ウェブ1丁目図書館

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思想ではなく利益で人を結びつけた坂本竜馬

大政奉還によって江戸幕府を終わらせた坂本竜馬

後世の人は、武力を使わず、無血革命を実現させた竜馬を偉大な政治家や革命家と評価します。しかし、彼は、政治家でも革命家でもなく、商売人だったからこそ時代を動かすことができたのではないでしょうか?

薩摩藩長州藩の利害が一致した薩長同盟

坂本竜馬を描いた小説はたくさんありますが、その中で最も多くの人々に読まれている作品は、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」でしょう。

この作品の中で登場する坂本竜馬は、とても魅力的な青年です。誰とでも仲良くなる彼の性格は、読者まで坂本竜馬の友達になったかのような気分にさせます。

竜馬が、その人生で行った事業の中で最も社会に大きな影響を与えたのは、先にも述べたように大政奉還だと僕は思います。15代将軍徳川慶喜に政権を朝廷に返上させ、260年続いた江戸幕府を終了させることを思いついた人は、当時、ほとんどいなかったでしょう。いたとしても、それを実行させることは不可能だと考えたはずです。

しかし、竜馬は大政奉還の実現が可能だと考えます。彼が、そう考えた背景には、おそらく薩長同盟の締結があったのでしょう。


大政奉還の3年前、薩摩藩長州藩京都御所の蛤御門(はまぐりごもん)で武力衝突しました。この戦いで長州藩は大打撃を受け、藩が解体してしまうのではないかという危機に陥ります。だから、長州藩はそれ以後、薩摩藩をひどく憎むようになりました。

竜馬は、長州藩薩摩藩をいかにして結び付け同盟関係を確立したのでしょうか?

彼は、両藩を結びつける際、思想ではなく利益を重視しました。

長州藩は、これから幕府と戦わなければならないので武器弾薬が必要になります。しかし、国内で孤立している長州藩は、それを調達することができません。

どうしても武器弾薬が欲しい、それも西洋の最新式の銃砲が。

そう思っている長州藩に竜馬は、自分が買ってやると言い出します。竜馬は、イギリスと取引のある薩摩藩の名義で武器を買い入れ、それを長州藩横流しすることを思いついたのです。

しかし、これでは薩摩藩に何の利益もありません。だから、竜馬は薩摩藩がその時必要としていた米を長州藩に用意させると約束します。

竜馬の提案は、長州藩にも利益があり、薩摩藩にも利益があります。だから、両藩は過去の恨みつらみを捨てて同盟関係になることができたのです。もしも、竜馬が、長州藩には薩摩藩に謝れ、薩摩藩には長州藩に謝れと言っていたら薩長同盟は実現しなかったでしょう。

この時、竜馬は利益は思想を超えると思ったのではないでしょうか?

遅れてきた土佐藩を革命の先導者に

薩長同盟の締結により、武力で江戸幕府を倒す流血革命が進行しつつありました。

この時代の流れに乗り遅れていたのが、竜馬の出身である土佐藩でした。一時は、土佐藩も時代の潮流に乗っていたのですが、革命派の藩士たちを弾圧してしまったため、薩長に先を越されてしまったのです。

再び時代の流れに乗ろうと考えた土佐藩は、後藤象二郎を竜馬に近づけます。

一介の浪人の身で薩長両藩と対等につきあい、無籍者ながら土州を代表している竜馬にたよる以外にない。竜馬に頼り、竜馬をたててゆくことによって薩長のあいだに割り込んでゆきたい。
後藤のこんたんはそれである。だから思想もなにもない。政治家である後藤にとっては思想や節義は膏薬のようなものだ。
(第7巻149ページ)

後藤象二郎は、自分の利益、土佐藩の利益のために近づいてきたのですが、竜馬はそれを拒みません。むしろ、「回天の大業にはこういう男も必要なのだ」と思い、以後、後藤象二郎とつきあうようになります。


土佐藩薩長の間に割り込ませたいと考えている後藤象二郎に対して、竜馬は、自ら政権を朝廷に返上する大政奉還を行うように土佐藩から将軍徳川慶喜に進言することを提案します。

大政奉還を行った徳川慶喜は、その後の新政府で重要な役職につくことができます。また、大政奉還を進言した土佐藩からも代表者が新政府に加入できるでしょう。つまり、大政奉還は徳川家と土佐藩の利害が一致する奇策だったのです。そう、このやり方は、以前に薩摩藩長州藩を利益で結びつけた薩長同盟と全く同じです。

「とにかく、薩長を戦争で勝たせてしまえば英国にのみ利が行き、まずいことになる。戦争によらずして一挙に回天の業を遂げれば、英仏とも呆然たらざるをえない。日本人の手で日本人による独自の革命がとげられるのだ。その革命には徳川慶喜でさえ参加させてやる。かれを革命の功臣にさせてやる。されば、英仏ともあっけにとられて、手を出すすきがあるまい」
(第7巻385~386ページ)

竜馬は、薩摩と長州を利益で結びつけましたが、利益が一か所に集中することを危険だと思ったのでしょう。薩長の利益の独占が、やがてイギリスの利益となり、それが日本に大きな不利益をもたらすと考えたのではないでしょうか?


このように竜馬の思考は、政治家や革命家のそれとは違い、商売人としての感覚が大部分を占めていたのです。現在で言うと、薩長同盟は友好的な合併であり、大政奉還による流血革命の阻止はイギリスの市場独占を防止するといったところでしょう。

幕末は、思想と思想の対立が激しかった時代です。それに幕を閉じ明治維新を実現させるためには、利益と利益の結びつきこそが重要であり、それをわかっていたのはほんの一握りの人たちだけでした。坂本竜馬は、まさにその一握りの人間であり、彼がいなければ明治維新は違ったものになっていたでしょう。もしかすると、明治維新は来なかったかもしれませんね。

竜馬の死は後藤象二郎の出世欲が招いた?

竜馬は、大政奉還を実現させた1ヶ月後に京都見廻組に暗殺されます。

幕府を終わらせた黒幕ですから、幕府側の人間に恨まれるのは当然と言えば当然です。しかし、幕府の中には竜馬を評価する人たちもおり、将軍の徳川慶喜新選組と見廻組に竜馬に手を出すなと命じようとしていました。でも、その矢先に竜馬は暗殺されてしまいました。


彼が暗殺された理由については様々語られていますが、僕が「竜馬がゆく」を読んで思ったのは、後藤象二郎の出世欲が竜馬を死に追いやったのではないかということです。

後藤象二郎は、大政奉還を実現すべく幕府の要人と何度も会見していました。その会見の中で、彼は新選組局長の近藤勇とも出会っています。近藤勇は、後藤象二郎から大政奉還について説明され、その内容にとても感心しました。それ以来、近藤勇後藤象二郎に心服するようになります。

しかし、後藤象二郎は、大政奉還坂本竜馬が考えたものだとは言いませんでした。


「これは、弊藩の坂本竜馬なる者が起草したものでござる」

もしも、後藤象二郎近藤勇の前でそう言っていれば、以後、新選組が竜馬をつけ狙うことはなかったでしょうし、むしろ、竜馬の護衛に回っていたかもしれません。


利益を結び付けて革命を成功させた竜馬が、出世欲に目がくらんだ後藤象二郎のせいで暗殺されたとしたら、何とも皮肉なことです。