ウェブ1丁目図書館

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きれいな政治ばかりを主張する政治家に政権力を発揮するのは無理

政治の世界には、ダーティなイメージがつきまとうもの。

だから、政治家と聞くと、表ではきれいなことを言ってても裏では何か人に言えないようなことをやっているのではないかと勘繰る人も多いはずです。そういう先入観を持った人が多いと、正直者で見た目も爽やかな政治家が注目を集め、選挙に出馬すると簡単に当選することがあります。

クリーンな政治家が議員となり、国民のために仕事をしてくれれば、これほどありがたいことはありません。一国の宰相となって社会の発展のためにリーダーシップを発揮してくれれば、なお良いですね。

きれいな政治は幻想

しかし、きれいな政治なんて幻想だと思った方が良いでしょう。それを目指した政治家が過去にもいましたが、何もできないまま政界から去り、今では誰も覚えていません。

2012年に亡くなった政治評論家の三宅久之さんは、著書の「政権力」の中で、「政治とは、所詮、権力の奪い合いであり、まずもって見た目にきれいなもの、美しいものではない」と述べています。政権を争う権力闘争に「清潔さ」を求めるほうが土台無理だとのこと。


国民は、国会議員でも、地方議員でも、知事でも市長でも選挙で選ぶ場合、きれいで頭も良く行動力のある正義の味方のような候補者を探そうとするでしょう。しかし、そのような候補者が現れることはほとんどありません。国民が選ぶ候補者は究極的に以下の2種類だと思うべきです。

政治家を選ぶ際に、究極の選択として、次のどちらを選びますか。
「悪いこともやるけれど、政治的な能力がずば抜けて高い人」
「いっさい悪いことはしないけれども、政治的能力がない人」
(23ページ)

どちらの候補者を選びますか?

僕なら、迷わず前者を選びます。やるべきことをやってくれれば、どんなに悪いことをしても構わないとまでは言いませんが、国民が暮らしやすい社会を築いてくれるのなら、少々の悪事には目をつむります。

それに国民ももっとしたたかになって、自分たちの理想のために政治家を利用し、用がなくなれば捨てるくらいの気持ちでいた方が良いでしょう。

田中角栄元首相の逸話

田中角栄元首相は、歴代の総理大臣の中でも政治能力がきわめて高かったと思います。田中元総理には、こんな逸話が残っています。

第一次石油ショックの後の鉄鋼不況の時、石油備蓄にならって、粗鋼を国家として備蓄できないかと、ある製鉄会社の幹部が田中元総理のところに陳情に行ったそうです。

話を一通り聞いた田中元首相は、粗鋼じゃなくて製品で備蓄することを思いつきます。でも、製品を造っても、どこにそんな需要があるのかと鉄鋼会社の幹部の方が言うと、需要なんか作ればいいだけで、例えば、新幹線のレールの予備として備蓄したらどうかと提案しました。

しかし、そんなに大量にレールを造っても、備蓄するためには何十棟もの倉庫が必要になるから、普通に考えたら、その発想は絵に描いた餅でしかありません。

「キミ、なにを言ってるんだ。そんな倉庫なんて必要ないよ。今使っているレールのそばに沿って、ずっと並べて置いておけばいいんだ。錆止めの加工をして露天に置いておけば、倉庫はいらないし、必要な時にすぐに取り替えられるだろう。そうすれば、運搬の手間もなにもいらない」
その人は、すっかり感心して、「その場で少し考えて、瞬時にそういうアイデアを思いつくなんて、やはりあの人は天才ですね」と言っていました。(27ページ)

田中元首相と言えば、お金がらみの黒い噂があった人ですが、そういう人だからこそ、こういう発想ができたのでしょう。

清濁併せ呑むことができるのが真の政治家

三宅さんは、国民にとって、耳あたりのいいことばかりを言う政治家を信用してはいけないと述べています。

福祉や医療を充実させて税金を増やさないなんてことはできません。高福祉高負担か低福祉低負担かのどちらかを選択するしかないのです。クリーンなイメージを前面に出して、「国民の皆さんの生活を充実させるために医療や介護を充実させます。増税しなくても無駄を省くだけで実現できます」なんてことを言う候補者は怪しいと思った方が良いでしょう。


当選した後、本当に高福祉低負担を目指して改革を実行し始めたら、多くの国民は拍手喝采するはず。しかし、そのような政治家が総理大臣になっても、きっと何もできずに退陣するだけです。真の政治家であれば、選挙の時は「高福祉低負担」と言いながら、当選した後には「高福祉高負担」か「低福祉低負担」のどちらかの道に進み、国民の批判を浴びながらも、それを実現することでしょう。

時には、裏で汚いことをするかもしれません。金権政治に走るかもしれません。でも、自分の理念を貫き、国を良い方向に向かわせるためには、政権を維持するためにこういったことも必要になってくるはずです。


作家の池波正太郎さんの作品の「西郷隆盛」の中で、真の政治家とは西郷隆盛大久保利通のことであり、清濁併せ呑むことができたのは大久保だけだと述べています。そして、後にも先にも大久保利通のような政治家は出てこないだろうとも語っています。

大久保利通は、明治維新のために謀略により多くの政敵を排除していきました。親友であった西郷隆盛とも征韓論で激しくぶつかり、自説を曲げず政界から西郷を追い落とします。当時の大衆の人気は圧倒的に西郷にあり、大久保は嫌われ者でした。

でも、どんなに国民に嫌われても、政権を維持しなければ理想の国を築けないことを大久保利通は知っていたのでしょう。彼は暗殺されてこの世を去りましたが、人から命を狙われるほど嫌われてはじめて真の政治家と言えるのかもしれません。


三宅さんは、宰相の条件を10個挙げています。その中には「道徳性」もあるのですが、これは「悪をなす倫理」であることを踏まえた上での希望的な条件だと述べています。

議会制民主主義の中で理想を掲げつつも「清濁併せ呑む」といった大きな度量を持つ政治家による、斬新な発想と実効性を伴った政治、それが、どんな時局情勢においても日本の政治家に期待されるものと、私は考えています。(193ページ)

きれいさばかりを政治家に求めていても、良い社会にはなりません。


腹黒いけどやり手の政治家を選び、目的達成後、速やかに政治の世界から追放する。


国民もこれくらいのしたたかさを持って選挙に行くべきです。