ウェブ1丁目図書館

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中学校を卒業したら、まずはホームレスから出発

今では、中学校を卒業したら、高校に進学するのが当たり前になっています。中には、中学校を卒業して就職される方もいらっしゃるでしょう。

ところで、中学校を卒業して進学することはおろか、就職すら認めない父親がいるとしたら、どう思いますか?なんてひどい父親だとか、頭がおかしいのではないかと思いますよね。

でも、実際に自分の息子の進学も就職も認めず、ホームレスの道を歩ませた父親がいるのです。

家での勉強は禁止

自分の息子を中学校卒業と同時にホームレスにした父親については、中村文昭さんの著書「お金でなく人のご縁ででっかく生きろ!2」に登場します。

そして、中学校卒業と同時にホームレスにされたのが、中村さんの知人の宮田さんです。

宮田さんのお父さまは、「生活のために働くだけの人生を送るのはいやだ」と言って、5人の息子をもうけ家まで購入した後に会社を辞めてしまいます。そして、お母さまは、その言葉に従いパートに出て生活を支えることにしました。

とんでもない父親だと思うでしょうが、お父さまは、勉強して一級建築士不動産鑑定士の資格を取得し、独立開業します。


宮田家では、お父さまの指示により、子どもたちが家で勉強をすることは禁止されていました。家で勉強する暇があったら働けというのが、お父さまの教育方針。でも、禁止されたらやりたくなるのが子供心です。宮田さんは、朝早く起きて学校に行き図書館で勉強したり、友達の家で勉強したりしていたそうです。

父親の命令でホームレス生活を開始

宮田さんが中学3年生になった時、お父さまと面談をしました。

面談内容は、中学校卒業後の進路についてです。宮田さんは、進学したいと言いましたが、お父さまの「何のために高校に進学するのか」といった旨の質問に「将来のために・・・・・」という程度しか答えることができず、進学を許されませんでした。

「遠い遠い将来のことなんて、十五歳で考えてどうする。いちばん身近な将来は明日だし、一年後、二年後だ。これからの三年間を過ごす高校に、なんのために行くのか説明できないようならムダに過ごすだけだ。そんな者は行く必要なし!」(96ページ)

手厳しい言葉を浴びせられた宮田さんは、結局、高校進学をあきらめます。


さらにお父さまは、宮田さんに中学校を卒業した人間を家に置くことはできないから、家を出ていくように言い渡します。そして、あろうことか、ホームレスになれと命じたのです。

凍え死にそうなくらいおなかがすいているとき、人に助けてもらえば、『ありがとうございます』と、心の底から人様に感謝できる人間になる。この体験があって初めて、人のために尽くせる人間になれる。最高の人生修行だ。(97ページ)

そして、宮田さんは、中学校卒業後、ホームレスになるために北海道へと旅立ちます。出発前、お父さまから片道切符とともに渡された手紙には、宮田さんが補導された時のために「右の者、家出少年ではございません」と書かれていたそうです。

4年のホームレス生活からパリへ

宮田さんの北海道でのホームレス生活は、中学校卒業後の3月中旬から始まりました。

この時期は、まだ寒い北海道なので、夜に野宿なんてできません。だから、夜中は街中を歩き回って、昼間に商店街の片隅で寝るという生活を続けました。そんな生活をしていると、今まで食べさせてくれた親のありがたみ、当たり前だと思っていた屋根のある家、冷蔵庫、掃除機を与えられていたことにありがたさを実感したそうです。


ホームレス生活にルールはありません。何をするも自由。しかし、寝ていてもお腹は減るので、食べ物だけは手に入れなくてはなりません。でも、お金は持っていないので、買うことができません。

どうしたら良いのか?

答えはもちろん、落ちているものを食べるのです。プライドなんて言ってられません。そのうち、ホームレスの師匠みたいな人が現れ、おいしい物が手に入る場所を教えてもらったり、レストランの店員と顔見知りになり、余った料理を分けてもらったりして、食べ物を確保するようになります。


中学校を卒業したばかりの少年が街中をうろうろしていると、当然、お巡りさんに呼び止められることがあります。その時には、お父さまから渡された手紙を見せて、親公認でホームレスをやっていることを話します。

こういったことが何度もあると、宮田さんもお巡りさんが怖くなくなり、逆に自分から声をかけられるようにすることもありました。そうやってお巡りさんに近づき、家に泊めてもらったり、ご飯をごちそうになったりしたそうです。


宮田さんのホームレス生活は4年続きました。

その中で、宮田さんは、生きるために今何をすべきかということに向き合うようになったそうです。そして、どうやって人に好かれるようにするかを考えるようになったとか。人に好かれれば、「おい、飯でも食っていけよ」と言われます。そうなるシナリオが、つねに頭の片隅にあったようです。


4年のホームレス生活を終えた宮田さんは、20歳の誕生日にパリへと旅立ちます。もちろんチケットは片道分だけです。

引き算教育が考える力を身に付けさせる

パリに渡った宮田さん。

そこで今までと何か変わるのかといったら、そんなことはありません。今まで通りのホームレス生活です。でも、日本とフランスとでは、移民を受け入れる文化に違いがありました。

フランスは移民の多い国。いろんな人種であふれかえっており、難民に対するフランス語教育もなされるなど、その手厚さは宮田さんにも好都合でした。
コートダジュールで観光客にサンドイッチを売ったり、スペインに渡ってTシャツを売ったり、現地ガイドの真似事をしたり・・・・・。(109~110ページ)

そんな様々な経験を積んで帰国した宮田さんは、会社経営者になりました。


中村さんは、宮田さんがお父さまから受けた教育を「引き算教育」と名付けています。

子供の事を考えると、どうしても足りない物を与えようとしてしまいます。こういった「足し算教育」からでは、なかなか自分に足りない物が何かを知ることは難しいのかもしれません。

与えられないことで、欲しいものが見えてくるし、強くなれる。飢えたときほど、渇いたときほど、やっと手にした食べ物や水がうまいのと同じです。(110ページ)

宮田さんには、息子さんがおり、小さなアパートで独り暮らしをし、たまに家賃を数ヶ月分滞納することもあるそうです。そんな時、当然、大家さんから宮田さんのもとへ連絡が入ります。

最終的には保証人になっている私が払いますが、大家さんにお願いするんです。『どうか催促の電話をしたり、ドアに貼り紙をしたりして、できる限り厳しく取り立ててください』と。そうすれば、自分で必死になって家賃を工面するでしょう。あやしい金融機関に駆け込むのは困りますが、できるだけ困らせてもらうのが、最高の教育になります。だから思う存分、嫌がらせをしてくださいとお願いしてるんです(111ページ)

きっと、宮田さんの息子さんも強く育っていることでしょう。


宮田さんのホームレス生活は、人は不自由な環境に置かれた時に真の生活力を養うことができるという良い例ですね。そして、どんなに自由な生活をしようとも、自分一人だけで生きているわけではないということもわかります。

便利さを求めず、時には、不便な生活を自ら選ぶことも、生きるための知恵や考える力を育むためには大切なことなのでしょうね。


もしも、自分が中学校卒業後にホームレスになっていたらどうなっていたのでしょうか?

きっと、すぐに野垂れ死んでいたと思いますね。

お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ! (2)

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  • 作者:中村 文昭
  • 発売日: 2005/05/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)