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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

憲法9条は武装解除が目的の条文。真の平和を願ったものとは言えない。

歴史

日本国憲法は、9条で戦争の放棄を謳い、国際紛争の解決手段として武力を用いないとしています。そして、戦力の不保持と交戦権の否定も盛り込まれています。

この9条があることから、日本国憲法は世界に類を見ない平和憲法だと言われます。どのような揉め事も軍事力は使わず、平和的手段で解決しようというすばらしい条文です。

しかし、憲法9条は、最初からこのような意図で作られた条文だったのでしょうか?

敗者の武装解除は世の常

戦争が終われば、ほぼ勝者と敗者が生まれます。

勝者は敗者に対して自分の要求を突き付けます。どのような要求を突き付けるかは勝者によって異なりますが、多くの場合、最初に武装解除を要求します。勝者が敗者を支配するためには、自分たちよりも強力な武器を敗者に持たれては困ります。だから、勝者は敗者に対して武装解除を要求するのです。

アジア経済人懇話会会長を務めていた前野徹さんは、著書の「新 歴史の真実」で憲法9条に関して興味深いことを述べています。

日本国憲法は、わずか1週間で草案が完成しています。なぜ、このように短期間で草案を完成できたのでしょうか?

それは、すでにサンプルがあったからです。そのサンプルはフィリピン憲法です。

19世紀末にフィリピンでは独立運動が盛んになります。しかし、それを許さないアメリカは独立軍を武力で抑え込みます。独立軍をゲリラ兵と主張したアメリカは、国際法では認められない方法で独立軍を鎮圧しました。

アメリカはフィリピンに独立を約束した際、独立後も永遠に支配するために、憲法戦争放棄の条項を盛り込ませました。日本国憲法はこのフィリピンの憲法を下敷きにしてつくられました。GHQがたった1週間で日本国憲法の草案を書き上げられたのは、もともとフィリピンの憲法という下敷きがあったからでした。フィリピンも日本も同じ占領政策で、独立後もアメリカの支配下に置かれ続けているのです。
(153ページ)

他国を長期に渡って支配する際、憲法戦争放棄の条文を盛り込むのが有効だということをアメリカはフィリピンの独立で学んでいたのです。

戦後日本と2千年前のカルタゴは同じ

憲法9条は、フィリピン憲法を下敷きにしたものですが、戦後のアメリカによる日本統治は今から約2千年前にローマ帝国カルタゴを支配した時と同じです。

カルタゴは、第二次ポエニ戦争でローマに大敗した後、以下の降伏条件を突き付けられました。

  1. 完全武装解除。商船を除き、全船隊をローマに引き渡す。
  2. 本国以外のすべての領土を放棄する。
  3. カルタゴの安全はローマが保障する。
  4. ただし、カルタゴに駐留するローマ軍の給与・食糧などの費用はカルタゴが支出する。
  5. 脱走兵・捕虜などをローマに引き渡す。
  6. 賠償金、1万タレントをローマに支弁する。
  7. 14歳以上の男子100人を人質としてローマに送る。


これは、戦後のアメリカの日本統治とほぼ同じです。

ローマの要求を受け入れたカルタゴは、その後、経済に力を入れます。そして、世界一の貿易立国となった時、カルタゴはこの世から葬り去られました。

しかし、肝心な独立国の気概、自存自立の精神を失い、何でもカネで済ます風潮が根付いてしまいました。経済の繁栄に酔いしれ、傲慢になったカルタゴをローマが再び襲い、シーレーンを押さえ、港湾を封鎖しました(第三次ポエニ戦争)。祖国防衛の意志すら消えたカルタゴは、あっけなくローマに敗れ、この地上から姿を消し、再び蘇生することはありませんでした。
(112ページ)

戦勝国武装解除の要求を受け入れ、安全保障を放棄した国の末路としてカルタゴの例は貴重なものと言えます。

白人による有色人種の支配

16世紀以降の世界史は、白人による有色人種の支配でした。

彼らはキリスト教を利用して、次々に他国を侵略していきます。スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスなどのヨーロッパ諸国だけでなく、やがてアメリカも他国の植民地支配を強めていきます。

欧米諸国は、神のお告げによって白人が有色人種を支配することを正当化し、世界中で搾取し続けました。

そして、白人による侵略は、日本にまで及ぼうとしていました。しかし、彼らの意図を察知した豊臣秀吉バテレン追放令を発布し、キリスト教国による侵略を阻止します。

また、秀吉は、西洋諸国が中国大陸を支配しようとしていたことから、民との貿易によりそれを防ごうとしました。ところが、この仲介役を朝鮮が断ったことで、やがて朝鮮出兵につながります。

秀吉の西洋諸国からの侵略を阻止するという理念は、やがて徳川家康に受け継がれ、17世紀前半にキリスト教の流入を阻止する鎖国体制が完成します。

秀吉や家康によるキリスト教の排除は、宗教弾圧と解釈されていますが、その背景には、キリスト教を利用した西洋諸国の侵略を防ぐという意図があったことを知っておかなければならないでしょう。

人種差別撤廃という当たり前のことが受け入れられない

第1次世界大戦に勝利した日本は、国際連盟の規約作成にあたり、第21条で人種差別の撤廃の文言を盛り込むことを提案します。

しかし、この提案は否決されます。それでも、人種差別撤廃を諦めなかった西園寺公望を団長とする日本代表団は、人種の平等を国際連盟規約に盛り込むことを主張し続けました。

その甲斐あって小委員会では、11対5の多数で日本側の主張が通ります。ところが、アメリカのウィルソン大統領が、「全会一致、少なくとも反対者がいないこと」が必要だと述べて、人種の平等は国際連盟規約に盛り込まれませんでした。

これが原因となり、後に日本は国際連盟を脱退し、第2次世界大戦へと突き進みます。

アメリカは自由と人権を標榜していますが、アメリカは人権の国などではありません。人権の国と呼ぶにふさわしいのは過去の日本です。大東亜戦争にしても自存自衛の戦争であったばかりでなく、アジアの解放という崇高な目的を掲げ、日本が戦った戦争でもあります。
(中略)
日本軍によってシンガポールが陥落した時、当時、ロンドンに亡命していたフランスのドゴール将軍(後の大統領)は、その報に接し、日記にこう綴りました。
シンガポールの陥落は、白人の植民地主義の長い歴史の終焉を意味する」
(243~244ページ)

人種差別の否定、民族の独立を主張した日本は戦争に負けます。

そして、アメリカの統治に際して武装解除されました。その代りにアメリカが日本の安全を保障するとの約束を信じて。


その後、日本の人種の平等という主張は、1948年に国際連合総会で世界人権宣言が採択されたことで実現しました。

歴史には光もあれば陰もある。光だけを見ても歴史は見えないし、陰だけを見ても歴史は見えません。光の中にも陰があり、陰の中にも光がある。これが真実であり、その事実と真正面に向き合い、誇るべきは誇り、反省すべきは反省して次代に伝え生かす。歴史から学ぶとはそういうことです。たとえ素晴らしい歴史であっても、賛美だけで終わってしまったのでは教訓も得られません。
(348ページ)

現代でも、世界中で様々な紛争が起こっています。

争いが起こった時点を切り取って、善悪を判断するだけでは事実が見えてこないでしょう。感情を隅に置いて、たんたんと歴史上の事実を調べていく、その作業こそが大切ではないでしょうか?

また、紛争を起こしているのは、声高に正義を叫んでいる人たちだということも知っておくべきでしょう。

新 歴史の真実 (講談社+α文庫)

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