読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

石田三成の正義よりも徳川家康の私欲の方が多くの人々を幸せにした?

時代小説

慶長5年(1600年)に徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が戦った関ヶ原の戦いは、天下分け目の合戦として名高いですね。最終的に勝ったのは東軍で、西軍を率いた石田三成は後に処刑されます。

関ヶ原の戦いは、徳川家康よりも石田三成に正義があったと思うのですが、私利私欲で戦いに挑んだ武将が多かった東軍が勝ったのですから、どのような場合でも正義が勝つとは限りませんね。

でも、石田三成がたとえ関ヶ原の戦いに勝っていても、それが、当時の人々にとって良かったかどうかはまた別の話です。

豊臣家の領地を勝手に分け与える徳川家康

司馬遼太郎さんの小説「関ヶ原」では、石田三成の正義と徳川家康の欲との戦いが描かれています。

読み進んでいくと、次第に「石田三成がんばれ」と応援したくなる感情が湧きあがって来るとともに、ずるがしこい徳川家康に対しては「このタヌキおやじ目」と、腹立たしく思う場面がしばしば出てきます。

徳川家康は、何としてでも豊臣から天下を自分のもとに持ってきたいと思っていたので、謀臣本多正信と相談しながら、あれこれと悪知恵を働かせていきます。

私的な婚姻が禁じられていたにもかかわらず、伊達政宗加藤清正などに縁談を持ちかけ自分の味方に引き込むのは当たり前。豊臣家の領地を勝手に大名に分け与えるような泥棒まがいの行為も平気で行います。

もちろん、豊臣側も黙ってはいません。家康になぜそんなことをするのかと詰め寄るのですが、それに対して彼は「忘れていた」と言って白を切るだけ。

こんな無法なことを許しておくことはできません。そこで、起ちあがったのが石田三成でした。

政治力にかける加藤清正福島正則

徳川家康は、何としてでも天下を取りたかったので、豊臣家に意地悪をして、相手が怒ったところで戦いに持ち込もうと考えていました。

でも、あまりに露骨なやり方をしていくと、自分に味方する大名が少なくなります。そこで、石田三成と仲の悪い加藤清正福島正則細川忠興などを味方に引き込むために、自分は豊臣家のためを思って働いているんだと言い、そして、石田三成こそ豊臣家にとって災いのもとなのだと吹き込んでいきます。

加藤清正福島正則も、幼少のころから豊臣秀吉に可愛がられていた大名です。だから、彼らを味方に引き込むことができれば、世間に対して、家康こそ豊臣家のために働いているんだと思わせることができます。また、加藤清正福島正則も武勇には秀でていましたが、政治力という点では三流だったため、天下を奪い取ろうとする家康の魂胆を見抜くことができなかったことも、家康にとって好都合でした。

石田三成が嫌いだという感情だけで、家康に味方した加藤清正福島正則も、それが豊臣家を滅亡に導くことになると、少し考えればわかる事なのにできなかったんですね。

誰でもわかりそうなことなのですけど、徳川家康のずる賢さが一枚上手だったということでしょう。

直江兼続の義

徳川家康の好き放題にさせることは、豊臣のためにならないと思っていたのは石田三成だけではありませんでした。上杉景勝の家老の直江山城兼続も、徳川家康のずる賢いやり方を嫌っていました。

天下を豊臣から横取りするなんて、義を重んじる直江兼続には許すことができなかったんですね。

だから兼続は、石田三成に味方し、東北で家康討伐の兵をあげることにしました。徳川が上杉攻めのために東北に兵をすすめたところで、西から石田三成が徳川を追って挙兵すれば挟み撃ちにすることができます。腹背に敵を持った徳川勢は、きっと壊滅するはず。それが直江兼続の読みでした。


直江兼続は、戦いの前に儒者の藤原惺窩(ふじわらせいか)に教えを乞うために会いに行ってます。しかし、惺窩は居留守を使って会おうとしません。そして、再び兼続が訪れた時には、たまたま惺窩が留守にしていたので会うことができませんでした。

兼続が去った後、惺窩は彼の態度がどうであったかを従者に問います。惺窩は、その熱意と誠実さに心うたれ、急いで兼続の後を追いました。

惺窩と対面した兼続は、義の道について教えを乞いたいと述べ、そして、暗に豊臣家を助け徳川を討つことを彼に告げます。これに対して、惺窩は沈黙のままで座を去り、「天心いまだ禍を悔いざるか。信兆の生霊再び途炭の苦を受けんとす」という一語をのこしたそうです。

要するに惺窩としては山城守の「義戦」を壮とするもそのためにふたたび戦国の世にもどることをおそれたのであろう。儒者惺窩は、「国政は民に対する仁を本に行わねばならぬ」という、当時としては新鮮すぎるほどの政治哲学を信奉している。謙信以来の武侠の徒である山城守の壮気には感動しえても、かれがこれからやろうとする大義戦の惨禍に戦慄せざるをえなかったのであろう。(関ヶ原中巻16ページ)

時には大義も正義も捨てることが多くの人々を救うことになる

上の藤原惺窩の言葉を読むと、正義を貫くことが真に世のため人のためになるのか悩んでしまいますね。

関ヶ原の戦いは、どう考えても石田三成に正義があります。豊臣家を中心に政治を行うことを秀吉の病床で、徳川家康以下諸侯が約束しているのですから、その約束を守ろうとした石田三成に大義があるとみるべきです。


でも、石田三成徳川家康を相手に天下を二分する大きな合戦をしたことが、果たしてどれほどの意義があったでしょうか?

西軍が敗れたことで、やがて豊臣家は滅亡します。加藤清正は病死し加藤家は改易。福島正則も徳川から冷遇され、福島家は領地を没収されます。

もしも、石田三成徳川家康の横暴にグッと堪えていたら、徳川の治世下で、豊臣家も加藤家も福島家も存続したかもしれません。何より、三成自身も処刑されずに済んだかもしれません。


正義を貫くことは大切なこと。

でも、その正義を貫くことで、世の中の人々が苦しまなければならないのなら、正義を捨てることも必要でしょう。むしろ正義とは、正しいか間違っているかということではなく、世の中の人々に多くの利益をもたらすかどうかということなのかもしれませんね。

関ヶ原〈上〉 (新潮文庫)

関ヶ原〈上〉 (新潮文庫)

広告を非表示にする