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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

ガンと最後まで闘いたいと思っているのは患者側。生死は善悪の問題ではない。

人生観

日本人の死因第1位はガン(癌)とされています。厚生労働省の「平成27年(2015年)人口動態統計の年間推計」でも、死因第1位は悪性新生物(ガン)で、2位が心疾患、3位が肺炎、4位が脳血管疾患となっています。

心疾患や脳血管疾患だと突然死することがありますが、ガンの場合は発覚してから長い闘病生活が始まることが多く、患者はその間に治るのか治らないのか、死ぬのかどうなのかと不安になることでしょう。ガンに限らず死の危険性が高い難病に罹患した場合も、同じように患者は不安になるはずです。

ところで、「闘病」という言葉には、最後まで生き抜くという意味があるように思いませんか?そして、闘病することが善であり、治療を放棄することは悪だと。

ガンとの闘いを望む患者

作家の五木寛之さんと医師の帯津良一さんの対談集「生死問答(しょうじもんどう)」で、ガン治療について興味深いことが語られていました。

この中で、五木さんは過去に読んだ新聞記事に掲載されていた「ガンになったら最後まで闘うことが必要かどうか」というアンケートの結果を紹介しています。アンケートに答えたのは、放射線科外来を受診中の患者450人、ガン治療に携わる医師150人、看護師470人、無作為抽出の東京都民1,000人です。

で、その結果ですけれど、「ガンと最後まで闘うこと」が必要と答えた人が、患者さんで八一パーセントなのに対して、医師は一九パーセントにとどまったんですね。一般市民は六六パーセント。そして看護師は三〇パーセントでした。
(91ページ)

この結果は意外だと感じました。

患者の8割がガンとの戦いを望み、医師は最後まで闘うことに2割も肯定していません。今までは、医師の方が最後まで闘病することを患者に求めているのかなと思っていたのですが。また、「やるだけの治療はしたと思えることが必要か」という問いに対しては、92パーセントの患者が必要だと回答していますが、医師の51パーセントは「必要と考えていない」という結果でした。

このアンケート結果がすべての患者と医師の気持ちを代弁しているわけではありませんが、患者の側に医師よりも、「苦痛が伴っても病気と最後まで闘うべきだ」という強い気持ちがありそうです。

治療の継続を家族が望む?

八方手を尽くしたけど無理だった。

仕事でも受験勉強でも、「とにかくやれることは何でもやって、それでだめなら仕方がない」と思えるところまで努力すべきだと多くの人が考えているのではないでしょうか?

確かにすぐに諦めて物事を投げ出すのはどうかと思います。しかし、この考え方を人の生死の問題にまで持ち込むのはどうなのでしょうか。

人に限らず生き物は必ず死にます。誰もがわかっていることです。ところが、多くの人が「死」を「悪」だと考えてはいないでしょうか。闘病という言葉も、病気を治すというよりも死を遠くに追いやることが正義なのだという響きがあります。病気になって死を受け入れることが悪だと言っているようにも聞こえます。

その家族の思いが患者に向いた時、壮絶な闘病生活が始まるのかもしれません。

やはり、家族のエゴというか、とくに女の人は、お父さんがガンだというと、もう何があっても生かせてあげようとするんです。大局観がないというか・・・・・。でも、それをやるとご本人のためにならないというんですけれど、まわりが見えなくなっている人は、死ぬ場合のことがぜんぜんわからないですね。
(163ページ)

帯津さんがおっしゃるようにどんなことをしても生かせてあげようという家族の思いが患者を苦しめる場合もありそうです。ガンと最後まで闘うことに19パーセントの医師しか賛成していないのは、やはり闘病生活が続くことが患者のためにならないと多くの医師が考えているということなのでしょう。

苦痛からの解放が浄土

極楽という言葉には、「快」という意味があるように思います。「極上」と「楽しい」がくっついた言葉ですから、最も楽しいとか最も心地良いとか、そういった印象を受けるのが極楽ですね。そして、その後に続く言葉が浄土です。

極楽浄土は死んだ人が行きつく天国のようなところ、そう思うわけですが、地獄のような苦痛から解放された時も浄土の感覚を味わえるといった意味のことを五木さんは述べています。

ええ、かんたんにいうと、苦痛からの解放ですね。暑さ、寒さ、飢えも苦痛でしょう。苦痛からの解放が浄土ということになってくるんです。それでいいのかという問題もまた、あるんですがね。病気の苦痛のなかで生きている人には、病気が治ることが浄土でしょう。
(139~140ページ)

最高の場所に行くことが浄土なら、最悪の状態から解放されることもまた浄土と言えます。究極の暑さからの解放、究極の寒さからの解放、究極の飢えからの解放、解放された状態はいたって当たり前の状態なのですが、苦痛から解放された瞬間はまさに極楽浄土。

病気が治った時も、浄土の感覚を味わえます。これは誰もが経験していることでしょう。

だから、人は闘病を受け入れようとするのかもしれません。しかし、闘病中は地獄です。難病であればあるほど、治療が苦痛になります。その苦痛に耐えて耐えて完治したら、この上ない喜びを味わえます。

では、闘病の果てに亡くなった人には、地獄のような苦しみが続くのでしょうか?

いや、そうではないと思います。「最期は安らかな顔をしていた」という遺族の言葉を聞くことがあります。患者は命が尽きる瞬間に苦痛を感じなくなり、浄土の感覚を味わっているのかもしれません。

自然の摂理に抵抗すると苦痛が伴う

いつまでも若さを保とうとすることをアンチエイジングと言います。

直訳すると、老化(エイジング)に抵抗(アンチ)するということになるのでしょう。しかし、どんなことでも、抵抗することには労力や苦痛が伴います。ましてや自然の摂理に逆らう不老不死となると。

帯津 私はアンチエイジングというのは、どうも好きになれないのです。
アンチ(ANTI)というのはなんであれ、反対の方向にベクトルをすすめて帳尻を合わせるという、西洋思想のいちばんいやなところですよ。
たとえばアンチ・バイオテックス(抗生物質)、アンチ・ヒスタミン抗ヒスタミン剤)、アンチ・アメリカン(反米)、アンチ・コミュニズム(反共)とろくな言葉はないじゃないですか。
大いなる生命の流れが粛々と進むのに棹をさして、この流れに逆らうといった、どうにも自然の摂理に悖る行為ですよ。一刻も早く忘れてもらいたい言葉です。人類の幸福のために年をとったほうがいいんですよ。
(185~186ページ)

誰だって年老いたくないと思うもの。

その背景には、若さが善で老いが悪という先入観があるのではないでしょうか。もっと言えば、生きていることが善であり、死ぬことが悪だという強い固定観念があるように思います。

生死は善悪の問題ではなく自然の摂理なのですから、老いに抵抗することは不自然な行為です。そして、その抵抗が心身を疲れさせているのでしょう。

でも、それをわかっていても死を遠くに追いやりたいと思うのが人間であり、闘病こそが善だと考えるのかもしれません。

生死問答?平成の養生訓 (平凡社ライブラリー)

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