからだ。食料増産のためには、農村に化学肥料を送る必要があった。もしもあの時点で汚染を恐れて工場の操業を止めていたならば、日本の復興は二十年ほど遅れていただろう」
(142ページ)

経済成長で飢えをなくすことを優先した結果、辛い思いをする人が多く出ました。「多くを施せ」の精神が、当時の日本社会に根付いていれば、利益の一部や税収の一部を公害対策に使うという発想になっていたのではないでしょうか。


資本主義社会は、決して弱肉強食の社会ではありません。

自力で何でもできると考えている人は、「多くを施せ」の精神が培われていないのでしょう。物事がうまくいっている時こそ、自分ではどうすることもできない他力が働いていると考えられるようにしたいですね。

他力 (幻冬舎文庫)

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