ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

食べ物を分配し始めたことが国家の成り立ち

世界にはたくさんの国家があります。

日本、アメリカ、イギリス、フランス、エジプト、インド、中国、オーストラリアなど。それぞれの国家は、全て同じではなく民族、慣習、文化など様々な違いがあります。でも、人々が集団となって社会を形成している点で各国家は共通していますね。

ところで国家は、いったいどうやってできたのでしょうか?言葉も文化も違うのに国家という人の集団が世界中にいくつもあるのは、考えてみると不思議なことです。

食糧確保のための集団

発酵に詳しく、食道楽としても知られる農学博士の小泉武夫さんが、著書の「人間はこんなものを食べてきた」で国家の形成について興味深いことを述べています。

小泉さんによると、国家の形成は食糧確保と関係があったそうです。

原始国家が成立する前は、個人個人が食糧を獲得するための活動を行っていたことでしょう。そして、家族を形成し、他の家族とも交わりながら、子孫を残していったと考えられます。人間は家族という集団の中で生活をするようになりましたが、その目的の一つは、食糧確保にありました。1人よりも2人、2人よりも3人と、人が増える方が食糧を得やすくなるのは容易に想像できます。

集団で食糧を獲得するようになると、やがて力関係が問題になり始めます。

そして人間はいつの時代でも、もっと力を得たいという欲望がある。たとえばある場所で、すごくおいしい食べものが豊富にとれるというときには、そこを縄張りとしている集団が支配するのではなく、その周辺の力のある欲望をもった集団がその縄張りに入っていくことになる。強い集団がそこに行って、支配するようになる。すると、弱い集団はあっという間に吸収される。そのうちどんどん周辺の集団が吸収されて、一つの世界が、まさに食を通じてできてくる。
食を求めて、食をめぐって・・・・・これが原始国家の成立なのだ。
(75ページ)

ボスが神を作り出す

人間が集団で生活するようになると、必ず集団を統治するためのボスが必要になってきます。

ボスがいない集団では、いざこざが絶えないもの。だから、集団の中で最も強い者がボスとなり、集団を統率するのです。それが王様です。

しかし、原始国家における王様は、非常に心細い存在です。いつ足元をすくわれて他の者にその地位を奪われるかわかりません。

だから王様は自分の地位をいつまでも維持する方法を考えました。その方法は、神様を自分の上にいただくことです。絶対的なシンボルとして神様を置き、神様のお告げだと言って掟のようなものを作り、集団にそれを守らせます。もしも掟を破ると天罰が下ると脅かしておけば、集団の構成員は神様に逆らわなくなります。当然、神様の真下にいる王様にも服従することでしょう。

原始国家と原始宗教はほとんど同じものとして存在していて、神様は食糧確保や食糧生産までに関係してくる。たとえば疫病が発生すると、人々は王様に何とかしてくれと頼む。王様は神様にお願いする。つまるところ責任をとらされるのは神様なのだ。ものを与えてくれるのも神だ。ものすごい日照りがきて食べものがとれなくなったら、神様にお願いしなかった民衆のせいだということになる。神を絶対的シンボルとして結束を図るのである。
(76~77ページ)

日本でも、世界の国々でも、神様の多くは食と関係があります。天照大神は収穫の神様ですし、バッカスはワインの神様です。王様の上に神様をいただき、その神様が食と深く関わっていることから考えると、国家の成り立ちに食糧の確保が重要であったことがわかりますね。

労働の提供と食べ物の分配

国家に所属する国民が多ければ多いほど、食糧もたくさん確保できるようになります。

だから、原始国家において王様は、自分の国から国民が出て行って他の国で生活するようになると、多くの食糧を確保できなくなるので、民を国に定着させようと努力をします。

国民にしっかりと働いてもらって、たくさんの食糧を確保するためには、彼らの労働に報いなければなりません。

原始国家では、人々は餓えないことに最も関心があったでしょう。だから、王様が国民に報いる方法は、彼らに満足するだけの食べ物を分け与えることでした。

しかし、分け与えると言っても、王様の好き勝手に食料を分配していては不平不満を言う者が出てきます。だから、王様は国民が満足するように平等に食べ物を分配しなければなりません。ちなみに総理大臣のことを宰相と呼ぶことがありますが、この宰相の「宰」には料理人という意味があります。

宰相は、王様の直下にあり大きな権力を持っています。彼の仕事は、重要な会議の席で集団の構成員に料理を分け与えることでした。各人の顔色や健康状態を観察して、何を食べさせるべきかを考えて食べ物を分配していきます。豚肉を切り分ける場合、各人に分配される肉の部位は異なっていますが、切り分けられた肉や内臓の分量はすべて同じになるようにします。

だから、分配された者から不平・不満が出ない。切り分けられた三0人分の肉は、全部個人個人用で、内容が違う。しかし量は同じだ。つまり宰人は、医者であり、名調理人でもあった。さらに、心理学者でもあり、哲学者でもあるというように、六つか七つの仕事を引受けていたというわけだ。
(82ページ)

宰相の食べ物の分配方法が不公平であった時、民衆が反乱を起こして国家を滅ぼしたのでしょう。そして、新たな王様が現れ、その下につく民衆が増えて、再び国家ができあがったはずです。その国家も、同じように食糧の分配方法が不公平であったなら、滅びていったに違いありません。

食べ物の恨みは恐ろしいと言いますが、それは原始国家の時代から言い伝えられているのかもしれませんね。

初期人類は炭水化物を求めてきた?

小泉さんは、同書の中で、人間が生きるための基本として考えなければならないのは、まず炭水化物だと述べています。なぜなら、炭水化物は体内でブドウ糖となり、それがエネルギー源となるからです。

初期人類は、炭水化物を得るために堅果類や種子類などを食べてきたと推測できますが、炭水化物の補給源として最も多かったと考えられるのは植物の根茎などだとのこと。しかし、植物の根茎を食べることには大きな問題があります。

それは、植物の根茎に多く含まれる炭水化物の一種であるデンプンは、人間が生で食べても消化吸収できないということです。生のデンプンのことをβ-デンプン、加熱したデンプンのことをα-デンプンといいますが、人間が消化吸収できるのはα-デンプンです。だから、火を使うことを覚える前の人類は、まともに炭水化物を補給できなかったでしょう。


では、β-デンプンしかなかった時代にどうやって人類は、エネルギーを確保してきたのでしょうか?

その答えは、おそらく初期人類はほとんど炭水化物を食べず、別の食べ物からエネルギーを得てきたということです。

炭水化物(糖質)は、タンパク質、脂質とともに三大栄養素といわれています。でも、この中で人間が一切食べなくても問題ないのは、炭水化物です。人間は、タンパク質と脂質からもエネルギーを作り出せます。しかも、脂質からは、ブドウ糖と比較にならないほど多量のエネルギーを作り出せます。

「人間はこんなものを食べてきた」は1997年の作品なので、この頃は、炭水化物が主要なエネルギー源だという主張が大多数を占めていました。でも、現在では炭水化物は主要なエネルギー源でもなければ必須の栄養素でもないことは明らかとなっています。


初期人類が何を食べて来たのかについては、炭水化物が主要なエネルギー源だという前提で仮説が展開されているので、腑に落ちない部分があります。同書では、古代人が炭水化物やタンパク質を理解していたわけではないから、手当たり次第に様々なものを食べていたことになると述べられているのに炭水化物に話が行ってしまっているのが、ちょっと残念です。