ウェブ1丁目図書館

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織田信長の経済政策と鉄砲の活用

戦国乱世を統一したのは豊臣秀吉です。また、その後の泰平の世を築き上げたのは徳川家康です。

どちらも偉大な業績を残しましたが、2人が活躍できるようにしたのは織田信長です。豊臣秀吉徳川家康織田信長が敷いたレールの上を進むことで、スムーズに天下を統一し幕府を開けたのでしょう。もしも、織田信長がいなければ、豊臣秀吉の天下統一はもっと遅かったかもしれません。

織田信長が戦国時代を終わらせるために活用した武器で最も有名なのは鉄砲です。長篠の戦いでの鉄砲の三段撃ちなどに見られるように織田信長は鉄砲の威力をよく理解し、その威力を存分に発揮させることに成功しました。

1挺で足軽10人分

作家の津本陽さんは織田信長の生涯を自らの視点で、著書の「信長私記」で述べています。津本さんは、織田信長を主人公にした「下天は夢か」で一大ブームを巻き起こしたことで知られていますね。

織田信長は、大量の鉄砲を戦場に持って行き、一斉射撃で敵に大きな打撃を与える戦術を得意としていました。現代から見れば、騎馬隊で突撃してくる敵に鉄砲を撃ちかければ大打撃を与えられることは簡単に想像できます。

しかし、戦国時代に鉄砲の一斉射撃を思いつくことは難しかったはずです。

なぜなら、鉄砲は当時、とても高価な武器だったからです。豊臣秀吉の時代に六匁筒の鉄砲が1挺で米9石相当の値がしました。なので、それよりも前の織田信長の時代には、もっと高価だったはずだと津本さんは述べています。そして、当時の足軽1人の年間の扶持が米2石だったことから、当時、鉄砲を1挺購入するための支出は1年間に足軽10人を雇うくらいの出費に相当したと考えられます。

したがって、鉄砲を戦場に1,500挺持って行き、500挺ずつ三段撃ちしようとすれば、1年間に足軽を1万5千人も雇うだけの経済力がなければならなかったのです。

当時の鉄砲は、1発の発射に準備時間が30秒かかりました。30秒に1発しか発射できない鉄砲を100挺購入するくらいなら、足軽を1,000人雇って突撃させる方が、大きな戦果をあげることができたのではないでしょうか。そう考えたからこそ、武田信玄のような名将でも、鉄砲を自軍の主要な武器にしなかったのでしょう。それ以前に1,000挺以上の鉄砲を買う資金なんて、当時の戦国大名は持っていなかったと思われます。

経済を活性化しないと大量の鉄砲を買えない

織田信長が、高価な鉄砲を大量に購入できたのは、他の戦国大名が行っていなかった経済政策を実施して、より多くの資金を手にしたからです。

戦国時代に兵士として活躍していたのは地侍です。地侍とは、農繁期には働き、農閑期にだけ戦争に出ていく在地領主です。彼らが戦争に出るのは焼討ちを楽しみにしているからです。自軍が勝利すれば、敵国の物資を略奪して持って帰ります。しかし、焼討ちばかりをしていると、一向一揆が蜂起するので、それを鎮めるために無駄な労力を使わなければなりません。また、焼討ちが発生するたびに地場産業も衰退するでしょう。

信長は、正規の代価を支払い物資を調達しなければ天下は取れないと知っていた。焼討ちなどはもってのほかである。秀吉や家康が天下を取れたのは、民衆から一物も略奪しないという信長の方針を受け継いだからである。それまでは、上杉謙信のような聖将といわれた軍隊でも、焼討ちをおこなっていた。こうしたところに、信長の時勢を見る独特の目があった。
それには、豊富な資金がなければならない。
(128ページ)

そこで、織田信長は自軍が焼討ちするのを禁じました。さらに地侍をサラリーマンとして雇い、農繁期でも出陣できる体制を整えます。そして、自領の関所を撤廃して、人の往来も自由にしました。関所の撤廃で物や人が流れやすくなれば、商業も発達します。そうすれば、織田信長の領地は経済が活性化し、信長の懐にも多くのお金が入ってくるようになります。

信長は関所を撤去し、楽市、楽座の制を導入すれば、地侍の堅固な収奪の地盤は崩壊し、物資の大量な供給消費の道がひらけると見ていた。
領地内百姓の完全支配の手段を失った地侍たちは、信長のもとに結集して、あらたな軍団を構成すればよい。
信長は関所の撤廃によって、強力な軍勢と大量の軍需物資の供給ルートを掌握できるのである。
(130ページ)

6万人や7万人もの大軍団を戦地に送り込むためには、多くの人や物をスムーズに動かせる物流網が整備されていなければなりません。その物流網を整備するためには、多額の資金が必要でしょう。

織田信長が行った関所の撤廃は、他国の侵略を許してしまうとして多くの戦国大名が実施しませんでした。しかし、物流網が整備されていない国では、物資も情報も入ってきませんから、戦場での戦い方も進歩しません。武田信玄上杉謙信が一騎打ちをしている中、織田信長は大軍団を戦場に送り込み、1,000挺以上の鉄砲を使って一斉掃射するための仕組みを構築していたのです。

経済力が勝敗を分ける

上洛し商業都市の堺を抑えた織田信長は、この時点で戦国大名一の経済力を持ったと言えるでしょう。

後は、商業を活性化し、大量の鉄砲を仕入れ、海外から硝薬を輸入すれば、どの戦場でも負けることはありません。他の経済力に乏しく、焼討ちを続けているだけの戦国大名は、織田信長と戦う前に敗北が決定しています。


織田信長が天下を統一するために利用した鉄砲。戦場での鉄砲の活躍だけを見ていると、最新の武器を持っている軍隊が勝つのだと考えがちです。しかし、織田信長が大量の鉄砲を戦場で使えたのは、彼の経済政策が上手く行ったからだということを忘れてはなりません。

信長私記―下天は夢か (新潮文庫)

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