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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

坂本龍馬を暗殺したのは会津藩か?

幕末維新の英雄坂本龍馬

彼を暗殺したのは誰なのかといったことが、何年かに一度話題になります。幕府か、薩摩藩か、長州藩か、土佐藩か、新撰組か。

でも、坂本龍馬暗殺の実行犯は、すでに京都見廻組であることが明らかです。したがって、今後新しい史料が発見されない限り、誰が実行犯かを議論する余地は残っていません。しかし、実行犯がわかっているとは言え、黒幕が誰なのかについては議論の余地がありそうです。

実行犯については証言が残っている

実行犯については、証言者がいます。それは、新撰組の大石鍬次郎(おおいしくわじろう)、見廻組の今井信郎(いまいのぶお)です。通産省で働いていた八幡和郎さんの著書「本当は謎がない『幕末維新史』」で、その辺りのことが解説されています。

戊辰戦争などで多くの疑うべき人物が死んだのだが、新撰組の生き残りの大石鍬次郎が、犯人は「見廻組の今井信郎、高橋某ら四人」と証言したのだ。
今井も「見廻組組頭である佐佐木只三郎以下、七人である」と自白したが、今井以外は鳥羽伏見の戦いで戦死していたので、それ以上の追求はあきらめた。ただし今井は見張り役だったといい、それが認められて禁固一年半で赦免された。
(197ページ)

また、大正4年にも元見廻組の渡辺篤が自分が実行犯だと名乗り出ています。

証言だけなので確固たる証拠とは言えません。しかし、坂本龍馬の暗殺者が京都見廻組以外の者だという証拠はないので、見廻組以外の誰が龍馬暗殺の実行犯なのかを再度検証するのは難しそうです。

では、実行犯の見廻組が自らの意思で坂本龍馬の暗殺を計画したのでしょうか?

謎があるとすればここでしょう。

見廻組は京都守護職の命を受けていた?

坂本龍馬の存在が邪魔なのは、幕府だったという見方があります。徳川慶喜大政奉還によって政権を朝廷に返上しましたが、その裏工作を行ったのが坂本龍馬だったので、今後の生活に不安を感じた幕臣の誰かが見廻組に暗殺を命じたと想像するわけです。

しかし、徳川慶喜が自らの意思で大政奉還したのですから、幕臣が主君の決断に不平を漏らして坂本龍馬を暗殺したと考えるのはいかがなものでしょうか。

水戸学の影響下で育ち宮家の有栖川家の縁者でもある慶喜は、もともと尊皇思想の持ち主だった。自分で政治を動かすとしても、旧来のような幕藩体制の下でなく朝廷の権威のもとでということでも抵抗はなく、また長州とはもともと思想的にも近く、仲直りも難しくなかった。
(199ページ)

徳川慶喜が朝廷を戴いて政治に関わっていくことに幕臣が強く反対したとは考えにくいです。不満を持った幕臣もいたでしょうが、慶喜の命に従っていくしかないと考えたことでしょう。


しかし、それでは困るのが京都守護職を担当していた会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)です。

幕府のために京都の治安維持に関わってきた会津藩にすれば、幕府がなくなって朝廷を中心に政治が行われていくと自分たちは用無しになってしまいます。徳川慶喜は幕府がなくなっても自分が政治の中枢で活躍できると考えていたので困りませんでした。しかし、会津藩は幕府あっての京都守護職であり、幕府がなくなれば失業してしまいます。

したがって、会津藩は、どうしても幕府に存続してもらわなければならなかったのです。だから、大政奉還の裏工作をした坂本龍馬を消すことで失業を免れようと考えたのではないかと。

慶喜が龍馬らの勧める案に乗る最後のチャンスが近づいていた。だが、それでは困る会津藩新撰組は、その勢力の存在を誇示できるような標的を探し求めていたのである。
(203ページ)

実行犯の家族の証言

会津藩にとって幕府がなくなっては困るというのは、後世の人間の想像でしかないとも言えます。武力倒幕を計画していた薩摩藩長州藩が、大政奉還を画策した坂本龍馬が邪魔になったから暗殺したのではないかと想像するのと同じです。

しかし、見廻組が会津藩の指示で坂本龍馬を暗殺したことを実行犯が家族に伝えているので、会津藩坂本龍馬暗殺の黒幕だった考えるのは単なる想像ではありません。

指令を出した人物の名前だが、佐佐木の実兄で会津藩公用方だった手代木直右衛門の遺族がまとめた伝記では「直右衛門が死の数日前に、命令を下したのは京都所司代である桑名侯・松平定敬だと語った」という意味のことが書いてある。また佐佐木の遺族の依頼でまとめた『佐佐木只三郎伝』には、松平定敬でなく松平容保だとされている。
(198ページ)

坂本龍馬暗殺の実行犯たちは、京都守護職松平容保の指示、あるいは松平容保の弟で京都所司代であった松平定敬(まつだいらさだあき)の命によって動いたと家族に語っていたのです。政治の中枢から外されることを嫌った会津藩が、その立場を守ろうとして、朝廷を中心とした政治体制の確立を妨害したと考えることには根拠があるわけです。


ただ、会津藩が黒幕だと考えるのには疑問も残ります。

なぜ、新撰組を使って坂本龍馬を暗殺させなかったのかという点です。新撰組会津藩の下で働いていたのですから、松平容保坂本龍馬暗殺を新撰組に命じていてもおかしくないはずです。

新撰組と見廻組の両方に暗殺の指令を下していて、見廻組が先に坂本龍馬の隠れ家を見つけ暗殺したとも考えられます。でも、新撰組は幕閣の永井尚志に龍馬暗殺を問いただされた時に否定していますから、龍馬暗殺計画に加わっていたようには思えません。

また、この頃の新撰組は内部抗争が激化していたので、坂本龍馬暗殺どころではなかったはずです。

単なる指名手配犯の捕物とは考えられないか

坂本龍馬は、暗殺される前年に京都の伏見寺田屋で伏見奉行所に捕縛されそうになっていました。

この時、坂本龍馬がピストルをぶっ放したため、伏見奉行所では死傷者が出ました。現代で例えると、公務執行妨害で警察官を殺傷したわけですから、当然、発砲事件の容疑者として指名手配されるはずです。

事件の後も、幕府の役人たちは坂本龍馬を逮捕するために捜査したことでしょう。そして、見廻組や新撰組にも坂本龍馬が指名手配犯だとの情報が知らされていたに違いありません。手向かいすれば斬り捨てて構わないとまで言われていたかどうかはわかりませんが。


伏見寺田屋の騒動から2年近く経ったある夜、見廻組が坂本龍馬の潜伏先をつきとめ捕縛に向かったら、抵抗してきたので斬ったとは考えられないでしょうか?

坂本龍馬暗殺が大政奉還の約1ヶ月後だったから、その背景には政治的な理由があったに違いないと思ってしまいます。でも、多くの指名手配犯の一人を逮捕しに行ったら斬り合いになっただけで、実は政治的な意味はなかったのかもしれません。

会津藩が見廻組に坂本龍馬の暗殺を命じたというよりも、指名手配中のテロリストの名簿の中に坂本龍馬の名があっただけ。

それで片づけてしまうと何のドラマも生まれないから、後世の人々が、いろいろと想像を膨らませているのではないかと思うのであります。

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