ウェブ1丁目図書館

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「官」主導の公的サービスが格差社会を生み出す

ここ数年の間に格差社会という言葉が、日本中に急速に広まっています。

格差を生む理由は、弱肉強食の競争社会の進展によるものだという考え方があります。確かにそういった面はあるでしょうが、必ずしも競争社会が格差を生み出しているわけではないでしょう。

むしろ、競争を否定する考え方が強まれば強まるほど格差が広がっていくのではないでしょうか?

ワタミ株式会社のCEOの渡邉美樹さんは、著書の「もう、国には頼らない。」の中で、自由競争のない社会こそが、実は格差社会ではないのかと語っています。

民間にできない公的サービスはない

学校、医療、福祉、道路整備、環境対策などの公的サービスについては、「官」が行わなければうまく行かないと思われています。

でも、本当にそうなのでしょうか?

学校には私立がありますし、病院も市民病院以外に民間で運営されているところもあります。保険にしても、保険会社が存在しているので、健康保険を「官」が運営しなくても成り立つように思います。


渡邉さんは、「民間にできないことなど、何もない」と述べています。

暴論のように思えますが、じっくりと考えてみれば、どんな公的サービスも民間で行えないことはないのかもしれません。むしろ、「官」が公的サービスを担ってきたから、今日、様々な問題が発生しているのではないでしょうか?

なぜ、子どもたちを育てるための学校で、いじめが起き、自殺者まで出てしまうのか?
なぜ、患者を治療するための病院で、たらい回しや医療過誤がなくならないのか?
なぜ、高齢者の終のすみかとなるべき老人ホームが、お年寄りをぞんざいに扱うのか?
なぜ、日々口にする農産物が、安全・安心ではないのか?
なぜ、科学技術を極めた人間が、地球環境を悪化させ続けるのか?
(2ページ)

今日の社会で問題が起こっているところほど「官」が深くかかわっているというのは、なんとも皮肉なことです。

公的サービスに問題が生じるのは経営不在が原因

「官」が深くかかわっている公的サービスほど問題が起こっている原因について、渡辺さんは、そこに経営がないからだと主張しています。

「官」が仕切った世界は、「経営」が不在だったのです。市場を「官」がコントロールしているために、競争が生まれない。ゆえに、ライバルと切磋琢磨しながら顧客によりよりサービスを施したり、より魅力的な商品を開発することで、売り上げを伸ばし、収益を上げる、といった「経営」努力がまったく必要のない世界だったのです。(3ページ)

そもそも、サービスを受ける側の幸せを追求することに官民の違いはありません。会社やお店は、お客さんが喜ぶことをすれば利益を生み発展していきます。事業を行っていれば、ライバルが現れ、競争が始まります。その競争が、足の引っ張り合いでは困りますが、いかに質の高いサービスを安く提供できるかといった競争であれば、消費者には喜ばしいことです。

ライバルと切磋琢磨し、良いサービスを追求していくこと、それが経営と言えるでしょう。


でも、これまでの「官」主導の公的サービスには、競争がありませんでした。競争がないので、当然のことながら、サービスの質を高めたり、価格を下げる努力をする必要もありません。それどころか、利権を持っている政治家に群がり利益を得ようとしたり、自らの立場を守ろうとする人々の利害が最優先されるような構造になっています。

一体、どこに経営があるのでしょうか?

競争がないから格差が広がる

公的サービスを「官」が一手に握って行うと、競争がなくなります。

競争がないということは、価格も好きなように決めることができますから、どんなに高い価格でも、サービスを受けたければ国民はそれを受け入れなければなりません。

そういった状況が長く続くとどうなるでしょうか?

割高な料金を受け取った「官」は肥え太り、高額の出費を余儀なくされる国民はやせ細っていきます。つまり、公的サービスを提供している「官」ばかりが裕福になって、強制的に高い料金で公的サービスを受けさせられる国民が貧しくなるので、両者の間で格差が広がっていくのです。


こう考えると、自由競争の社会だと、勝者だけが豊かになり敗者が貧しくなるというのは違いますよね。

むしろ、競争がない社会の方が、格差が広がっていく仕組みになっているのです。共産主義の国の方が、格差が激しいのは競争がないからです。競争がない社会では、権力を持った者が自由に庶民から富を吸い上げることができます。

反対に競争のある社会では、競争に勝たなければ、消費者から富を得ることはできません。しかも、勝敗を決めるのは、お金を払う消費者なのですから、競争の勝者が一方的に富を吸い上げることはできないのです。

ノーガードの殴り合いから質の良いサービスは生まれる

居酒屋チェーンを展開するワタミが属する外食産業は、ほとんど規制のない世界です。

そのせいで、もの真似ビジネスが横行しているという問題が起きているのですが、そういったノーガードの殴り合いの自由競争のおかげで、日本は、世界でダントツの外食王国になれたのだと、渡邉さんは述べています。

何の規制もない市場では、イノベーションが非常に出やすくなります。消費者の要求水準がどんどん高くなり、それにあわせて企業が工夫を重ね続けるからです。結果、お客さま自身が消費者として成熟し、さらに高い水準の商品やサービスを企業に求める。企業はそれに応えるべく、必死に企業努力をする。このサイクルがイノベーションを生み、新しい商品、新しいサービス、新しい業態を生むのです。
何がいいたいのか。自由競争の市場経済で企業を育ててくださるのは、そして、よい商品・よいサービスを生む原動力となるのは、結局、お客さま=消費者なのだ、ということです。(30~31ページ)

競争があるからこそ、消費者が求める商品やサービスが生まれるということですね。


「官」主導で一方的にサービスを押し付けている状況では、国民が満足するサービスは生まれません。しかも、税金という形で、自動的に国民の富を吸い上げている限り、粗悪なサービスを提供し続けていても、倒産ということは起こりません。

だから、公的サービスも民間に任せて自由に競争させた方が、消費者である国民の利益になるのです。


では、「官」は全く必要ないのでしょうか?

そのようなことはありません。「官」は、不正が起こらないようにルールを作ったり、競争を監視するのです。すなわち、行き過ぎた市場経済にブレーキをかける役割を担うのです。

「官」がやるべき仕事は、こうした枠組みをつくり、国民に成り代わって市場に不公正がないか監視すること、そして社会全体を見渡して不幸な人ができないようなセーフティーネットを設けることでしょう。(8ページ)

「官」がすべきことは、プレイヤーになってサービスを提供することではなく、レフェリーとして市場競争を健全に保つことなんですね。


プレイヤーが競技中にレフェリーも兼ねては、公正な試合はできません。でも、今までの、そして今も、日本の公的サービスを担っている「官」は、まさにプレイヤー兼レフェリーなのです。

そして、そういった状態が長く続けば続くほど、格差は広がっていくのでしょう。

もう、国には頼らない。 (NB online book)

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