ウェブ1丁目図書館

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南京事件は日本人特有の責任の曖昧さから起こったもの

1937年12月13日から約3ヶ月間にわたり、中国の南京が日本軍に占領されました。

その占領中、南京事件と呼ばれる日本軍が組織的に30万人の中国人を大虐殺した事件が起こったとされています。これを中国側では「南京大屠殺」と言い、日本では「南京大虐殺」と言っています。

今でも、南京事件については、大虐殺があったとする「虐殺派」、そのような主張は自虐史観であるとする「まぼろし派」、どちらとも言えないけども「まぼろし派」に親近感を持つ「中間派」の3つのグループに分かれて論争となることがあります。

僕は、いずれの立場に立ったとしても、まず、事実はどうだったのかを確認することが大切だと思うんですよね。

30万人の大虐殺はなかった

南京事件について、割と中立的な立場で意見を述べているのが、法学博士の北村稔さんです。著書の「『南京事件』の探究」では、様々な文献にあたって、事件がどのようなものであったのかが語られています。

まず、南京事件については、中国人の犠牲者がどの程度だったのかを知る必要があります。大虐殺と言うからには、犠牲者が1人だけといったことはないはずですから、相当数の中国人の犠牲者がいたはずです。

中国側は、犠牲者の数を30万人としていますが、これは結論を先に言うと嘘です。

どのような意図で30万人という数字を公表しているのかはわかりませんが、この犠牲者の数は、事件を調査する前から決まっていたものです。つまり、結論ありきで、後からその数字の辻褄が合う資料を部分的に集めたんですね。


1938年3月前後の南京の人口は約20万人でした。そして、日本軍が占領する直前の人口は約50万人。差引30万人の人口が減っているので、犠牲者の数は30万人ということになるのですが、これは、「スマイス報告」と呼ばれる資料の都合の良い部分だけを切り取ってきたものなのです。

要するに中国側の史料編纂者は、日本軍占領直前の三七年十一月には南京には五十万人の人間がいたと主張したいのである。これは、多くの資料が三八年三月前後の南京の人口を二十万人台に見積もる事実を踏まえ、以下のような辻褄あわせを考えだした結果である。すなわち三七年十一月の五十万人から、三七年十二月から翌年三月までの南京での「大虐殺」中の被殺害者三十万人を引けば、たしかに二十万人になるというわけである。(161ページ)

数字の辻褄が合っているから、30万人の大虐殺は事実じゃないかと反論する方もいるでしょう。しかし、「スマイス報告」の巻頭部分には30万人近い人口減少の理由を以下のように記しているのです。

南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した
(162ページ)

そう、30万人の人口減少は、日本軍の攻撃を避けるために南京を離れた人々の数だったのです。

略奪や殺人はあった

30万人の大虐殺は完全に否定されますが、日本の兵士による略奪や殺人がなかったわけではありません。

しかし、略奪や殺人が、日本軍による組織的かつ計画的なものであったとは言えません。告発された多くの事例では、事実上の略奪などは4~5人1組の兵士により偶発的に発生したものであり、計画的でもなければ、組織的でもないのです。

日本軍士官や憲兵が、それらの行為を見咎め、逮捕している事例も多くはないが存在しています。とは言え、当時の日本軍に対して、欧米からの批判がなかったわけではありません。

要するに、欧米人告発者たちは憲兵の数が不足し取締りが生ぬるいと批判するが、略奪と強姦が軍当局により「計画的」に助長されたものだという判断は示していない。彼らの批判の眼目は、日本軍が露呈した軍規の弛緩とそこから導かれた兵士の無秩序な行動であり、決して「計画的行動」の存在を認めているのではない。(84ページ)

軍服を脱ぎ捨てた中国兵の処刑

上で見たように個々の日本兵が悪さをした事例があり、それを憲兵が取り締まっていたのですが、その数が少なかったため、全てを取り締まることはできなかったというのが事実のようです。

では、虐殺は、個々の日本兵によってしか起こらなかったのでしょうか?

いえ、それだけでなく、日本軍が組織的に関与した殺人もありました。そのひとつが、「軍服を脱ぎ潜伏した中国兵の処刑」です。

「ハーグ陸戦法規」では、戦闘捕虜の必要条件として「公然と武器を携帯する」と「服装上において戦闘員としての明確な識別が可能である」を挙げています。この条件を満たしている場合には、戦闘捕虜となり処刑することはできません。

しかし、戦闘捕虜の必要条件を欠く戦闘員、つまり軍服を着ていない更衣兵の場合は戦闘捕虜とはなりません。

そもそも軍服を着ていない兵士がいるのかという疑問がわきますが、当時、南京で戦っていた中国兵たちは軍服を脱ぎ捨てて民間人の中に紛れ込みました。彼らに戦闘意欲がなかったのは明確でした。しかし、彼らとは別に戦闘意欲のある更衣兵もいました。


37年12月12日に南京守備軍は壊滅。翌13日に日本軍が、民間人の中に逃げ込んだ軍服を脱ぎ捨てた中国兵たちを集団処刑します。これが法律的に問題となったのです。

日本軍からすると、戦闘意欲のない中国兵と民間人に成りすました更衣兵との区別がつかないから、彼らを集団処刑したわけですが、処刑するにしても軍事裁判が開かれ、所定の手続きが必要だったと批判されたのです。

欧米人観察者たちは「ハーグ陸戦法規」を認識しており、日本軍に対し人道的見地からの寛大な処置を期待するとは述べたが、国際法上の「判断」にもとづく積極的な助命の主張は見られない。兵士が集団で武器を棄てて軍服を脱ぎ捨て、民間に紛れ混むなどどいう事態は戦史に例がなく、積極的な「判断」を示しようが無かったのであろう。(102ページ)

2万人近い戦闘捕虜の処刑

軍服を脱ぎ捨てた兵士の集団処刑以外にも、日本軍は2万人近い戦闘捕虜を処刑しています。

戦闘捕虜は、「ハーグ陸戦法規」により保護を規定されているので、彼らの大量処刑を計画的大虐殺と告発されても弁解の余地はないと北村さんは述べています。僕も、北村さんの意見に賛成です。

しかし、戦闘捕虜の処刑に対しては、「これを殺さざれば自らの安全を保障しがたい場合」には処刑も容認されるという解釈が一部にありました。では、このような解釈が認められるとして、当時の日本軍に2万人の戦闘捕虜を処刑する理由があったのでしょうか?

日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本は、物流を軽視した戦略を立てていました。そのため、多くの日本兵は戦地で餓死しています。食糧が足りない状況は南京事件当時も同じで、日本軍は、捕虜に食糧を与えることはおろか自分たちの食糧も十分に確保できていませんでした。

ここで、中国軍捕虜と日本軍のおかれていた状況を冷静に考えてみたい。まず第一に、食糧を調達してきて二万人近い捕虜に食べさせるのは、捕虜を収容した日本軍の部隊ですら十分な食糧を確保していなかった状況では不可能であった。それでは、一部の日本軍部隊が行ったように、中国軍捕虜を釈放すべきであったのか。(中略)戦争が続いている状況下での釈放は捕虜の戦線復帰を促し、日本軍には自分の首を絞めるようなものである。(113ページ)

捕虜のための食糧を確保できない。だからと言って、釈放すれば捕虜が再び敵に回ってしまう。


このような状況に置かれて、やむを得ず2万人近い戦闘捕虜を処刑してしまったというのが真相でしょう。

責任をとりたがらない日本人が引き起こした悲劇

さて、戦闘捕虜をやむを得ない事情で、釈放したり処刑したりと、当時の日本軍の対応は、部隊ごとに異なっていました。

このような部隊ごとの対応の違いについて北村さんは以下のように述べています。

南京占領後に大量の捕虜をどう処理するかという下級部隊からの問いに対し、上級の士官が「適宜処理せよ」と答えたという事例が良く引き合いにだされるが、これなどは自分の判断を曖昧にして責任を回避しようとする無責任の極みである。
判断をくだす責任者が往々にして不在であるという日本人社会の組織運営上の伝統が、戦場という極限状態で機能しなくなり、ボロを出してしまったのである。(107~108ページ)

「まあ、それはキミ。適当に処理しておいてよ」


上司からこのような支持をされて困った人は多いのではないでしょうか?

この「適当に処理しておいてよ」の文化が、日本に根付いていることが、戦闘捕虜の対応の違いに現れたのでしょう。

30万人大虐殺を受け入れてはならない

中国側が主張する南京大虐殺の犠牲者は30万人だという主張は、絶対に受け入れてはいけません。

それは、日本人はもちろんのこと、中国の人々も、その他の国の人々もです。30万人という膨大な数の虐殺があったと言われると、中国の人々は日本に対して負の感情を抱きますし、そのような根拠のない大きな数字を吹聴された日本人も不快な気持ちになるだけで、両国の関係が良くなるはずがありません。

そして、他国の人々も冷静に事実だけを見て欲しいですね。


善悪の感情を排除して、淡々と事実を積み上げていく作業こそが、正しい歴史認識につながるのです。

「南京事件」の探究―その実像をもとめて (文春新書)

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